2013年5月22日水曜日

なぜ、ネパールの大規模氷河湖は決壊しないのか


なぜ、ネパールの大規模氷河湖は決壊しないのか

ネパール中央部マナスル地域のツラギ氷河湖の水位低下現象とGLOFリスク低減機構



1. はじめに

この報告は氷河湖決壊洪水(GLOF)の可能性の評価とその対応についての考察である。対象とした氷河湖は、ネパール中央部のマナスル峰南西のツラギ氷河湖で、その規模は長さ3km、幅500m、ネパールでは大型の氷河湖のひとつである。ツラギ氷河湖はダナ・コーラ(川)に流出し、ネパール中央部のマルシャンディー河にそそぐ。マルシャンディー川中流部の峡谷には現河床に近い河岸にタール村、ダラパニ村やシャンジェ村などがあり、GLOFが発生すれば甚大な被害がでるものと危惧されている。そこで、ネパール中央部のマナスル周辺地域の氷河・湖環境変動に関する調査を、2012年秋(10月24日~11月5日)に行った。調査内容は、マルシャンディ川支流のダナ・コーラ上流のツラギ氷河・湖の環境変動である。、
氷河湖決壊洪水(GLOF)が危惧されているツラギ氷河湖のようなネパールでも有数の大規模氷河湖は、クンブ地域のイムジャ氷河湖やロールワリン地域のツオ・ロルパ氷河湖がある。ただ、ネパール・ヒマラヤではこれまで大規模氷河湖のGLOFは発生していないので、この報告は、なぜ大規模氷河湖はGLOFを発生しないのかという課題にヒントを与えるものである。ネパールでGLOFを発生しているのは、1977年のミンボー氷河湖、1985年のラグモチェ(ディグ)氷河湖、1998年のサバイ氷河湖、および2003、05,09年のガプチェ氷河湖で、いずれも長さ1km以内、堰きとめているモレーンは小規模なものものである。図はクンブ地域のアマダブラム峰の南面にあるミンボー谷(左上)の1977年のGLOF環境を示し、氷河湖が決壊(右上)し、ドゥドゥ・コシ(川)のラスワ水文観測所の水位が1mほど上昇したことを示している(右下)。氷河湖を堰きとめていたモレーンは化石氷体を含む、いわゆるIce –cored moraine(左中央)で、幅30mの末端モレーンが2か所で決壊していた(右上)。このGLOFによるミンボー谷の土砂がイムジャ川を堰きとめたので、パンボチェ村周辺には一時的に湖が出現した(左下)。

                                       クンブ地域ミンボー谷の1977年のGLOF

ツラギ氷河湖の現地調査に関しては、1996年のネパール水文気象局(DHM)と、2008年から2012年まで毎年1回行ったわれわれの調査がある。また、航空写真については、ネパール氷河学術調査隊(GEN)の1975年、および1992年の山田知充氏のものがあり、幸いなことに、ツラギ氷河湖地域は精度の良いグーグル画像が公開されているので、それらの各写真情報を現地の地形的特徴と対比し、かつてのツラギ氷河末端位置を特定するとともに、2008年以降毎年現地調査を行っているので、次のようなツラギ氷河・湖の1975年以来の変動が明らかになった。

                                 
                          1975年以降2012年までのツラギ氷河・湖の変動図

ツラギ氷河末端は1975年~1992年は31m、1992年~2005年は47m、2005年~2008年は68m、2008年~2009年は60mと加速的に後退速度を拡大したが、その後は末端位置の変動は現れていない。つまり、1975年から2009年までは末端部のカービングによって氷河は急速に後退(したがって、氷河湖は拡大)していた。2009年の調査時には、カービングで形成された氷塊が氷河湖末端部に集積し、カービング現象の活発さを示すとともに、新たなカービングで発生した小規模な津波を観察することができたが、津波の波高は30cm程度の小規模なものであった。この程度ではモレーンを浸食する営力とはなりえないが、前記のようなミンボー氷河湖、ラグモチェ氷河湖、サバイ氷河湖、およびガプチェ氷河湖のような小規模氷河湖で、上流部に急崖の地形のある場合は、上部からの雪崩や岩石崩壊が直接氷河湖に落下し、巨大津波を形成し、末端モレーンを破壊することによって、GLOFを形成するするものと考えられる。

            打ち寄せる波と引く波の周期は1分程度の津波(振幅プラス・マイナス30cm)

ところが、2010年以降2012年までは、ツラギ氷河の屈曲部付近で、末端変動は停止した状態になっており、カービング現象による氷塊も見られなくなっているので、末端部分が氷河湖底に座礁した状態になっているものと解釈できる。

2.水位低下現象

ツラギ氷河湖の水位低下現象に気がついたのは、湖岸沿いに歩いたGPSの軌跡ルートをグーグル画像に重ねて見た時だった。2009年11月8日のGPS軌跡ルートが、2005年11月5日の画像上ではほぼ湖岸から20~30mの湖中を平行に通っているので、2009年の水位は2005年よりも低くなったと考え、氷河関係者の集まりで話したところ、誤差の問題があるので、水位変化とは結びつかないのではないか、という指摘を受けたことがある。ところが、新しく公開された2011年12月30日のグーグル画像に上記の2009年のGPS軌跡ルートを載せてみると、軌跡ルートは2011年の湖岸沿いに通っているので、ツラギ氷河湖の水位は2005年から2009年にかけて低下した、と解釈できた。



    (上)2009年11月8日の軌跡ルートを2005年11月5日のグーグル画像に重ねた図
    (下)2009年11月8日の軌跡ルートを2011年12月30日のグーグル画像に重ねた図

それでは実際にどの程度水位低下しているかというと、高水位時代の汀線を示す植生のない湖岸部が湖面から2.5m上に連続的に分布していることから、最近の水位低下量は2.5m程度と見積もることができる。水位低下の原因としては、氷河湖の流出口部分がそれ以前の水位上昇時の水量によって侵食され、流出口の位置が低下したため、湖面水位が低下した可能性が高い。


 
(上)ツラギ氷河湖末端部の水位低下(左上写真はかつての水位計が干し上がっているのを示す)
(下)ツラギ氷河湖の流出口(2012.10.29)

このような水位低下現象は、ネパール水文気象局(通称DHM)が1996年に調査した時の氷河湖末端周辺の写真と2009年のものと比較しても明らかで、氷河湖末端部のグレーシャーミルクのP1部分が、水位低下によって、2009年には透明度の高い池P2に変化しているのである。


                           1996年のDHM隊と2009年の末端地域の変化

3.考察


3-1.GLOFの可能性と自律的対応機構

これまでのネパール・ヒマラヤの氷河湖決壊洪水(GLOF)の調査から、決壊した氷河湖はいずれも小規模なモレーンの層厚の薄いもので、氷河湖をせき止めている堆積物(モレーン)中の化石氷が溶けたりすれば、古くなったロックフィル・ダムのように構造が弱くなり、そこに雪崩・岩石崩壊による津波の影響が加われば、小規模な氷河のモレーン構造の脆弱性によって、末端モレーンの決壊の要因になり、GLOFを引き起こしたと考えられる。
一方、モレーン強度の高い大規模氷河湖の場合は、直下型の大規模地震でもない限り、モレーンは安定しているとともに、温暖化の進行による融雪・融氷水流入の増加がすすむなかで、結果として引き起こされる氷河湖の水位上昇に対して、(あたかも自律的に)氷河湖の流出口が水量増加で侵食され、湖面水位を低下させる現象がツラギ氷河湖で起こっていると解釈できたので、大規模氷河湖にはGLOFリスクへの(自律的な)対応機構があるのではないかと考えている。もし、この解釈が妥当ならば、ツラギ氷河湖自体が、GLOF災害の発生リスクを高める水位上昇への事前防止機能を発揮しているものといえるであろう。したがって、GLOF対策とはいえ、すでに行われてきている大規模土木工事は、各々の氷河湖の特性に対応したGLOFリスクへの(自律的な)対応機構を調査したうえで、再考すべきだと考える。
ツラギ氷河湖のGLOFリスクへの(自律的な)対応機構が働いていると解釈できることに加えて、末端部分のモレーンは層厚が100m以上と堅固な堆積物なので、末端部分を破壊する直下型の大地震でもないかぎり、GLOF発生の可能性は低いと解釈できる。このことは、クンブ地域のイムジャ氷河湖とも共通性があるので、住民に対して、いたずらにGLOFの恐怖心を煽ることは慎まねばならない、と考える。というのは、2009年春に調査したイムジャ氷河湖近くのディンボチェ村の住民代表が私たちのところに来て、「去年は氷河湖調査隊が7隊きた。調査隊は危険だとは言うが、何が、どのように危険なのかは言ってくれない。危険という言葉が独り歩きしているので、学校も発電所も病院も作ることができないで困っている。もう、調査隊はたくさんだ。」とこぼしたのを心に留めておきたい。

                        P29(ハルカ・バハドール・グルン)峰とツラギ氷河・湖(2012.10.28)

                                   ツラギ氷河湖末端の流出河川(2012.10.29)

大規模氷河湖の落ち口は初めから大きく切れていたのではないのであって、氷河からの流出口はエンド・モレーンの最上面よりも低い位置にあるということは、ここで述べたように、数mの「浸食作用を繰り返し、段階的にモレーン最上部から徐々に浸食が進んでいき、氷河湖の水位を低下させてきた、解釈できる。現在見るような流出口は何回かにわたって形成した溢流時期が複合した地形である。

                                クンブ地域ゴジュンバ氷河(1973)の右岸モレーン

また、サイド・モレーンを浸食してかつて流出したことを示す地形がドゥドゥ・コシ河上流のゴジュンバ氷河のゴキョウ付近などに認められる。かつてのゴキョウ付近のゴジュンバ氷河流出口は新たな流出口にとって代われらたため、化石的な地形となって残っている。しかしながら、ブータンのルナナ地域の大型氷河湖であるルゲ氷河湖の場合は、規模の大きなエンド・モレーンではなく、規模の小さな左岸サイド・モレーンの浸食作用が著しく進み、1994年のGLOFをひきおこしたのである。



                               (上)ルゲGLOF流出口 2002_Bhutan_C09B01S17
                               (下)ルゲGLOF流出口 2002_Bhutan_C09B01S18

参考文献

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