2024年3月18日月曜日

木崎さん (4)―文章のわかりやすさについてー

木崎さん (4)―文章のわかりやすさについてー (注)

 

1)  はじめに

「木崎甲子郎先生追悼集」(参考資料)が刊行され、木崎さんの著作の全体像がほぼ明らかになった。それによると、木崎さんの著書は、1972年から2012年の40年間に、「南極大陸の歴史を探る」や「海に沈んだ古琉球」そして「ヒマラヤはどこから来たか;貝と岩が語る造山運動」など南極・沖縄・ヒマラヤに関係する本、16冊が出版されている(第1図)。その他に、「木崎甲子郎語録」に取り入れられた探検などに関する少なくとも16の報文(第2図)もある。かなりの書き手であったようだ。

その木崎さんは自慢話をする人ではなかったが、たった一度だけ、「俺の文章はわかりやすい、と言われているんだ」と、ややはにかみながら、もらしたことがあった。それは、なぜなのか。そこで、「木崎甲子郎語録」から「探検と人」(第2図の黄色部分)の報文を例にして、木崎さんの文章の「わかりやすい」原因を探ってみた。

 

第1図 木崎さんの著書リスト           第2図 木崎甲子郎語録の報文リスト

 

(参考資料)

木崎甲子郎先生追悼集

木崎甲子郎先生追悼集編集委員会

20243

 

(注)

木崎さんに関する僕の報文は下記の通りである。

ヒマラヤの木崎さんのことなどー思いつくままにー

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2022/04/blog-post.html

木崎さん (2) ー思い出ー;二題

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/03/blog-post.html

木崎さん (3) ー思い出ー;二題(英訳)

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/04/aach14.html

 

2)  文章の文字に関してー漢字率の低さー

かつて僕は琵琶湖研究所で広報を担当し、吉良竜夫所長から文章の手ほどきを受けた。その研究所の出版物の原稿を読んだ吉良さんが訂正の赤字を入れると元原稿が真っ赤になることがしばしばあった。その一人として当時京大教授だった岩坪五郎さんを例にするのは恐縮だが、彼は真っ赤になった元原稿を見て、京大山岳部の彼の大先輩にあたる吉良さんに敬意を表しつつも、「記念に保存しておきたい」と述べていたことが印象にのこる。吉良さんは、「大興安嶺探検 (朝日文庫)」を結核闘病中にひとりでまとめ、今西錦司隊長はその内容を高く評価したといわれていたそうだ。そのことは、吉良さんの文章力がすばらしいことを示す、と思う。その吉良さんは、梅棹忠夫さんたちとローマ字運動を行うなど言葉の問題に関する造詣が深く、文章の読みやすさ、従って分かりやすさのために、漢字の割合を30%程度にするのが良い、と提唱していた。いわゆる、漢字率である。そこで、吉良さんの指摘にのっとり、「探検の人」の初めの部分の漢字率を検討した。

まず、下記1の「探検の人」初めの部分は文字数が732であることを確認する。

記1

探検と人

1984年夏、琉球大学海洋学科の学生を中心としたグループがドラム缶いかだを作って、沖縄牧港から出港し、黒潮に乗って北流し、17日間かかって鹿児島山川港に無事着いた、という出来事がありました。

その時の新聞のコラムに「11管区海上保安庁の中止勧告に反対してでかけたのは、若さの情熱のせいだろう」とか「無謀を厳につつしめ」というようなことがのべてありました。無用のお節介というものです。

その前年、やはりドラム缶いかだで、出航はしたものの、低気圧の嵐に遭い、流されて本部半島北側のリーフに打ち寄せられ、海上保安庁のヘリコプターに救助されて終わりました。そのことを、その新聞のコラム氏は「海上保安庁の忠告もきかないで、無謀のきわみだ」などと、暴走族に対するようなさんざんな言い方でした。

これを読んでわたしは、この人はなにも知らないのだなあ、と思ったものでした。

じつは、私はこの計画に少し縁があって、というのは以前からフィリピンを出て沖縄まで、いかだで黒潮に乗って漂流する航海を、沖縄の学生の手でやりたいと思って、講義の合間にその話などしていたのです。その前段階として、沖縄―鹿児島漂流もいいだろうと、この計画を応援していたわけです。

そんなかかわりあいで、かれらの計画書をもって、海上保安庁に許可を求めにいったのです。そのとき海上保安庁としては、薦めることはできないが、規定を守り、緊急無線設備を完備すること、非常用のゴムボートを積むこと、などの安全基準を守ってくれれば禁止することはできない、というような話でした。

そして、個人的な話になると「若い者がこういうことをするのは、いいですね。ひとつ頑張ってください」などと励まされたりして、おおいに気をよくして帰ってきたものでした。

 

 次に、記1の文章中の漢字の数は下記2の通り212字であることを確かめた。

記2

漢字率

探検人

年夏琉球大学海洋学科学生中心缶作沖縄牧港出港黒潮乗北流日間鹿児島山川港無事着出来事

時新聞管区海上保安庁中止勧告反対若情熱無謀厳無用節介

前年缶出航低気圧嵐遭流本部半島北側打寄海上保安庁救助終新聞氏海上保安庁忠告無謀暴走族対言方

読人知思

私計画少縁以前出沖縄黒潮乗漂流航海沖縄学生手思講義合間話前段階沖縄鹿児島漂流計画応援

計画書海上保安庁許可求海上保安庁薦規定守緊急無線設備完備非常用積安全基準守禁止話

個人的話若者頑張励気帰

 

 従って、「探検の人」の初めの部分の漢字率は漢字数/全文字数;212/732=0.2929%)であることが分った。木崎さんの文章は吉良さんが提唱する「漢字の割合を30%程度にするのが良い」にかぎりなく近い、のだ。漢字率が29%ということは、逆に、ひらがな率は71%ということになり、ひらがなの文字数が多いので、記1のように、文章を見た印象が明るい。つまり、吉良さんが推奨する漢字率30%にきわめて近く、漢字が少ないので、そのために明るくなった文章が読むのを助け、文章を分かりやすくしているのではないか、と解釈できた。そのために、木崎さんは多分、形容詞や動詞にはできるだけ漢字を使わない工夫をされているように見うけられる。また、パソコン入力で自動的に漢字変換されるままにしておくと漢字率が高くなるが、手書き原稿の場合はひらがな使用の配慮が行き届くので、漢字率が低くなる傾向がみられることが影響したのかもしれない。いずれにしても、視力の衰えた白内障患者の後期高齢者で老眼の僕には、例えば記2のような漢文調の漢字率100%の暗い文章はかなわないが、ひらがな文字の多い明るい記1のような文章はありがたい。さらに、白石編集長から「10ポでまとめていますが、仕上がりは10.5ポといたします」(2024/01/31メール)との印刷文字の大きさ(ポイント)の知らせがきたが、老人のためには、せめて11ポイントぐらいの大きさだと助かるのだが、無理な注文だろうか。というのは、通常のMS明朝体の文字は線が細いので、HGP創英角ゴジックUBに変換し、かつ10.5ポイントを11ポイントに大きくして、太文字でよんでいる老眼の僕だからだ。文字が大きくなれば、余白が増え、文章がさらに明るくなる。はたして、「木崎甲子郎先生追悼集」の印刷された文章は、大きい文字で明るい印象をあたえてくれるだろうか。 

 

3)  文章の内容についてー具体的かつ論理的表現―

この追悼集の編集者の白石さんから『急遽「黒潮の国から」の中の1篇「探検と人」という講演筆記をワード化しました。ここに添付します。編集者の意見を聞かないと組み入れるページの余裕があるかどうか不明ですが、あらかじめ、皆様の了解を得たいと思います。ダメ元で聞いてみます』と伝えてきた。その理由は「私の見たところ、入稿原稿全体のボリュームは見積もりの256頁よりもやや少なめのように思います」とのことで、本のボリュームを確保するための編集方針のようであった。それにしても、元原稿が講演筆記とのことだが、話し言葉の特徴は見られず、「探検と人」の原稿は講演筆記をもとにしたとしても、あたかも木崎さんが執筆方針を練って書かれた手書き原稿のようだ。そこで僕は、ボリューム確保の量的問題はともかく、「探検と人」の文章が質的にも優れていると感じて、『木崎さんの「探検と人」を興味をもって拝見しました。彼の人生論・教育論などが凝縮されているからです。目次は必ずしも年代順でないので、巻頭に持ってきたら!さらに、予算がオーバーしても、入れるべきでしょう』とメールで答え、白石編集長の提案を強く支持した。その理由は、「探検と人」の文章には分かりやすい魅力があったからである。

それは、なぜか。

「探検と人」の内容の概略は、まず「琉球大学海洋学科の学生を中心としたグループがドラム缶いかだで沖縄から鹿児島まで到達した」際の海上保安庁などの対応は「無用のお節介」と指摘し、「堀江謙一がヨットで単独太平洋横断に成功したとき、日本側とアメリカ側の反応が正反対」だった具体的な物語を展開している。さらに、フックス隊が南極大陸横断を成し遂げた時のイギリスの対応や「ファインダーズ・フィー」(発見者の報酬)という制度があるカナダの例を紹介し、『「探検思考」の社会をめざすことが大切だ』と主張している。つまり、「探検と人」の探検観や人生論を抽象論にならずに、本多勝一・菊地徹両氏の探検観を紹介するとともに、前述の堀江謙一氏やフックス隊などの具体例を挙げながら論理的に述べているから、わかりやすい文章になっている、と感じたのである。具体的な物語の提示が読み人の感情移入を、従って理解力も高める作用があるのではなかろうか。だから、終章にむけての「教育について」・「企業も探検的です」・「探検指向の開発を」と総括していく各章でも、抽象論におちいらずに、具体的事実を展開することで読者が木崎さんの「探検思考」を納得しやすくなり、「わかりやすさ」を印象づける文章になっている、と解釈できた。

 

4)  まとめ

「文章のわかりやすさ」を考察する文章論に関しては、文体や文法などからの専門家的なアプローチもあろう。しかし、その分野に疎い僕としては、木崎さんがふともらした「俺の文章はわかりやすい、と言われているんだ」との発言内容の原因究明のために、「木崎甲子郎語録」の「探検と人」の報文を取り上げて、2)章の文章の漢字率の小ささが、そして3)章で述べた文章内容の具体的な論理性が、木崎さんの文章の「やかりやすさ」を創っている、と推論できた。おそらく、木崎さん自身は漢字率を小さくするなどの文章の書き方をきっと努力していたに違いないが、「俺の文章はわかりやすい」原因を木崎さん本人から直接教えてもらわなかったことが今となると悔やまれる。すでに、日本語などの感心するような翻訳機能を発揮している生成AIなら、漢字率30%の文章を作ることは朝飯前かもしれないが、それでは個性が死んでしまうだろう。フランスの博物学者ビュフォンの言葉だそうだが、「文は人なり」という表現もあるように、「分かりやすい」文章そのものに木崎さんの人となりが表れているのではないか。木崎さんの人柄が表れた文章を目にすると、読み人の心がおのずと開き、理解しようと努めるようになるのかもしれぬ。泉下におられる戒名「山岳院甲徳居士」の木崎甲子郎さんは、「甲徳」とともに「高徳」で、「人徳」のある人でもあったので、その人となりが表れた文章だからこそ、読み人が納得できる、従って分かりやすいと感じる文章になっていることも効いているようだ。

 

5)  謝辞

「黒潮の国から」の中から「探検と人」の報文を探し出し、「木崎甲子郎先生追悼集」の「木崎甲子郎語録」に組み入れてくれた白石和行編集長にはまずもって感謝しておきたい。ここで取りあげた木崎さんの「探検と人」が、文章のわかりやすい魅力を考えるヒントをあたえてくれたからである。

また、南極には行ったことがない僕に、全編385ページの分厚い永田武さんの「南極地域観測隊中日記―第1次~第3次南極観測隊長の「宗谷」観測日記―」が突然送られてきて、面食らったが、その「あとがき」を見ると、編集者が白石さん、出版は牧童舎の浜名純さんが明記されているので、多分彼らの思し召しがあったもの思い、白石さんに次のようにメールした。

白石大兄ーーー伏見です

南極に無関係の僕に永田武さんの分厚い日記の本が届き、内心理解に苦しんだが、あとがきを見て、大兄が編集者、牧童舎の浜名さんも関係していることを知って、その筋からの配慮かもと思っています。

 すると即座に、彼からの下記の返事が来た。

 送付の事前予告をしないで済みませんでした。私が現役の時から8年越しで完成した本です。極地研に送付先リストを出して、送ってもらいました。パラッパラとみていただければさいわいです。浜名君にはそうとう厄介になりました。この本の編集の経験が今度の追悼集の編集に役立っています。編集スタッフも同じ人たちですので。白石和行

 

 そうか、そういうことであったのか。今回の「木崎甲子郎先生追悼集」の編集長をつとめた白石さんの編集力発揮の原点は永田武さんの著書の編集経験だったことが納得できた。今回も白石・浜名両氏を中心とする共同作業のおかげで、この木崎さんの追悼集が、永田さんの本の3分の2程度の重厚本になることを実感させてくれた白石編集長には、大いなる感謝の意を改めて伝えたい。