2013年9月10日火曜日

滋賀県立大学・環境科学部・環境生態学科

滋賀県立大学・環境科学部・環境生態学科


 1995年の開学時から定年の2007年まで在籍したが、開学時には狭心症を患ってしまった。そこで、ストレスを減らすために、教授会などの気疲れする会議はできるだけご遠慮したが、クラブ活動には積極的に参加するようにした。学生たちとともにヒマラヤなどに行くかたわら、かなりの数の講義もこなし、学生との接触を持つように努めたおかげで、その後は狭心症の再発を幸いにもおさえることができた。


担当授業科目
滋賀の自然史, 自然地理学, 環境地学,地学Ⅰ, 地学実験,大気水圏科学実験, 環境フィールドワークⅠ, 環境フィールドワークⅢ, 環境生態学演習, 専門外書講義Ⅰ・Ⅱ, 卒業研究, 大気水圏環境論, 土地利用計画, 環境動態学特別演習Ⅰ, 環境動態学特別演習Ⅱ 

クラブ活動顧問 
フィールド・ワーク・クラブ, 学園新聞社, 環境サークルK,グリーン・コンシューマー・サークル, ジオ・サイエンスの会, 民族音楽研究会, アウトドアー・フィールド・ノンカロリー, 現代視覚文化研究部,リサイクル市実行委員会


海外調査歴
1963年11月~1965年5月 北極海海洋調査
1965年5月~10月 ヨーロッパ(自転車)、西アジア、インド、ネパール旅行
1965年10月~1966年年3月 ネパール・ヒマラヤ氷河・地質調査
1968年3月~4月 アラスカ氷河調査
1970年2月~12月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1973年3月~7月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1974年8月~1975年6月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1975年10月~1976年2月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1976年8月~1977年2月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1978年5月~12月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1980年5月~6月 チベット高原氷河・地形調査
1987年6月~9月 チベット高原湖沼・氷河調査
1993年8月~9月 ノルウェー・スウェーデン湖沼・氷河調査
1994年7月~8月 ノルウェー・スウェーデン湖沼・氷河調査
1995年9月~10月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1995年11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1996年7月~8月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1998年8月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2000年8月 モンゴル永久凍土調査
2001年3月 モンゴル永久凍土調査
2001年8月~11月 モンゴル、ロシア、中国、ネパール、インド氷河調査
2002年8月~11月 ネパール、ブータン・ヒマラヤ氷河調査
2003年8月~9月 ネパール、ブータン・ヒマラヤ氷河調査
2004年8月~9月 インド、ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2005年8月~9月 インド、ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2007年9月 ケニアのキリマンジャロ周辺巡見旅行
2008年6月~2010年6月 ネパール・ポカラの国際山岳博物館学芸員(JICA)
この間、マナスル(2008年11月~12月)、クンブ(2009年4月~5月)、アンナプルナBC (2009年8月)、マナスル(2009年11月)各地域の氷河調査を行う。
2010年9月~11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2011年2月~5月 東南アジア、ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2011年9月 ヨーロッパ・アルプス巡見旅行
2012年4月~7月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(マレーシアのキナバル周辺巡見)
2012年10月~11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(マレーシアのトバ湖、ミャンマーのヤンゴン周辺巡見)
2013年10月~11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(ラオスのビエンチャン周辺巡見)予定



ヒトと自然の共存の道、いまだ遠し

   これが、もともとは自然に属していたはずのヒトがひきおこした重要な生態学的課題である。そこで「ヒトと自然の共生の道をもとめるべき」という考えもでてきたのであるが、ヒトと自然には生態学的な共生関係は成立しない。なぜならば、ヒトは自然から利益をえてはいるが、自然に利益をあたえるようなことはほとんどないからである。むしろ、エコノミック・アニマル的に自然を略奪しているのが、ヒトの活動実態であろう。そうなると、共生ではありえない。持続的生物社会の大原則は「元金には手をつけないで、利子を効率的に運用する」ことにあるのだが、ヒトはこの大原則から大きくはずれてしまった。

去年の京都会議や今年のブエノスアイレス会議でも議論された地球温暖化問題などにも現れているように、ヒトの活動が、地球全体の気候を変えるまで、巨大になってしまった。60億人のヒトをふくむ数百万種以上の生物を満載した現在の宇宙船地球号は、50億年の歴史ではじめて、ヒトという地球号乗組員自身の無謀とも思える破壊活動によって、すでに小さな舞台になってしまったのである。そのようなヒトのエコノミック・アニマル的活動が、地球環境問題の基本的要因になっているのは、誰の目にも明らかである。

    地球環境問題という20世紀の負のイメージを形成する要因を歴史的に見ると、農業・工業革命の基本的矛盾の現われともいえるが、ヒトの生存にとって自然環境が不可欠であるかぎり、両者の共存の道を探るほかはないのである。両者が致命的な破綻をまねくことなくおり合う道、両者にとって妥協できるぎりぎりの道を探ることがいぜんとして環境生態学科に課せられた重要な課題になっている。はたして21世紀は、農業・工業革命のエコノミック・アニマル的な基本的矛盾を解決し、経済至上主義をのりこえたいわゆる環境革命が成功するのだろうか。そのことが、地球環境問題にかぎらず、私たちの地元の課題についても問われている。

  25年間続いた琵琶湖総合開発(琵総)が終了し、これからはポスト「琵総」の時代になっている。渇水年になると、京阪神地域の水利用のためにさらに琵琶湖から放流するため、人為操作によって水位がかなり低下することも覚悟せねばなるまい。水位操作もふくめて、琵琶湖への人為的影響がますます大きくなる時代である。かつての遊水池機能をはたしていた琵琶湖周辺の内湖の大部分や宇治市の巨椋池などを干拓し、農地・住宅・工業団地を開発してきた歴史の延長線上で、水量・水質の維持機能を琵琶湖に一極集中させたのが「琵総」であったとも解釈できるのである。

  ポスト「琵総」時代の琵琶湖およびその集水域の課題についても、琵琶湖水質や生態系の環境変動に関する的確な将来予測と早急な対策が求められてはいるが、残念ながら、そのための情報はまだまだ不十分である。琵琶湖の水位変動ひとつとっても、異常気象による雨や雪の自然変動にくわえて、ヒトの社会的活動(南郷洗堰での放流量・水位操作)が琵琶湖水位を大きく変動させ、とくに湖岸地域の生態系に致命的な影響をおよぼす可能性が高い。そうなると、自然科学的な情報だけでは不十分で、社会科学分野との連携・情報交換が不可欠となる。そこにこそ、自然科学から社会科学分野をもふくむ環境科学部の存在意義がでてくるというものだ。自然科学と社会科学分野の相互協力がなければ、ヒトと自然の共存の道を探ることはとうていできない。

  最近の国際シンポジウムなどで、開発時代の反省をこめて、先進国側が「持続的開発の時代から持続的管理の時代へ」などと発言すると、開発途上国側は「依然として持続的開発の時代である」ことを強く主張して、会議は平行線をたどることがある。いわゆる南北問題の1つである。しかし、いわば企業的発想の「持続的開発」や行政的な「持続的管理」というトップダウンになりがちな観点それ自体は目的にはならず、ヒト中心主義を脱却した「持続的社会」を創ることが重要であると考える。持続的開発・管理は、生態系保全を念頭においた「持続的社会」をつくるための手段とみなせるからである。ヒトだけでなく自然を構成するすべての生物をふくむ生態学的「社会」が持続的であることを目指すこと、そこにこそヒトと自然の共存の道がひらけてくるのではなかろうか。

  琵琶湖総合開発は、下流と上流という1種の南北問題に端を発し、下流の水利用のために琵琶湖をさらにダム化していくという「一極集中」的な性格をもっているが、その琵琶湖自体の生態学的論理にも耳を傾けねばなるまい。冒頭に書いた通り「ヒト(われわれ)の生存にとって自然(琵琶湖)が不可欠である以上、両者の共存の道を探るほかはないのである」。だが、大津などの滋賀県南部地域の最近の大型建造物に代表される開発ぶりは、自称?「環境先進・優良・熱心県」にあるまじきエコノミック・アニマルぶりを示しているように見える。河川改修やごみ問題などの現実的課題をかかえる滋賀県立大学地元の犬上川流域などの自然環境の改変を見るにつけ、ヒトと自然の共存の道、いまだ遠し、だ。エコノミック・アニマルぶりに染まったヒトは、自業自得といってしまえばそれまでだが、いわゆる環境ホルモンなどに象徴的に現れているように、便利さを追求した近代化の毒に打ちのめされることをわきまえているのであろうか。されば、近代化の毒にそまっていないヒトを探しだし、彼らにこそ将来をたくすことも考えねばなるまい。

  以上のように、環境生態学科にとって、課題山積の地元の現状は、(研究対象がたくさんあるからといって)、喜んでばかりもいられない。きたるべき21世紀には、タイタニック・クラスの地球温暖化などの地球的規模の大変動が待ち構えているのである。ただ手をこまねいて、いられようか。(2000年4月)



私の授業(教育)

  「私の授業(教育)」という題で書くようにとのお達しであるが、「授ける」とか「教える」といった大上段に構えてふるまう1方向的な「授業」や「教育」をしようとは思わない。むしろ、堅苦しい言い方だと「講義」になってしまうのだろうが、それでは堅苦しいので、ぼく自身の姿勢としては「講話」(できるなら「講釈・講談」にしたいところだが、なかなかそこまではいかぬ)のつもりで、学生の考えをできるだけ「汲みとり」たいのだ。ここでは、とりあえず「講義」なる表現を使うが、場合によってはむしろ「談話」でも良いのではないか、とも思っている。

  というのは、授けたり、教えるといった、ともすれば1方向的なやり方よりも、学生が自分自身で考える力を持つことが重要だと考えているからだ。そこで、ぼくの講義の場合は毎回最後の30分を使って、講義内容についてのレポートを書いてもらうことにしている。ただでさえ、レポートに追いまくられている学生の身にとってみれば、レポートを夜の宿題にするのは忍びないので、短い時間ではあるが講義時間内に、学生自身の個性的な考え方をレポートでまとめ、文章で表現する力がついてくれれば良いのだが、と考えている。

  ぼくの担当している1997年度の講義は、滋賀の自然史、自然環境学2、地学1、地学実験、環境地学、環境フィールドワーク2、環境フィールドワーク3、自然環境実習1、自然環境特別実習、専門外書講義1、専門外書講義2であるが、来年度はこれらに自然地理学、環境生態学演習、卒業研究が加わることになっている。それぞれ多様な内容を含んでいるので、上記のような考え方で講義を進めようとすると、学生数が232名の滋賀の自然史や200名の自然環境学2だと、やはりかなりしんどいところもあったが、追いまくられながらもなんとかこなしている。

  ただ、30名前後と学生数が少ない環境地学では、学生1人ひとりの顔が見えるので、滋賀県の具体的な環境問題を取り上げながら、小人数のグループで課題解決のための討論を行った後、口頭発表の経験を積むことに重きをおいている。そうすることによって、地学的な環境課題の解決に関するレポートを書くことに加え、討論後の口頭で発表する力も備わってくれればと願っているところである。

  なかには、講義最後のレポートの時間に飛び込んでくる学生や、そもそも講義には出ずにレポート用紙だけを取りに来る学生もいるにはいるが、講義の時間内に出さなかったレポートは原則として減点することにしており、遅れたレポートは内容がよほど良くないと点をやらないことにしている。採点のポイントは、どれだけ個性的に考えたか、に重きをおく。そのため「H2O2の見方で書くように」と学生にいっているのは、過酸化水素ではなく、H20+Opinion­=H2O2のことで、琵琶湖などの水に関係する地元の環境課題の解決に向って、できるだけ学生自身の経験から発想した個性的な考えをだして欲しいからである。

  以上のような講話・講釈・談話型講義に加えて、日高敏隆学長の言う「学生を育てる大学ではなく、学生が自分で育つ大学」の見方からすれば、私が顧問を務めている環境サークルK、フィールド・ワーク・クラブ、ジオサイエンス・クラブ、学園新聞社、民族音楽部などのクラブ活動の場を通じて、学生たちが個性的に活動できるよう微力を尽くすのも、また極めて重要なことだ、と肝に命じている。(1996年4月)



トキとヤナギとタブ―共存の観点で―

トキ

トキのキンが死んだ.日本最後の野生のトキは老衰死と思われたが,キンの最後のビデオ画像によると,キンは力強く羽ばたき,飛び上がり,檻に頭をぶつけて死んだそうだ.キンは保護のため檻に入れられ,その檻で死んだのである.しかし,もともとの原因はキンを檻に入れざるをえなくなるまでにしてしまった日本人にある.日本の国名に由来するニッポニア・ニッポンという学名をもつ日本産のトキは絶滅したが,現在は中国産のトキで野生化が試みられている.そもそも中国の場合は数千年以上にわたる農業革命で環境破壊を続けてきたのにも関らず,野生のトキが残っていること事態,まさに奇跡的なことだ.ひるがえって日本場合ははるかに遅れて農業革命を始め,中国などより短期間の環境破壊にもかかわらず,トキを絶滅させてしまった.キンの死は日本の環境破壊の速度が著しいことを訴えているのではなかろうか.日本では,中国や韓国などより自然の回復力が大きいといわれるが,安心できない.

ヤナギ

琵琶湖に春がくると,湖岸のヤナギが芽吹き,その下では黄金色のノウルシが咲く.まさに雪解けの頃で,増水した湖水にひたったヤナギ林にはコイなどが産卵におしよせる.彦根の犬上川河口に見られた立派なヤナギ林やヨシ原は河川改修で広い範囲にわたり破壊されてしまった.ほんの10年ほど前のことである.

彦根周辺の湖岸は冬の強風地帯で大波が打ちよせるので,植物が根づかず,砂浜になっているが,かつての犬上川河口では三角州とヨシ原が風や波から植物をまもってくれていたので,ひとかかえもあるようなヤナギの大木の林も立派に育っていた.そのヤナギ林がなくなりつつある.河川改修の工事関係者は洪水対策のことしか関心がなかったようだ.さらに,琵琶湖総合開発が終わった1997年からは,冬の琵琶湖水位を高く操作するようになった.暖冬つづきで雪が少なくなり,春先の雪解け水に期待できなくなったからというのが主な理由になっている.するとどうなるか.冬の強風による大波がわずかに残っているヤナギの大木に襲いかかり,根元を崩すようになった.ついにはブルドーザーが入り,倒されたヤナギの木が大きな音をたててチェインソーで切られてしまった.たびかさなる人間の仕打ちにたえてきたヤナギがあたかも最後の悲鳴をあげているかのように聞こえたものだ.はたして,キンが死んだ時にも同じような悲鳴が聞かれなかったのだろうか.

タブ

滋賀県立大学が1995年にできた時,湖岸の犬上川橋から上流にむかって河川改修が進んでいた.その計画は,川べりの林をとっぱらい,コンクリート護岸の川にしてしまうというものだった.そこで工事関係者と話し合い,できるだけ自然を残すような計画に修正した.冬暖かく夏涼しい琵琶湖の気候緩和作用によって生育するタブの林をとっぱらう当初計画に対して,洪水対策のために河川断面積を大きくする必要があるので,大学側にバイパス水路を設け,琵琶湖周辺では最も大規模な犬上川のタブ林を中の島状にして,できるだけ残すようにしたのである(写真).

曲りくねってながれる犬上川は,近江盆地の湖東平野のなかでは自然の豊かさを残している数少ない川である.地下水が湧いているところにはハリヨというトゲウオ科の魚が生息する.絶滅の恐れのある危急種だ.同じく危急種であるタコノアシという名前通りタコの足を上向きにしたような花を咲かせる草もわずかに残っていたが,去年から河口では見られなくなっている.現在行われている護岸工事の現場を見ると,のり面すれすれにせり出しているタブの木が数本あるが,もともとは工事の都合上,せり出したタブの木は切り倒すことになっていた.しかし,これも話し合いの結果,可能なかぎり残していただいた.

「人と自然の共生をめざして」という看板が犬上川の河川改修現場に立っている.しかし,タブの木からみれば「人は助けてくれてはいない」ので,けっして「共生」とはいえない.私たちにできるのは自然をできるだけ残して,せめて「共存」していくことなのである.後世の人たちに「タブの木は残った」といえるような自然環境との共存関係を実現していきたい.そのため,われわれ住民は工事関係者とともに「犬上川を豊にする会」で話し合っている.いまこそ,人間の都合だけで開発を進めるのではなく,自然環境との共存をはかる智恵が必要だ.キンの死と同じく,“ヤナギの悲鳴”はそのことを訴えているのではないか.幸いにも熱心なクラブ活動の学生たちが犬上川の環境問題に取り組んでいるので,厳しさの予測される将来の環境保全にも期待がもてそうな気がする.(1998年2月)



講義とクラブ活動

  “滋賀県立大学環境科学部環境生態学科地球環境大講座”
  ここが、ぼくのいるところです。環境という名前が3つもつく。カンマで区切らなきゃ、よく分からないではないか。大講座は完全な誇大表示で、実態は完全小講座。その中でぼくは、琵琶湖の水資源問題の基礎となる水循環を中心に研究・教育をしているが、何をめざそうとしているのか。おりしも今年の春には、滋賀県立大学の初めての卒業生を送りだし、大学院生を迎える。

  この1年に担当した講義は、滋賀の自然史、自然環境学2、地学1、地学実験、環境地学、環境フィールドワーク1と3、自然環境実習1、自然環境特別実習、専門外書講義1と2、自然地理学、環境生態学演習、卒業研究と14科目もあるので、それなりに忙しい。北アルプス立山で行われた夏の自然環境特別実習では梅雨末期の集中豪雨に見舞われ、学生ともども貴重な経験を積むことができたのも、今となっては楽しい思い出である。講義の学生数は、滋賀の自然史の405名から環境地学の19名まで。毎回、書く能力を高めるレポートにくわえ(これは出席簿の変わりにもなる)、小人数の場合は発表する力を養う討論中心の講義も行なっている。

  レポートの採点ポイントは、どれだけ個性的に考えたかに重きをおく。「H2O2で書くように」と学生にいっているのは、過酸化水素ではなく、H20+Opinion=H2O2のことで、琵琶湖などの水に関係する環境課題の解決に向って、できるだけ学生自身の経験に基づいた個性的で多様な考えをだして欲しいからである。

  ただ、20名前後と学生数が少ない環境地学では、滋賀県の具体的な環境課題、例えば犬上川河川改修・水資源保全・湖岸生態系・ダム・空港問題などを取り上げ、小人数のグループで課題解決のための討論を行った後、口頭発表の経験を積むことにしている。そうすることによって、地学的な課題解決に関するレポートを書くことに加え、口頭で発表する力も備わってくればと願っているところである。

  また、関係するクラブ活動が、環境サークルK、フィールド・ワーク・クラブ、ジオ・サイエンス・クラブ、学園新聞部、グリーン・コンシューマー・サークル、民族音楽部と6つ。学生たちの活動に刺激をうけながら、「学生を育てるのではなく、学生が自分で育つ大学」をめざした場づくりをしたい、と考えている。そこでぼくは、できるだけ何もせずに、学生の自主判断に任せているが、最後の責任だけは取らねばなるまい、と覚悟している。山登りの好きなぼくにとって、山岳部のないのは少々残念だが、そのためリスクの少ないのを歓迎しているふしもあるのは、自分自身おもはゆいがぎりだ。高齢化現象の現われ、だろうか。

  さて、ただ1つ、意に満たないのは、教育の籠にとじこめられているので、ぼく自身のフィールドの研究時間が少ないことである。籠の鳥の飛翔力が弱らぬうちに、魅力的なフィールドにむけて、時々は籠から飛びだすことも考えねばなるまい。と、この1年をふりかえって切に思う。「個性的になること」を学生に言っている手前、ぼく自身のフィールドで自分の個性にも磨きをかけねば、羊頭狗肉のそしりをまぬがれえないだろう。(1999年1月)


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