2018年1月13日土曜日

2017年ネパール通信26 余話13 ネパールの物価上昇に関するライト・エクスペディションのための考察 コメントについて

2017年ネパール通信26 余話13
ネパールの物価上昇に関するライト・エクスペディションのための考察
コメントについて


みなさまへ
   友人のハクパ・ギャルブさん(写真1)から「2017年ネパール通信25 余話12 ネパールの物価上昇に関するライト・エクスペディションのための考察」に関して、新しく変わった旅行(トレッキング)規則のコメント(下記)が寄せられましたので、お知らせします。

写真1 1970年代に氷河の調査をした東ネパール・クンブ地域のハージュン基地で気象観測するハクパ・ギャルブさん


L G SHERPA ( Marushin Shitaka KK Nepal Office 1992) <marushin@mos.com.np>
2018/01/12 (金) 23:21'FUSHIMI HIROJI' (fushimih@hotmail.co.jp)
Greetings of all former GEN related sathi haru.
I thoroughly assumed the content of Dr. H. Fushimi and written regarding TIMS card and National Park entrance fee.
After the implementation of local level elections throughout Nepal especially for Khumbu above Kharikhola TIMS card has been replaced and directly collecting by Khumbu Pasang Lhamu Rural Municipality and the National Park Entrance Fee 3000 NPR with 130% Value Added Tax is unchanged.
From years the TIMS card fee 2000 Rs was collected and accumulated in the account of Nepal Tourism Board, which was not utilized for the people and area ( Khumbu), There were much dissatisfactions paid by tourism private sector but as the nation is practicing federalism the federal law and regulations delivered central government authority to local level so we forced and repelled the mounting pressures.
Lhakpa Gyalu Sherpa

追記
 なお、ハクパさんに改めて聞きますと、東ネパールのクンブ地域に行く場合は、TIMSの2000ルピーとNational Park entrance feeの3900ルピー(3000 with 130% Value Added Tax)をルクラからガートに行く途中のKhumbu Pasang Lhamu Rural Municipality Officeで支払うように、新しく変わったとのことです。

2018年1月8日月曜日

2017年ネパール通信25 余話12 ネパールの物価上昇に関するライト・エクスペディションのための考察

2017年ネパール通信25 余話12

ネパールの物価上昇に関するライト・エクスペディションのための考察


1)はじめに
   2017年春のランタン谷の調査は、ポケット・マネーで行う調査旅行であるので、援助金などによるお抱えの大名旅行(追記2)は許されない。そこで、ネパール通信5で述べたようなライト・エクスペディション(経済的調査旅行)*を目指したのである。というのは、ランタン谷は3回目で土地勘があるのでガイド無しで行い、さらに心臓病に侵されていた体力の回復も試すためにポーターも雇わずに、調査機材をふくめた器材一式7キロを自分で担ぎ、標高4000m以上の氷河調査をふくむ10日間の総費用を2万円以内で行うライト・エクスペディションの目標をまずたてた。ランタン谷をはじめネパールのヒマラヤ地域のホテルではベッドや寝具などの宿泊設備が完備しているので、寝袋などを持参せずにすみ、ある程度の体力と会話力さえあれば、ライト・エクスペディションをすることが可能になっている、と思われる。
*2017年ネパール通信3(写真報告)
「カトマンズ大学にきました」
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2017/03/blog-post.html

 ただ、ライト・エクスペディションの予算面で大きな比重をしめるのは、事前にとられる「Trekkers' Information Management System(TIMS)」の20ドルに加えて、現地でも一種の入山料「National Park/Reserve/Entrance Permit」3390ルピー(R)*を取られたのは痛かった*。さらに、往復のバス代金1100Rがかかったので、ランタン谷調査期間中の飲食代金などの滞在費として使える予算は1日当たり1400R程度であるが、3)章で述べる豆スープ付きご飯(ダル・バート)が300~600R,パンケーキは200~400R,部屋代が200~600Rすることを考えると、お茶などに1日あたり数百Rしか残らないことになる。つまり、お茶などの飲み物は1日2-3杯という厳しい経済環境になってしまった。
* ルピー(R)
1ネパール・ルピー(R)=1.1円の両替率なので、1Rはほぼ1円に相当する。

 そこで、ライト・エクスペディション実現のために、ランタン谷の各ホテルの飲食代の実態を調べるとともに、東ネパールのクンブ氷河周辺のホテルでの値段との地域的な比較を行い、さらに1980年代からのカトマンズのホテルの飲食代の時間的変化について考察した結果、ヒマラヤでのライト・エクスペディション実現のためには、ネパールで進行している地域的時間的な物価上昇の問題が大きく影響していることが分かったので報告する。
*2017年ネパール通信5
ランタン村周辺の雪崩災害と災害地形などについて
4)おわりに
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/lantang-disaster/

写真1 朝食のミルク紅茶(右上)、砂糖(右下)とパンケーキ(左)

2)ミルク・ティーの値段変化
 紅茶で有名なインドのダージリン近くのイラムなどでの紅茶生産が盛んなネパールでは朝一杯のミルク・ティーは欠かせない飲みもになっている。2017年春のランタン谷調査の朝食でも、パン・ケーキにミルク・ティーを毎日のように飲んでいた(写真1)。
 ランタン谷ゴラタブレのパン・ケーキ(写真1)は380ルピー(R)であったが、興味をもっていたミルク・ティーの一杯の値段は130Rで、出発地点のシャプルーで1杯50Rだったが、さらにランタン谷の上流のキャンジンでは150Rへ値上がりし、その途中では、シャプルーからキャンシンに向かうにつれて、1杯のミルク・ティーの値段が次第に高くなっていた(写真2)。
 1杯のミルク・ティーの値段といえば、早朝のカトマンズの街角の茶店では20Rで飲めるが、旅行者が行くカトマンズの桃太郎レストランでは70R、またポカラのジャーマン・ベーカリーでは50Rしたので、ランタン谷の出発地点のシャプルーでの1杯50Rはネパールの都市なみの値段であるといえる。

写真2 ランタン谷の調査ルートと各地のミルク紅茶代金(カッコ内の数字)

写真3 ランタン谷各地の飲食代(ルピー)、シャプルーからの距離、標高、位置*の変化 *北緯・東経の6桁の数字の左2桁が度数、中2桁が分数、右2桁が秒数を示す。

 さらに、ランタン谷の各地点の1杯の ミルク・ティーの値段の変化をまとめると、出発地点のシャプルー(標高1443m)での50Rが、シャプルーからの距離が6~15キロ、標高が1000mまで高くなるティワリとバンブー、ラマ・ホテルでは100ルピー(R)、距離が22~31キロ、標高が1500~2000mまで高いゴラタベラとランタンでは130R、距離が37キロ、標高が2450mほどもあるキャンジンでは、出発地点のシャプルーの値段の3倍の150Rへと値上がりしているのである(写真3)。
 ランタン谷の出発地点のシャプルーからの距離と標高が増していくに従って、1杯の ミルク・ティーの値段がはっきりと高くなっていく(写真4)のは、実に明瞭な経済原理であるが、基本的には大変な労力をともなう輸送コストを反映したものにほかならないであろう。

写真4 ランタン谷の紅茶代金変化図

写真5 ランタン谷の森林地帯を行くラバ輸送隊の一行

 ランタン谷では、2015年春の大雪崩災害後の復旧作業や観光事業の再開発にともなって物資輸送が活発化してきているのであろう。ランタン谷の調査期間中には、下流の森林帯の中でも、また上流の高山地帯でも、毎日のように物資を運ぶラバの一行にすれちがったものだ(写真5)。また、上流のランタン村周辺でも、 被害を受けたランタン村近くの荒涼とした高山地帯の雪崩堆積物の上をラバの一行が谷の上流に向かって物資を輸送していた(写真6)。

写真6 森林地帯(右上)をぬけ、ランタン村の雪崩堆積物を行くラバ輸送隊の一行

写真7 カトマンズ大学食堂のダル・バート

3)ダル・バートの値段変化
   カンティーンと呼ばれているカトマンズ大学食堂の典型的なネパール料理は、ネパール語のダル・バート(写真7)*で、1)章でふれたようにダルは小豆スープ、バートはご飯のことである。バイキング形式なので各自が(1小豆スープと2インド米のような細長いご飯、3野沢菜のような葉物野菜の煮付け、4大豆スープ、5キューリ、6ニンジン、7漬物、8そば粉の薄揚げ物)を食器に取り入れるが、かなりの人が山盛りのご飯を食べている。最近のネパール人男女にはお腹の出た人が多いのもうなずける。
*2017年ネパール通信17 余話4
何を食べていたのか-ネパール効果-?
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/17topic4-food-in-nepal/

 そのダル・バートであるが、カトマンズ大学の食堂では従来の50R(約55円)から10R値上がりし、60Rになったが、カトマンズの庶民的なレストランでは大学の3倍程度もするが、ランタン谷入り口のシャプルーではカトマンズの観光客用のレストランと同じ程度の300Rだった。しかし、ランタン村への途中のバンブーまで来ると500R、さらに登って、ランタン村周辺のゴラタベラとキャンジンでは600Rにまで値上がりしていた(写真3)。ただ、ダル・バートの内容はランタン谷は言うに及ばず、ネパール中どこでも、1小豆スープと2インド米のような細長いご飯、3野沢菜のような葉物野菜の煮付け、4大豆スープ、5キューリ、6ニンジン、7漬物、8そば粉の薄揚げ物(写真8)の内容で、さすが、どこでも共通のネパールの国民食の感がある。友人のハクパ・ギャルブさんが「2年前の地震災害を乗り切れたのもダル・バートのお陰」と言うほどネパール人とは切っては切れないメニューなのであろう。

写真8 ランタン谷入り口のシャプルーのダル・バート

写真9 シャプルーのホテルのメニュー(黃線内はダル・バートの代金を示す)

 そのダル・バート の値段をホテルのメニューで見ると、シャプルーでは300Rとなっている(写真9)が、2013年の東ネパールのクンブ氷河周辺のホテルでは600Rであった(写真10)。この値段は2017年春のゴラタベラとキャンジンの値段と同じだが、物価上昇の激しいインフレ状態の現在のクンブ地域ではさらに値上りしているかもしれない。カトマンズの庶民的食堂では野菜のダル・バートが150R、外国人旅行者がよく行く桃太郎レストランでは330Rであることを考えると、ランタン谷やクンブ地域などのヒマラヤの調査地域ではカトマンズのダル・バートの値段の2~3倍になっていることを覚悟せねばなるまい。ヒマラヤ地域のダル・バート やミルク・ティーの値段にみられるような地域的な物価高はライト・エクスペディションにとって厳しい条件になっている。

写真10 クンブ地域のホテルのメニュー(黃線内はダル・バートの代金を示す)

写真11 1971年のウツセ・レストランと現在のウツセ・ホテルの主人ウゲン・ツェリン・ラマさん

4)食事代の時間的変化
 カトマンズの繁華街ターメルの中心近く、旧王宮ヘ通じる道の北側にあったウツセ・レストランの1971年の写真(写真11)はチベットのギャンツェ出身の店主ウゲン・ツェリン・ラマさん(写真11の右下)から教えていただいた。ウツセ・レストランには1970年代初めからお世話になっていて、1980年のチベット調査時に訪れたギャンツェの写真を届けると、チベット亡命者の彼は故郷の写真を見て、大変に喜んでくれたものであった。
 その彼が所持していた1982年のウツセ・レストランの領収書(写真12)を上から見ると、チキン・カレーが9R、ポーク・フライド・ライス2つで15R、多分ミックス・ベジタブル・フライド・ライスが2つで10R、つまりそれぞれのメニュー1つづつが9R、7.5R、5Rであったことが分かる。 当時のドルの両替レートは1$=10R前後だったので、現在の1$=100R程度とくらべると、当時のルピーのドルに対する価値は現在よりも10倍ほど高かったことを考えると、当時の1人の食事代は50~90Rで済ますことができていた、と解釈できる。ところが現在のウツセ・レストランの同様のメニューでは、1人1食、400R程度はかかるので、1980年代に比べて少なくとも4倍以上の物価上昇が進行しているようだ。日本の場合は、1980年代はじめの消費者物価指数*が現在の8割程度なので、当時にくらべると、物価上昇率は約1.3倍だから、ネパールの物価上昇がいかに大きいかをしめしている。さらに驚いたのはクンブ地域の人件費の高騰ぶりで、氷河調査を始めた1970年代当初のポーター代は1日10~20Rであったが、2013年にクンブ地域に行ったときには、1日1000Rにもなっていた。
*日本の消費者物価指数の推移
http://ecodb.net/country/JP/imf_cpi.html

 そのような物価上昇ため、現在のネパールの人にとってもカトマンズは住みづらくなり、故郷の村に戻ることを余儀なくされていることも報告*されているのであるが、今回考察したヒマラヤのライト・エクスペディションを実施するにあたっての問題点から明らかになったのは、地域的・時間的に著しい物価上昇が続くネパールでは、その実施がかなり厳しい状況になってきていることを自覚せねばならない。そのことは、現地住民の大多数にとっても同様な影響をあたえ、ひいては一種の経済難民が発生し、すでに起こっている環境難民(追記1)とともに大きな課題になる可能性もなくはない、と思われる。
* High cost of living sending families back to villages
June 03, 2009
https://thehimalayantimes.com/opinion/high-cost-of-living-sending-families-back-to-villages/

写真12 1982年のウツセ・レストランの領収書

追記1 環境難民
 地球温暖化の進行で氷河が縮小したため、水資源を失ったネパール・ヒマラヤ中央部のムスタン地域の住民は7年前に下流の地域に移動せざるをえなくなったことが報告(下記)されている。このような環境難民の発生は温暖化の進行とともに、ヒマラヤ地域だけではなく、ヒマラヤを起源とする南アジアの大河川流域にもおよんでいくことであろう。

Nepal's first climate refugee village in Mustang
Published on 2010-06-01
AKANSHYA SHAH
http://archives.myrepublica.com/portal/?action=news_details&news_id=19341

追記2 大名旅行
 新しい情報をいつも送ってくれる極地研究所の矢吹裕伯さんのファイス・ブックに下記の”中国の金持ち、最新のはやりは「船をチャーターし南極で年越し」”の記事が報告されているが、これなどは今回考察したライト・エクスペディションの対極になる大名旅行の一種であろう。

Record China / 2018年1月11日 1時40分
https://news.infoseek.co.jp/article/recordchina_RC_426877/

2017年12月31日日曜日

2017年ネパール通信24 余話11 年賀状


2017年ネパール通信24 余話11
Season's Greetings

 

写真1 Season's Greetings(1)

-皆さまにとりまして 2018年が すばらしい年に なりますように-

皆さまへーーー伏見です

昨春はカトマンズ大学の講義(1) 、国際山岳博物館の展示更新(*2)
を行うとともに、雪崩の災害に見舞われたランタン村周辺の現地調査と
キャンジン地域のキムシュン氷河の末端変動を明らかにしました(*3)
さらに、ヒマラヤの写真43046枚のデータベースを整備しました(*4)
1  http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
2   http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/pokhara-memorial/
3   http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/2017-4/   
4  http://glacierworld.net/gallery/
追伸
このメイルはブログ「氷河へのお誘い」*関係者へ配信しています。
年賀状と重複してうけとる方々におかれましては何卒ご容赦ください。
*氷河へのお誘いのブログ
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/

写真2 Season's Greetings(2)

写真3 Season's Greetings(3)
  
Dear hearty friends,
A Happy New Year 2018
Hoping for Unity in Diversity!

In 2017, I made a lecture at master course in Kathmandu University(*1, a renewal of exhibition at International Mountain Museum in Pokhara(*2)and an upgrading of Glacier World photographic database more than 43,000(*3).
1  http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
2  http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/pokhara-memorial/
3  http://glacierworld.net/gallery/
PS
I would like to express my sincere wishes to you all for the prosperous recovery and worldwide peace in the NEW YEAR 2018.  “Good Luck and Better Build Back” to you all from Hiroji Fushimi. 

写真4 Season's Greetings(4)

2017年12月13日水曜日

2017年ネパール通信23 余話10  ネパールの交通事情の変化と課題

2017年ネパール通信23 余話10 

ネパールの交通事情の変化と課題




1)はじめに
 自動車や飛行機などの交通機関のお世話になるかぎり、どこの国でも交通事故のリスク (危険性)を避けることはできない。ネパールとて例外ではないが、どうやら、ネパールの交通事故のリスクは高いのではなかろうか、というのが実感である。つい1ヶ月半ほど前も、「バスが川に転落、31人死亡」の記事*がでていた。「大勢の乗客を乗せたバスが川に転落し、子供を含む31人が死亡した」とのことである。
* バスが川に転落、31人死亡=ネパール
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017102800628&g=int
 この事故に関しては、「ネパールでの交通手段は、安易に値段だけで決めず、天候、季節、道路運行状況、風評等を考慮して慎重に選んで移動してください」と指摘する一方、結びとして「道路事情も、運転手のマナーも悪いネパールでは、このような事故が割と頻繁に起きます。回避するためには、利用しないのが一番かもしれません」と報告*されてはいるが、交通事故のリスクがいかに高いとはいえ、調査やトレッキングの旅行をするために、自動車や飛行機に乗らざるをえないのも現実である。
* ネパール夜行バスの重大事故発生に伴う注意喚起
https://tokuhain.arukikata.co.jp/kathmandu/2017/10/post_251.html
 1960年代のポカラは、自動車道路がなく、歩道のみ、従って自動車による交通事故も大気汚染もなく、仰ぎ見るようなマチャプチャリ峰を中心にしたアンナプルナ連峰が望まれる眼福的な田園景観そのものだった。当時のポカラに行くには、カトマンズから1週間かけてトレッキングで歩くか、アメリカのダグラス・エアクラフト社が1930年代に開発したネパール航空のプロペラ旅客機DC3機に小1時間ほど乗って行くしかなかった。そのポカラ空港といえば、1960年代には牛の放牧場の草原だったが、現在では近代的に整備され、ジェット機が行き交う飛行場に大きく変わっている。
   そこで今回は、そのように大きく変化してきた航空交通事情の光と影、および同時に引きおこされた世界的といっても過言ではない凄まじい自動車公害に見舞われているネパールの地上交通事情の課題について、1960年代以降のヒマラヤ写真のデータベース*を使って「ネパールの交通事情の変化と課題」を報告するとともに、交通事故のリスクへの対応についても体験的に考えてみた。
* Gallery(写真データベース)
http://glacierworld.net/gallery/

2)カトマンズ盆地の交通事情
写真1 カトマンズ盆地内の交通事情(1)

 1970年代までのカトマンズ市内はインド製の自動車、アンバサダーのトラ模様のタクシーなどが走っていたが、交通渋滞とは無縁の自転車天国、また街中いたるところに住んでいた牛天国で、典型的な田園都市であった。ただ当時でも、インド製の三輪タクシーは真っ黒な排気をだし、カトマンズの環境汚染の先駆けになったのである(写真1の左上)。しかし、カトマンズの環境汚染の持続的改善に努めてきてくれていた牛さんたちは環状道路の外側に追い出されると、爆発的に増えた車が、牛さんたちが阻んでいたバザールの狭い商店街までにも侵入してきたのである*(写真1の右上)。悪名高い三輪タクシーは廃止になり、土産の玩具になっている(写真1の左下)が、今ではアメリカ援助の影響もあり、排気を出さない電池による三輪乗合自動車が走っている(写真1の右下)。
*2017年ネパール通信20  余話7
ネパールのトイレ・ゴミ事情から考える
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/20-episode7-toilet-gabbage/
 写真2は 電池による三輪乗合自動車の乗り場風景(写真2の左上)で、マスクをした運転手のハンドル前には貯金スペースがある((写真2の右上)。料金は距離によって違うが、10キロほどで20円程度で、どこでも乗り降りできる。料金が通常のタクシーの20分の1程度の便利な交通手段なので、車内はいつもすし詰め状態だ*((写真2の左右の下)。
*2017年ネパール通信21  余話8
カトマンズ盆地の大気汚染
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/21episode8-air-pollution/

写真2 カトマンズ盆地内の交通事情(2)

写真3 カトマンズ盆地内の交通事情(3)

 電池による三輪乗合自動車のフロント・ガラス越しに他の同型車も走っているのが見える(写真3の左上)ように、環境に優しく安いこの車は市民の足になっており、日中の酷暑でランニング・シャツで運転する一般のガソリン・タクシー(写真3の右上)に乗る市民は少ない。ガソリン・タクシー車で評判なのは、ボデーが丈夫で、自分で修理できる1973年型トヨタ・カローラだそうだが、現在ではインド製のマルチ・スズキがカトマンズの町を闊走している。カトマンズの街から約30キロの郊外ドゥリケルにあるカトマンズ大学までは毎朝8時にスクール・バスが出て、夕方5時に戻る(写真3の左右の下)ので、大学の研究室は午前9時に始まり、午後4時には閉まる。
  カトマンズの街と大学のある郊外ドゥリケルの間の車の渋滞と大気汚染は著しく、オートバイと自家用車やバスなどによる大渋滞(写真4の左の上下)は毎日のようにくりかえし、大学への手前の峠では凄まじい黒煙を撒き散らすトラック(写真4の右上)や砂塵を巻き上げるバス(写真4の右下)のすぐ後ろをバイクの運転手が追いかけているのもいつもの光景である*。
* 2017年ネパール通信3(写真報告)
「カトマンズ大学にきました」
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/2017-3/
 
写真4 カトマンズ盆地内の交通事情(4)

3)カトマンズ盆地外の交通事情
写真5 カトマンズ盆地外の交通事情(1)

 カトマンズ盆地をでると、道路事情が悪くなり、ランタンからのバスは狭い道でトラックとのすれ違いがうまくできずに、擦り傷が痛々しい(写真5の13~14)ほどだった。ポカラに向かう道中では、交通事故の現場にしばしば出会うのである(写真6の25~28)。従って冒頭に述べた「バスが川に転落、31人死亡」の記事がますます現実味を帯びるのであるが、飛行機のトリの眼では見ることにできないネパールを知るために、交通事故のリスクを知りながらも、ムシの眼のバス旅行を行っている。事故のリスクの高いネパールのバス旅では、いつ何時事故にあうのかも知れぬ。これまで事故に巻き込まれなかったのは幸いとしか言いようがないほどだ。そのため、最後の「6)事故への対応」が必要になる、と考えている。

写真6 カトマンズ盆地外の交通事情(2)

4)環境汚染への影響
写真7 環境汚染への影響(1)

 写真4でふれたように、整備の悪い自動車の黒い排気はネパールの大気汚染*の一因になっており、カトマンズ盆地内ではいたるところで黒煙を吐き散らすトラックなどがあり(写真7)、雨が降ると、自動車の排気中に含まれる毒性物質も道路から畑などへ流出し(写真7の19と20、写真8の21と22)、そのためダイオキシンなどによる二次的な環境汚染を人体におよぼす可能性が心配される。
*2016年ネパール通信6
カトマンズからポカラへ-スモッグの原因ー
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2016/nepal2016_07smog/
 バス会社の中で、グリーンライン・ツアー社の旅行バスは無理な急発進などもしないため黒煙なども出さないので、”グリーン”に名前の通り環境にとっても良いことにくわえて、無理な無謀追い越しなどもしないため、事故のリスクが低いと思われるので、お勧めしたい交通機関である。料金は他のバスよりも少し高いが、カトマンズ・ポカラ間の旅行では、行きは右窓席・帰りは左窓席を予約し、トリスリ川とマルシャンディー川を見るために*毎回利用している(写真8の23と24)。
*2017年ネパール通信16 余話3
カトマンズ・ポカラ間の河川環境の変化
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/topic-3/

写真8 環境汚染への影響(2)

5)飛行機・飛行場の事情
写真9 航空便の事情(1)

 冒頭の「はじめに」で述べた1960年代のポカラ空港は牛の放牧場だったので、飛行機が来ると、牛飼いが牛を草原の滑走路から追いはらって、 DC3機が着陸するというまさに牧歌的な環境であった(写真9の左上)。その空港も今では近代的の舗装され、晴天時にはひっきりなしに飛行機が到着し、たくさんの旅行客をポカラに運んでいる(写真9の右上)。自動車による地上交通の時代を経づに、いきなり飛行機時代に突入したという歴史は開発途上国に見られる現象であるが、いわゆる系統発生を繰り返さずに、新しいシステムに移行しており、さらにこのポカラの飛行場の近くには、近い将来、中国の援助で大型のジェット機が離着陸できるカトマンズのような空港が新たにできるとのことである。
   1970年代までのカトマンズ空港(写真9の左下)も現在では整備され(写真9の右下)、連日多くのジェット機がヒマラヤ目当ての観光客を運んでいる。まさに、新たな技術時代、いわば、外国援助によるデジタル社会の到来ではあろうが、緊急の事故発生時などの場合には、自国で積み上げたアナログ社会の経験のない脆弱性を感じるのである。つまり、ネパールでよく見られることであるが、各地に散在する故障したままの外国援助の新型機器のように、十分に使いこなせなくなることを危惧する。2015年3月にはトルコ航空機の着陸失敗の事故が起こり、1週間ほど空港が閉鎖されたので、再会を約束していた友人のKさんは日本からバンコックまでせっかく来てくれていながら、カトマンズに飛ぶことができずに、日本へ引き帰して行った。さらにさかのぼるが、1992年7月と9月にはタイ航空とパキスタン航空が事故を相ついで起こし、それぞれ100名以上の乗客が命を落としているのである。
   最近のカトマンズで最も普及している新しいインド製のマルチ・スズキのタクシーを運転するネパール人は、「新しいマルチ・スズキよりも1973年製のトヨタ・カローラのほうが良い。新しい車はデジタルで、故障するとお手上げだが、73年製カローラは(アナログなので)故障しても自分で直せるからだ。それに、車体が頑丈なので、自家用車として今でも大切にしている」と言っているのだが、そのタクシー運転手の言葉からくみ取れるのは、古いものと新しいものの共存、まさに系統発生の重要性を示しているのではなかろうか。その点は、何もネパールの課題としてあげつらうのではなく、日本の問題点として、古きものを捨てて新しきを追い求める、いわゆる使い捨ての日本社会にも言えることである。最近でも続出している日本企業の不祥事なども同様な問題点に根ざしているのではなかろうか。
 世界最高峰のエベレストがあるクンブ地域のルクラ飛行場では、カトマンズ空港からツイン・オッター機に乗り(写真10の左上)、ドゥドゥ・コシ(川)左岸のモレーン上に着陸(写真10の右上)するスリル満点の体験をすることができる。この飛行場はエベレスト峰登頂者のヒラリーさんたちが援助してできたクラシックな山岳飛行場の代表のようなたたずまいで、狭いドゥドゥ・コシ(ミルクの川)の上り勾配のラン・ウェイに着陸するのだが、急変する悪天候の時には、しばしば事故が発生する。現在のルクラ飛行場に着陸(写真10の左下)して、まず目に入るのは、かつては想像だにしなかった、空席待ちをしているアルミ缶やガラス瓶などの再生資源用のゴミ袋(写真10の右下)であった。エベレスト地域への急激な観光客の増大にともなって生じたゴミ問題が新たな環境課題*になってきていることを示している。
*2013年秋ネパール調査
2013秋調査旅行余話(2)
トイレ・ゴミ箱・簡易洗浄器
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2013/2736-2/ 
  
写真10 航空便の事情(2)

写真11 航空便の事情(3)

 1970年代の氷河調査では、トリの眼観測と称してマウンテン・フライト用のピラタス・ポーター機などをチャーターし、ネパール・ヒマラヤ上空を30時間ほど飛び、1万枚ほどの氷河などの写真を撮影した。ピラタス・ポーター機を操縦するのはスイス人パイロットのウィックさん(写真11の左上)で、ムシの眼では入ることのできなかったネパール北西部からチベットのグルラマンダータ(ナムナニ)峰と聖山カイラス峰(写真11の右上)地域の撮影をはじめ、温暖化で氷河縮小・水資源減少のため村を移動せざるをえなくなった環境難民問題に見舞われているネパール北西部のムスタン地域(写真11の左下)などの航空観察を行うことができた。航空機による広域的な写真情報は貴重な環境情報を含んでおり、ネパールへの行き帰りは、できるだけヒマラヤの写真を撮ることに努めている。写真11の右下の航空写真は、ネパールの南部地域一帯が大気汚染のスモッグに覆われている光景*で、カトマンズ空港への着陸直前の大気環境を示している。
* 「ネパール2015年春」調査(1)
クアランプールからカトマンズへ
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2015/nepal2015_01kul-to-ktm/
 写真12は 今春のネパール調査を終了した6月初めのクンブ地域の8000m峰の航空写真である。エベレスト峰やローツェ峰が上、チョー・オユー峰が左下、そしてマカルー峰が右下で、飛行機が8000mの高度を飛んでいるので、チョー・オユー峰は下に見て、ローツェ峰やマカルー峰は水平に、エベレスト峰は仰ぎ見るような角度で、モンスーンの雨期の初めの降雪で白くなっていたそれらの8000m峰を観察することができた。ヒマラヤを眺めるための飛行機の席は、カトマンズに向かう飛行機では右側、カトマンズを離れる時は左側を予約し、エベレストなどの神々の座を眺めるのが楽しみである。迫力のある神々の座を眺めるためには、格安航空のクアランプールからのエアーアジア機の南からのルートよりも、昆明からの中国東方航空機の東からのほうが、エベレスト山群などにより近く、高度も高く飛ぶので、天気さえ良ければ、写真12のような写真が撮れたのは「眼福」であった。ついては、写真12の画像をネパール人の友人たちに今年の年賀状として送ろうと考えている。

写真12 航空便の事情(4)

6)交通事故のリスクへの対応
  「ネパール・ヒマラヤ上空を30時間ほど飛び、1万枚ほどの氷河などの写真を撮影した」と前述したが、その間には危ない経験をしたこともある。エベレスト峰から流れるクンブ氷河の撮影時には、上空の偏西風(ジェット)が強く、飛行機が何回も上下に激しく揺り動かされ、メンバーの一人は気分が悪くなり、吐き出すほどだった。だが、幸いなことに、1970年代の隊員たちには飛行機や自動車の交通事故で命を失った者はいない。さりとて、将来は事故にまきこまれる可能性は否定できないので、その対応として保険に入ることにしている。
 毎回のヒマラヤ調査行に際しては、不慮の事態を想定し、保険(海外旅行・団体登山・航空会社)をかけることにしているが、高齢者の3ヶ月以上の海外旅行保険は、飛行機の割安切符代よりも高額になっている。旅行(従って保険)期間を3ヶ月以内にすることがライト・エクスペディション*にとって費用を安くするために必要になる。ただし、ぼくのように心臓手術などをした人は疾病補償に関する保険の制約がさらに厳しい。
*2017年ネパール通信5
ランタン村周辺の雪崩災害と災害地形などについて 4)おわりに
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/lantang-disaster/
   また、不慮の事故に見舞われた際、現地の大学ないし病院に検体として提供することを考えていたが、カトマンズで検体に関する情報を収集したところ、日本とは違って、ネパールでは検体数が充足しているので、検体申請は歓迎されないとのことである。そこで、その点は出発前に書くことにしている遺書からはずし、“現地では遺体を荼毘にし、地元民がするように、水葬にすること。日本では、死亡通知は出さずに、葬式は内々で行い、 戒名などは不必要、また何回忌などもしないように。”と書き残すことにする。

2017年10月6日金曜日

2017年ネパール通信22  余話9 写真データベースの整備と立山雪渓の変化



2017年ネパール通信22  余話9

写真データベースの整備と立山雪渓の変化

 

添付写真 室堂から一ノ越の中間地点から望む紅葉のナナカマド越しの立山本峰(雄山)

紅葉時期の10月2日から5日まで立山カルデラ砂防博物館で干場悟さんにお願いし、1)写真データベースを整備することができました。また、4日午後は室堂から一ノ越まで散策し、従来から定点写真を撮っていた2)浄土山北面の雪渓の変化を調査しました。

1)写真データベース

写真1 北極地域のスバルバール(スピッツベルゲン)島の氷河
ノルウエイのスバルバール(スピッツベルゲン)島のニーオルソンおよびロングイヤービーン周辺で1993年8月に氷河調査を行った。

  「氷河の世界」の写真データベース*の一環として、新たにA)北極地域(438画像)、B) ヨーロッパ(594画像)、C)カラコラム(213画像)とD)チベット(34画像)の写真1279画像を追加し、写真データベースには総枚数う43046画像の「氷河の世界」の写真が整備できました。下記はその一例です。どうぞ、ご覧ください。
*gallery
http://glacierworld.net/gallery/

写真2 ヨーロッパのアルプス(マッターホルン周辺)の氷河
2011年9月の「アルプス3大名峰スイスの旅」ツアーに参加し、ドイツ・スイス・フランスのアルプス地域の山と氷河を観察し、1965年の自転車旅行時の状況と比較し、著しい氷河縮小を確認した。

A)     北極地域のスバルバール(スピッツベルゲン)島(添付写真1)
1993Arctic
http://glacierworld.net/gallery/Arctic/1993Arctic/C07B04S15/index.html
B) ヨーロッパのアルプス(マッターホルン周辺)(添付写真2)
2011Europe_13
http://glacierworld.net/gallery/Europe/2011Europe%20%28Alps%29/2011Europe_13/index.html

写真3 カラコラム(K2峰周辺)の山と氷河  
2011年9月の旅行ツアー「アルプス3大名峰スイスの旅」の最後に、ドバイから関西空港までの飛行機がカラコラム山脈を通過したので、K2峰周辺などの山や氷河地域を撮影することができた。

C) カラコラム(K2峰周辺)(添付写真3)
2011Karakoram_03
http://glacierworld.net/gallery/Karakoram%20%28Dubai-Osaka%29/2011Karakoram_03/index.html
D)  チベット(エベレスト峰周辺)(添付真4)
2001Tibet02
http://glacierworld.net/gallery/Tibet/2001Tibet/2001Tibet02/index.html

写真4 チベット(エベレスト周辺)の山と氷河
2001年8月から11月にわたるロシア・モンゴル・中国・ネパール・インドの調査期間中の9月29日に、ラサからカトマンズへの飛行からチベット側およびネパール東部クンブ地域のエベレスト峰周辺の山と氷河を撮影した。

2)浄土山北面の雪渓の変化
浄土山北面の雪渓の変化を調べるために、10月4日午後に定点写真の撮影地点の一ノ越に到達した時点で、残念ながら、雲が湧き上がってきて良い写真撮影ができませんでしたので、一の越山荘の野口賢一氏にこれまでに撮った写真を渡して、晴れた時点で同様の写真撮影後、メイルで送ってもらうことをお願いしたところ、早速、雲がなくなった当日の日没時の雪渓写真を送っていただきました。送っていただいた写真は日没時に撮影されたため暗く雪渓の形が不鮮明たったので、画質調整をしたうえで、雪渓の形を復元し、従来の調査結果から明らかになった雪渓の変化図*に投影したところ、ほぼ同時期の2014年10月10日の雪渓規模よりも2倍程度大きいことが分かりました(添付写真5)。また、2006年と2014年の8月の同時期の雪渓規模を比較すると、2006年のほうが2倍以上大きかったことを示し(添付写真5)、年々の変化が大きいことが分かるとともに、2014年の雪渓規模がこれらの3年の中では著しく小規模だったことを示しています。
*立山・御前沢調査
http://glacierworld.net/regional-resarch/japan/tateyama/tateyama5/
 

写真5 浄土山北面の雪渓の経年変化

3)お礼
前述の干場悟・野口賢一両氏および、立山カルデラ砂防博物館の飯田肇・福井幸太郎両氏はじめ皆さま方に大変お世話になりましたので、改めて、お礼申し上げます。

付記(2017年10月20日)
   一ノ越小屋から室堂方面への下り口にある道標から撮影された野口賢一と干場悟両氏の10月4日と10月18日の浄土山北面の雪渓の写真を掲載します。

写真6 野口さんが撮影した浄土山北面の雪渓(2017年10月4日午後5時30分)

   浄土山北面の雪渓の規模は10月4日から10月18日にかけてさらに縮小しましたが、干場さんの情報では10月16日に新雪が立山地域に降ったのに加えて、さらに、今後台風21号接近前後の降雪が覆えば、浄土山北面の雪渓は10月18日の規模で越年すると考えられます。

写真7 干場さんが撮影した浄土山北面の雪渓(2017年10月18日午前11時23分)