2013年9月20日金曜日

2013年ネパール・ヒマラヤ調査

2013年ネパール・ヒマラヤ調査


皆さまへーーーナマステ! 伏見です。

                    ホング・ヌップ氷河と氷河湖、背景はチャムラン峰。

今秋も、添付資料のヒマラヤ調査を行う予定です。歳も歳ですし、重々慎重にしなければなりませんが、何かお気づきの点などありましたらお寄せください。

PS
1)昨秋の写真を画像データベースにまとめました。ヒマラヤなどの画像総数が10万点ほどになりました。

2)干場悟さんに作っていただいたブログにくわえて、下記ウエッブ・サイト「氷河へのお誘い」を始めました。お時間があれば、随時更新中ですが、ご覧ください。
http://glacierworld.weebly.com/ (リンクから画像データベースとブログが見られます。)

3)氷河湖決壊洪水?
先日、下記ニュースを見て、クンブの橋が流されたことを知りました。そこで問い合わせたところ「原因は、元々橋が古くて流れてしまったと現地の人から聞きました」とのことです。が、さらに情報収集します。
Bridge to Mt. Everest base camp swept away (2013-08-29)
http://www.thehimalayantimes.com/fullNews.php?headline=Bridge+to+Mt.+Everest+base+camp+swept+away&NewsID=389017&a=3

4)下記のニュースでルクラ便が少なくなる問題点がでています。そのため2か月前に予約を入れたのですが、はたして飛べるか。
Fewer Lukla flights may hit trekking biz this season (2013-09-14)
http://www.myrepublica.com/portal/index.php?action=news_details&news_id=61386

それでは皆さま、季節の変わり目ですので、ご自愛のほどを。なお、この通知を再度受け取られた方々は、ご容赦ください。

                          マナスル峰南西のツラギ氷河湖。

添付資料(1)

2013年秋調査

前略
2013年の秋もネパールへ行き、ヒマラヤ調査などを下記日程で行う予定です。
目的は次の3点です。
 1) ポカラの国際山岳博物館の展示更新
    2012年秋の調査結果を新しく展示する。
 2) 東ネパール・クンブ地域の環境変動現地調査
    1970年のエベレスト・スキー隊および1973年のネパール氷河学術調査隊以来の氷河環境や住民生活などの変動を調査する。
 3) 番外編:ラオス視察
    メコン川流域の環境課題を把握する。

2013年秋調査日程

1014日 関空2335→クアランプール0520(エアーアジアD7535)*クアランプールLCCT空港にて待機
1015日 クアランプール1150→カトマンズ1400(エアーアジアD7192
1016日 カトマンズ滞在(ハクパさんの家*1泊)
1017日 カトマンズ→ポカラ(バス)
1018日~19日 ポカラ滞在(国際山岳博物館*2の展示更新;ドラゴン・ホテル*3泊)
1020日 ポカラ→カトマンズ(バス)
1021日~22日 カトマンズ滞在(ハクパさんの家*1

1023日~1116日 24日間(Day 0124)の東ネパール・クンブ地域調査(添付図参照)
1023日 Day 01 カトマンズ(飛行機)→ルクラ→パクディン
1024日 Day 02 パクディン→クンデ
1025日 Day 03 クンデ停滞
1026日 Day 04 クンデ→タンボチェ
1027日 Day 05 タンボチェ→ディンボチェ
1028日 Day 06 ディンボチェ→ハージュン→ゾンラ・キャンプ
1029日 Day 07 ゾンラ・キャンプ→チョ・ラ→ゾンカ・キャンプ
1030日 Day 08 ゾンラ・キャンプ→コンマ・キャンプ
1031日 Day 09 コンマ・キャンプ→チュクン
1101日 Day 10 チュクン→アンブラプツァ基部キャンプ
1102日 Day 11 アンブラプツァ基部キャンプ→アンブラプツァ峠偵察
1103日 Day 12 アンブラプツァ基部キャンプ→アンブラプツァ峠→ホング谷上流キャンプ
1104日 Day 13 ホング゙谷上流キャンプ滞在
1105日 Day 14 ホング゙谷上流キャンプ滞在
1106日 Day 15 ホング゙谷上流キャンプ→アンブラプツァ峠→チュクン
1107日 Day 16 チュクン→パンボチェ
1108日 Day 17 パンボチェ→クンデ
1109日 Day 18 クンデ停滞
1110日 Day 19 クンデ→ギャジョ谷第2滝キャンプ
1111日 Day 20 ギャジョ谷第2滝→ギャジョ氷河末端氷河湖キャンプ
1112日 Day 21 ギャジョ氷河末端氷河湖キャンプ→ギャジョ谷第2滝キャンプ
1113日 Day 22 ギャジョ谷第2滝キャンプ→クンデ
1114日 Day 23 クンデ→ルクラ
1115日 Day 24 ルクラ(飛行機)→カトマンズ

1116日~17日 カトマンズ滞在(ハクパさんの家*1
1118日 カトマンズ1515→クアランプール2215(エアーアジアD7193)*クアランプールLCCT空港待機
1119日 クアランプール0735→ビエンチャン0910(エアーアジアAK1412
1120日~25日 ビエンチャン周辺のメコン川水郷地帯滞在
1126日 ビエンチャン0945→クアランプール1330(AK1413)*クアランプールLCCT空港にて待機
1127日 クアランプール0100→関空0825(エアーアジアD7532

連絡先
*1  ハクパ・ギャルブさんの家 +977-1-4017147
*2  国際山岳博物館 +977-61-460742, 460343
*3  ドラゴン・ホテル +977-61-460391, 562630
宮原巍氏(カトマンズの友人) +977-1-5526821
伏見紀子(妻)    +81-77-543-1103

追記
1)    経費節約を旨とするライト・エクスぺディション(”Lite” Expedition)実現のために、今回も格安航空エアー・アジアを利用するが、クアランプールでの飛行機乗り継ぎの際は、翌朝のエアーアジア航空のカトマンズ、ビエンチャンおよび関空へのそれぞれの便に乗るために、前夜はクアランプール(LCCT)空港でいずれも待機する。
2)    往復航空運賃は、関空・クアランプールが23700円、クアランプール・カトマンズが37995円、クアランプール・ビエンチャンが18278円で、今年の円安傾向などが影響し、昨年より2~3割高くなった。とくに、クアランプール・カトマンズ便では、チョモランマを見るために、カトマンズへ行く便は右(東)側の窓席、クアランプールへ帰る便では左(東)側の窓席を取るなど、他の便でも写真用の窓席を予約したことも航空運賃高騰に影響している。
3)    今回も予期せぬ事故のために、保険(海外旅行・団体総合生活)をかけるとともに、古希を二つも過ぎたので、念のため、次の遺書を残して行くことにする。 “死亡通知は出さずに、葬式は内々で行うこと / 戒名は不必要、香典や花輪も断ること / 後日、ヒマラヤに散骨し、何回忌などもしないこと”。
4)    本通知を再度受け取られた方は、どうぞ、ご容赦ください。                                       早々

                    夕日に赤くもえるマナスル峰西面。

添付資料(2)

調査地域図
                    クンブ地域における踏査地図。


2013年9月16日月曜日

アンナプルナ・サーキット

ヒマラヤ画像トレッキング(1)



アンナプルナ・サーキット


ネパール中央部のアンナプルナ連峰を一周するアンナプルナ・サーキットは2週間ほどかかるが、もうしばらくすると、2日間の車のドライブで行けるようになるであろう。というのは、カリガンダキ河のルートはポカラからムクティナートまで車がすでに入れるし、2012年秋にはマルシャンディ河も中流部まで崖道ができたからである。後に残るマナン地域からソロン峠を越えてムクティナートまでは傾斜の緩い氷河の谷地形だから、数年を待たずに道路がつながるのではなかろうか。マナン周辺のU字谷では自転車のほかにバイクがすでに疾走している。だが、マルシャンディ河沿いの急峻な地形に作った道路の自然破壊のすざましさは目に余る。さらに、毎年雨期の豪雨で道路が破壊される自然のしっぺ返しを受けている。
(詳しくは<http://glacierworld.weebly.com/>の「ヒマラヤ>その他」でご覧ください)

                        グーグルアース画像にGPS軌跡を描いたアンナプルナ・サーキット

                                             マルシャンディ河峡谷の崖道

                                          マルシャンディ河峡谷の道造成中

                                                                           マナン周辺のラバの隊商

                                          マナン周辺のバイクと自転車利用

                                                       ティリツォー湖

                                                         ソロン峠

                                         夕日に赤く染まるアンナプルナ峰

                                               高山植物とダウラギリ峰

                                                カリガンダキ峡谷の崖道


2013年9月10日火曜日

滋賀県立大学・環境科学部・環境生態学科

滋賀県立大学・環境科学部・環境生態学科


 1995年の開学時から定年の2007年まで在籍したが、開学時には狭心症を患ってしまった。そこで、ストレスを減らすために、教授会などの気疲れする会議はできるだけご遠慮したが、クラブ活動には積極的に参加するようにした。学生たちとともにヒマラヤなどに行くかたわら、かなりの数の講義もこなし、学生との接触を持つように努めたおかげで、その後は狭心症の再発を幸いにもおさえることができた。


担当授業科目
滋賀の自然史, 自然地理学, 環境地学,地学Ⅰ, 地学実験,大気水圏科学実験, 環境フィールドワークⅠ, 環境フィールドワークⅢ, 環境生態学演習, 専門外書講義Ⅰ・Ⅱ, 卒業研究, 大気水圏環境論, 土地利用計画, 環境動態学特別演習Ⅰ, 環境動態学特別演習Ⅱ 

クラブ活動顧問 
フィールド・ワーク・クラブ, 学園新聞社, 環境サークルK,グリーン・コンシューマー・サークル, ジオ・サイエンスの会, 民族音楽研究会, アウトドアー・フィールド・ノンカロリー, 現代視覚文化研究部,リサイクル市実行委員会


海外調査歴
1963年11月~1965年5月 北極海海洋調査
1965年5月~10月 ヨーロッパ(自転車)、西アジア、インド、ネパール旅行
1965年10月~1966年年3月 ネパール・ヒマラヤ氷河・地質調査
1968年3月~4月 アラスカ氷河調査
1970年2月~12月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1973年3月~7月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1974年8月~1975年6月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1975年10月~1976年2月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1976年8月~1977年2月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1978年5月~12月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1980年5月~6月 チベット高原氷河・地形調査
1987年6月~9月 チベット高原湖沼・氷河調査
1993年8月~9月 ノルウェー・スウェーデン湖沼・氷河調査
1994年7月~8月 ノルウェー・スウェーデン湖沼・氷河調査
1995年9月~10月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1995年11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1996年7月~8月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
1998年8月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2000年8月 モンゴル永久凍土調査
2001年3月 モンゴル永久凍土調査
2001年8月~11月 モンゴル、ロシア、中国、ネパール、インド氷河調査
2002年8月~11月 ネパール、ブータン・ヒマラヤ氷河調査
2003年8月~9月 ネパール、ブータン・ヒマラヤ氷河調査
2004年8月~9月 インド、ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2005年8月~9月 インド、ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2007年9月 ケニアのキリマンジャロ周辺巡見旅行
2008年6月~2010年6月 ネパール・ポカラの国際山岳博物館学芸員(JICA)
この間、マナスル(2008年11月~12月)、クンブ(2009年4月~5月)、アンナプルナBC (2009年8月)、マナスル(2009年11月)各地域の氷河調査を行う。
2010年9月~11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2011年2月~5月 東南アジア、ネパール・ヒマラヤ氷河調査
2011年9月 ヨーロッパ・アルプス巡見旅行
2012年4月~7月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(マレーシアのキナバル周辺巡見)
2012年10月~11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(マレーシアのトバ湖、ミャンマーのヤンゴン周辺巡見)
2013年10月~11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(ラオスのビエンチャン周辺巡見)予定



ヒトと自然の共存の道、いまだ遠し

   これが、もともとは自然に属していたはずのヒトがひきおこした重要な生態学的課題である。そこで「ヒトと自然の共生の道をもとめるべき」という考えもでてきたのであるが、ヒトと自然には生態学的な共生関係は成立しない。なぜならば、ヒトは自然から利益をえてはいるが、自然に利益をあたえるようなことはほとんどないからである。むしろ、エコノミック・アニマル的に自然を略奪しているのが、ヒトの活動実態であろう。そうなると、共生ではありえない。持続的生物社会の大原則は「元金には手をつけないで、利子を効率的に運用する」ことにあるのだが、ヒトはこの大原則から大きくはずれてしまった。

去年の京都会議や今年のブエノスアイレス会議でも議論された地球温暖化問題などにも現れているように、ヒトの活動が、地球全体の気候を変えるまで、巨大になってしまった。60億人のヒトをふくむ数百万種以上の生物を満載した現在の宇宙船地球号は、50億年の歴史ではじめて、ヒトという地球号乗組員自身の無謀とも思える破壊活動によって、すでに小さな舞台になってしまったのである。そのようなヒトのエコノミック・アニマル的活動が、地球環境問題の基本的要因になっているのは、誰の目にも明らかである。

    地球環境問題という20世紀の負のイメージを形成する要因を歴史的に見ると、農業・工業革命の基本的矛盾の現われともいえるが、ヒトの生存にとって自然環境が不可欠であるかぎり、両者の共存の道を探るほかはないのである。両者が致命的な破綻をまねくことなくおり合う道、両者にとって妥協できるぎりぎりの道を探ることがいぜんとして環境生態学科に課せられた重要な課題になっている。はたして21世紀は、農業・工業革命のエコノミック・アニマル的な基本的矛盾を解決し、経済至上主義をのりこえたいわゆる環境革命が成功するのだろうか。そのことが、地球環境問題にかぎらず、私たちの地元の課題についても問われている。

  25年間続いた琵琶湖総合開発(琵総)が終了し、これからはポスト「琵総」の時代になっている。渇水年になると、京阪神地域の水利用のためにさらに琵琶湖から放流するため、人為操作によって水位がかなり低下することも覚悟せねばなるまい。水位操作もふくめて、琵琶湖への人為的影響がますます大きくなる時代である。かつての遊水池機能をはたしていた琵琶湖周辺の内湖の大部分や宇治市の巨椋池などを干拓し、農地・住宅・工業団地を開発してきた歴史の延長線上で、水量・水質の維持機能を琵琶湖に一極集中させたのが「琵総」であったとも解釈できるのである。

  ポスト「琵総」時代の琵琶湖およびその集水域の課題についても、琵琶湖水質や生態系の環境変動に関する的確な将来予測と早急な対策が求められてはいるが、残念ながら、そのための情報はまだまだ不十分である。琵琶湖の水位変動ひとつとっても、異常気象による雨や雪の自然変動にくわえて、ヒトの社会的活動(南郷洗堰での放流量・水位操作)が琵琶湖水位を大きく変動させ、とくに湖岸地域の生態系に致命的な影響をおよぼす可能性が高い。そうなると、自然科学的な情報だけでは不十分で、社会科学分野との連携・情報交換が不可欠となる。そこにこそ、自然科学から社会科学分野をもふくむ環境科学部の存在意義がでてくるというものだ。自然科学と社会科学分野の相互協力がなければ、ヒトと自然の共存の道を探ることはとうていできない。

  最近の国際シンポジウムなどで、開発時代の反省をこめて、先進国側が「持続的開発の時代から持続的管理の時代へ」などと発言すると、開発途上国側は「依然として持続的開発の時代である」ことを強く主張して、会議は平行線をたどることがある。いわゆる南北問題の1つである。しかし、いわば企業的発想の「持続的開発」や行政的な「持続的管理」というトップダウンになりがちな観点それ自体は目的にはならず、ヒト中心主義を脱却した「持続的社会」を創ることが重要であると考える。持続的開発・管理は、生態系保全を念頭においた「持続的社会」をつくるための手段とみなせるからである。ヒトだけでなく自然を構成するすべての生物をふくむ生態学的「社会」が持続的であることを目指すこと、そこにこそヒトと自然の共存の道がひらけてくるのではなかろうか。

  琵琶湖総合開発は、下流と上流という1種の南北問題に端を発し、下流の水利用のために琵琶湖をさらにダム化していくという「一極集中」的な性格をもっているが、その琵琶湖自体の生態学的論理にも耳を傾けねばなるまい。冒頭に書いた通り「ヒト(われわれ)の生存にとって自然(琵琶湖)が不可欠である以上、両者の共存の道を探るほかはないのである」。だが、大津などの滋賀県南部地域の最近の大型建造物に代表される開発ぶりは、自称?「環境先進・優良・熱心県」にあるまじきエコノミック・アニマルぶりを示しているように見える。河川改修やごみ問題などの現実的課題をかかえる滋賀県立大学地元の犬上川流域などの自然環境の改変を見るにつけ、ヒトと自然の共存の道、いまだ遠し、だ。エコノミック・アニマルぶりに染まったヒトは、自業自得といってしまえばそれまでだが、いわゆる環境ホルモンなどに象徴的に現れているように、便利さを追求した近代化の毒に打ちのめされることをわきまえているのであろうか。されば、近代化の毒にそまっていないヒトを探しだし、彼らにこそ将来をたくすことも考えねばなるまい。

  以上のように、環境生態学科にとって、課題山積の地元の現状は、(研究対象がたくさんあるからといって)、喜んでばかりもいられない。きたるべき21世紀には、タイタニック・クラスの地球温暖化などの地球的規模の大変動が待ち構えているのである。ただ手をこまねいて、いられようか。(2000年4月)



私の授業(教育)

  「私の授業(教育)」という題で書くようにとのお達しであるが、「授ける」とか「教える」といった大上段に構えてふるまう1方向的な「授業」や「教育」をしようとは思わない。むしろ、堅苦しい言い方だと「講義」になってしまうのだろうが、それでは堅苦しいので、ぼく自身の姿勢としては「講話」(できるなら「講釈・講談」にしたいところだが、なかなかそこまではいかぬ)のつもりで、学生の考えをできるだけ「汲みとり」たいのだ。ここでは、とりあえず「講義」なる表現を使うが、場合によってはむしろ「談話」でも良いのではないか、とも思っている。

  というのは、授けたり、教えるといった、ともすれば1方向的なやり方よりも、学生が自分自身で考える力を持つことが重要だと考えているからだ。そこで、ぼくの講義の場合は毎回最後の30分を使って、講義内容についてのレポートを書いてもらうことにしている。ただでさえ、レポートに追いまくられている学生の身にとってみれば、レポートを夜の宿題にするのは忍びないので、短い時間ではあるが講義時間内に、学生自身の個性的な考え方をレポートでまとめ、文章で表現する力がついてくれれば良いのだが、と考えている。

  ぼくの担当している1997年度の講義は、滋賀の自然史、自然環境学2、地学1、地学実験、環境地学、環境フィールドワーク2、環境フィールドワーク3、自然環境実習1、自然環境特別実習、専門外書講義1、専門外書講義2であるが、来年度はこれらに自然地理学、環境生態学演習、卒業研究が加わることになっている。それぞれ多様な内容を含んでいるので、上記のような考え方で講義を進めようとすると、学生数が232名の滋賀の自然史や200名の自然環境学2だと、やはりかなりしんどいところもあったが、追いまくられながらもなんとかこなしている。

  ただ、30名前後と学生数が少ない環境地学では、学生1人ひとりの顔が見えるので、滋賀県の具体的な環境問題を取り上げながら、小人数のグループで課題解決のための討論を行った後、口頭発表の経験を積むことに重きをおいている。そうすることによって、地学的な環境課題の解決に関するレポートを書くことに加え、討論後の口頭で発表する力も備わってくれればと願っているところである。

  なかには、講義最後のレポートの時間に飛び込んでくる学生や、そもそも講義には出ずにレポート用紙だけを取りに来る学生もいるにはいるが、講義の時間内に出さなかったレポートは原則として減点することにしており、遅れたレポートは内容がよほど良くないと点をやらないことにしている。採点のポイントは、どれだけ個性的に考えたか、に重きをおく。そのため「H2O2の見方で書くように」と学生にいっているのは、過酸化水素ではなく、H20+Opinion­=H2O2のことで、琵琶湖などの水に関係する地元の環境課題の解決に向って、できるだけ学生自身の経験から発想した個性的な考えをだして欲しいからである。

  以上のような講話・講釈・談話型講義に加えて、日高敏隆学長の言う「学生を育てる大学ではなく、学生が自分で育つ大学」の見方からすれば、私が顧問を務めている環境サークルK、フィールド・ワーク・クラブ、ジオサイエンス・クラブ、学園新聞社、民族音楽部などのクラブ活動の場を通じて、学生たちが個性的に活動できるよう微力を尽くすのも、また極めて重要なことだ、と肝に命じている。(1996年4月)



トキとヤナギとタブ―共存の観点で―

トキ

トキのキンが死んだ.日本最後の野生のトキは老衰死と思われたが,キンの最後のビデオ画像によると,キンは力強く羽ばたき,飛び上がり,檻に頭をぶつけて死んだそうだ.キンは保護のため檻に入れられ,その檻で死んだのである.しかし,もともとの原因はキンを檻に入れざるをえなくなるまでにしてしまった日本人にある.日本の国名に由来するニッポニア・ニッポンという学名をもつ日本産のトキは絶滅したが,現在は中国産のトキで野生化が試みられている.そもそも中国の場合は数千年以上にわたる農業革命で環境破壊を続けてきたのにも関らず,野生のトキが残っていること事態,まさに奇跡的なことだ.ひるがえって日本場合ははるかに遅れて農業革命を始め,中国などより短期間の環境破壊にもかかわらず,トキを絶滅させてしまった.キンの死は日本の環境破壊の速度が著しいことを訴えているのではなかろうか.日本では,中国や韓国などより自然の回復力が大きいといわれるが,安心できない.

ヤナギ

琵琶湖に春がくると,湖岸のヤナギが芽吹き,その下では黄金色のノウルシが咲く.まさに雪解けの頃で,増水した湖水にひたったヤナギ林にはコイなどが産卵におしよせる.彦根の犬上川河口に見られた立派なヤナギ林やヨシ原は河川改修で広い範囲にわたり破壊されてしまった.ほんの10年ほど前のことである.

彦根周辺の湖岸は冬の強風地帯で大波が打ちよせるので,植物が根づかず,砂浜になっているが,かつての犬上川河口では三角州とヨシ原が風や波から植物をまもってくれていたので,ひとかかえもあるようなヤナギの大木の林も立派に育っていた.そのヤナギ林がなくなりつつある.河川改修の工事関係者は洪水対策のことしか関心がなかったようだ.さらに,琵琶湖総合開発が終わった1997年からは,冬の琵琶湖水位を高く操作するようになった.暖冬つづきで雪が少なくなり,春先の雪解け水に期待できなくなったからというのが主な理由になっている.するとどうなるか.冬の強風による大波がわずかに残っているヤナギの大木に襲いかかり,根元を崩すようになった.ついにはブルドーザーが入り,倒されたヤナギの木が大きな音をたててチェインソーで切られてしまった.たびかさなる人間の仕打ちにたえてきたヤナギがあたかも最後の悲鳴をあげているかのように聞こえたものだ.はたして,キンが死んだ時にも同じような悲鳴が聞かれなかったのだろうか.

タブ

滋賀県立大学が1995年にできた時,湖岸の犬上川橋から上流にむかって河川改修が進んでいた.その計画は,川べりの林をとっぱらい,コンクリート護岸の川にしてしまうというものだった.そこで工事関係者と話し合い,できるだけ自然を残すような計画に修正した.冬暖かく夏涼しい琵琶湖の気候緩和作用によって生育するタブの林をとっぱらう当初計画に対して,洪水対策のために河川断面積を大きくする必要があるので,大学側にバイパス水路を設け,琵琶湖周辺では最も大規模な犬上川のタブ林を中の島状にして,できるだけ残すようにしたのである(写真).

曲りくねってながれる犬上川は,近江盆地の湖東平野のなかでは自然の豊かさを残している数少ない川である.地下水が湧いているところにはハリヨというトゲウオ科の魚が生息する.絶滅の恐れのある危急種だ.同じく危急種であるタコノアシという名前通りタコの足を上向きにしたような花を咲かせる草もわずかに残っていたが,去年から河口では見られなくなっている.現在行われている護岸工事の現場を見ると,のり面すれすれにせり出しているタブの木が数本あるが,もともとは工事の都合上,せり出したタブの木は切り倒すことになっていた.しかし,これも話し合いの結果,可能なかぎり残していただいた.

「人と自然の共生をめざして」という看板が犬上川の河川改修現場に立っている.しかし,タブの木からみれば「人は助けてくれてはいない」ので,けっして「共生」とはいえない.私たちにできるのは自然をできるだけ残して,せめて「共存」していくことなのである.後世の人たちに「タブの木は残った」といえるような自然環境との共存関係を実現していきたい.そのため,われわれ住民は工事関係者とともに「犬上川を豊にする会」で話し合っている.いまこそ,人間の都合だけで開発を進めるのではなく,自然環境との共存をはかる智恵が必要だ.キンの死と同じく,“ヤナギの悲鳴”はそのことを訴えているのではないか.幸いにも熱心なクラブ活動の学生たちが犬上川の環境問題に取り組んでいるので,厳しさの予測される将来の環境保全にも期待がもてそうな気がする.(1998年2月)



講義とクラブ活動

  “滋賀県立大学環境科学部環境生態学科地球環境大講座”
  ここが、ぼくのいるところです。環境という名前が3つもつく。カンマで区切らなきゃ、よく分からないではないか。大講座は完全な誇大表示で、実態は完全小講座。その中でぼくは、琵琶湖の水資源問題の基礎となる水循環を中心に研究・教育をしているが、何をめざそうとしているのか。おりしも今年の春には、滋賀県立大学の初めての卒業生を送りだし、大学院生を迎える。

  この1年に担当した講義は、滋賀の自然史、自然環境学2、地学1、地学実験、環境地学、環境フィールドワーク1と3、自然環境実習1、自然環境特別実習、専門外書講義1と2、自然地理学、環境生態学演習、卒業研究と14科目もあるので、それなりに忙しい。北アルプス立山で行われた夏の自然環境特別実習では梅雨末期の集中豪雨に見舞われ、学生ともども貴重な経験を積むことができたのも、今となっては楽しい思い出である。講義の学生数は、滋賀の自然史の405名から環境地学の19名まで。毎回、書く能力を高めるレポートにくわえ(これは出席簿の変わりにもなる)、小人数の場合は発表する力を養う討論中心の講義も行なっている。

  レポートの採点ポイントは、どれだけ個性的に考えたかに重きをおく。「H2O2で書くように」と学生にいっているのは、過酸化水素ではなく、H20+Opinion=H2O2のことで、琵琶湖などの水に関係する環境課題の解決に向って、できるだけ学生自身の経験に基づいた個性的で多様な考えをだして欲しいからである。

  ただ、20名前後と学生数が少ない環境地学では、滋賀県の具体的な環境課題、例えば犬上川河川改修・水資源保全・湖岸生態系・ダム・空港問題などを取り上げ、小人数のグループで課題解決のための討論を行った後、口頭発表の経験を積むことにしている。そうすることによって、地学的な課題解決に関するレポートを書くことに加え、口頭で発表する力も備わってくればと願っているところである。

  また、関係するクラブ活動が、環境サークルK、フィールド・ワーク・クラブ、ジオ・サイエンス・クラブ、学園新聞部、グリーン・コンシューマー・サークル、民族音楽部と6つ。学生たちの活動に刺激をうけながら、「学生を育てるのではなく、学生が自分で育つ大学」をめざした場づくりをしたい、と考えている。そこでぼくは、できるだけ何もせずに、学生の自主判断に任せているが、最後の責任だけは取らねばなるまい、と覚悟している。山登りの好きなぼくにとって、山岳部のないのは少々残念だが、そのためリスクの少ないのを歓迎しているふしもあるのは、自分自身おもはゆいがぎりだ。高齢化現象の現われ、だろうか。

  さて、ただ1つ、意に満たないのは、教育の籠にとじこめられているので、ぼく自身のフィールドの研究時間が少ないことである。籠の鳥の飛翔力が弱らぬうちに、魅力的なフィールドにむけて、時々は籠から飛びだすことも考えねばなるまい。と、この1年をふりかえって切に思う。「個性的になること」を学生に言っている手前、ぼく自身のフィールドで自分の個性にも磨きをかけねば、羊頭狗肉のそしりをまぬがれえないだろう。(1999年1月)


2013年9月8日日曜日

Sightseeing disaster of the higher Himalaya in Nepal


氷河環境 



Sightseeing disaster of the higher Himalaya in Nepal


  This is a report of “Sightseeing disaster of the Higher Himalaya in Nepal” presented at the seminar; “Challenges for the promotion of Japanese Tourist in Nepal” organized by JICA Alumni Association of Nepal and held at Hotel Himalaya in Kathmandu on 29 August, 2008. Main topics of my presentation are avalanche, landslide and glacier lake outburst flood (GLOF) caused by the global warming that the trekkers are requested to take careful attentions on environmental changes of the Nepal Himalaya for preventing such kinds of natural disaster. It was November 1995 when the mighty cyclone hit the Himalayas and caused the heavy snowfall which thickness was more than 1.5 m in the northern part of Khumbu region, East Nepal. There were more than twenty Japanese trekkers staying at stone hut located near the mountain slope of Phanka village near Ghokyo, Khumbu and the avalanche destroyed the stone hut and all of Japanese trekkers lost their lives under the stone wall. It was unusual that a cyclone came up to the northern region of Kolkata which Latitude is 25 degrees north where the Jet Stream usually stays in the post monsoon season and blocks the cyclone coming up north to the Himalayas. However, the Jet Stream moved toward the central part of Nepal in November 1995 due to the global warming and the cyclone easily came up and reached the Himalayas. We must be very careful of this kind of the winter avalanches. There are mainly two types of landslide phenomena in Nepal. One is the higher type affecting the Higher Himalaya which altitude is more than 4000 m asl. and the glacial conditions are prevailing and the landslides are mainly caused by the melting of glacier and snow due to the recent global warming, and the other is the lower type occurring below 400 0m asl. in the Lower Himalaya where villages are located and it has been known as an environmental issue of the anthropological activities. Nepal Himalaya locates in the southern margin of Tibetan plateau where the glaciers have been retreating since the 1980’s. Analyses of recent mean temperature data in Nepal revealed warming trends ranging from 0.06 ℃ to 0.12 ℃ yr-1 after 1977 and it indicated to be 2-4 times higher rates of warming in the Himalayas as compared to the global average. The GLOF of the Nepal Himalayas was firstly observed in the Mingbo valley of Khumbu region near Mt. Ama-Dablam in 1977 (1), and the GLOFs of Langmoche in 1985 and Savoy in 1999 occurred recently in the same region. They caused serious disasters that destroyed the down-stream villages, bridges, and even hydro-power station. Glacial lakes have developed in the Himalayas and the Tibetan Plateau due to the melting of glacier and snow by an influence of the global warming and the GLOF has occurred once every ten years in Khumbu region due to the increasing glacial lake and the unstable dammed-up moraine that the trekkers are requested to take careful attentions when they visit the Higher Himalaya.







Reference 

 (1) NEPAL CASE STUDY: CATASTROPHIC FLOODS. 1985, TECHNIQUES FOR PREDICTION OF RUNOFF FROM GLACIERIZED AREAS, INTERNATIONAL ASSOCIATION OF HYDROLOGICAL SCIENCES, 149, 125-130.

2013年9月4日水曜日

ネパール氷河調査隊ハージュン基地建設

国際交流 


ネパール氷河調査隊ハージュン基地建設 


はじめに 


    私たちは1973年春から1年間、東ネパールの世界最高峰チョモランマ(もともとの名前;ネパール名サガルマータ、欧米名エベレスト)のふもとに観測基地を作り、1年間におよぶ氷河調査を行った。学生だけによる調査隊であった。基地の名前はハージュン、現地名で平和な平らな土地を示すという。基地にはハージュン日誌があり、隊員の日々の活動は3冊の日誌に書きこまれたが、基地建設から数ヶ月間の当初のハージュン日誌資料を添付する。 「狐(きつね)は死する時生まれし丘を顧みるとか/故郷はいかで忘れ得ん」といわれるほど、われわれにとってのハージュン基地は青春時代そのもので、メンバーのなかには彼の二世にその名をつけるほどの愛着がある。



調査許可書の申請と取得(To→Of→For)


    私が参加した1960年代から1970年代初めまでの氷河調査隊の英名はGlaciological Expedition to Nepalだった。直訳すると、ネパールへの氷河遠征隊。「遠征」という名前も時代がかった感じ(アレキサンダー大遠征ならいざしらず)だが、当時の調査隊はじめ登山隊も遠征隊の名前を使っていた。しかし、1973年のわれわれの氷河調査隊の時代になると、その題名ではカトマンズのネパール外務省への2カ月ちかい交渉でも調査許可がもらえなかったのは、外国(日本)から来たよそ者によるネパールへの氷河調査隊というニュアンスが強すぎたためだったかもしれない。調査許可の交渉のためネパール外務省に日参しているうちに、ネパール人とのつきあいも深くなり、それにつれてネパール語が話せるようになると、私の考え方も変わり、ネパール人との共同調査の性格をより強く示すGlaciological Expedition of Nepalの題名にしてようやく許可を取ることができたのである。さらに1980年代になると、氷河湖の決壊による洪水被害が頻発するようになり、共同研究も現地住民の生活安全・安心を考慮したGlaciological Expedition for Nepalの意識が強くなり現在に至っている。このように「to Nepal」というよそ者の時代から現地のニーズをくみとりながら双方向的に課題解決を目指す「of Nepal」および「for Nepal」の時代に変化してきた実体験から、私は退学定年後、新しい任地であるネパールの国際山岳博物館でも「for Nepal (Himalaya)」の観点で学芸員の仕事をしてきた。そこでの成果はこのウェッブ・サイトやブログで報告していきたい。



山岳博物館構想 


   そもそも1974年に、ネパールに「山岳博物館」を設立することを私たちは構想し、亡くなられたビレンドラ国王の親族クマール・カドガ・ビクラム・シャー殿下に提案していた。驚いたことに、それから30年後にそのクマール・カドガ殿下の1万坪ほどもある広大な土地に、国際山岳博物館は建てられたのである。私はネパール・ブータン・インドやモンゴルなどの内陸アジアで水資源課題を中心にした環境研究を40年間ほどしてくるなかで、環境課題の解決には住民の環境意識の向上が基本であることを実感している。そこで、住民の環境意識の向上のためには現場でのエコ・ツアーによる環境教育が必要ですが、滋賀県の琵琶湖博物館などを参考にしながら、ネパール語の会話能力を生かした子供・青少年たちへの日常の啓蒙活動も国際山岳博物館ではできるだけ取り組んでいきたいと思っている。



住民参加型


   氷河湖決壊洪水の災害で危機感を訴えているクンブの住民たちは、実際にはGLOFを引き起こした上氷河湖やその危険性が叫ばれているイムジャ氷河湖などを見ていない人が多く、自分で判断できないため、必要以上にこれまでの調査隊の「危険」情報に惑わされているのではないか。そこで、住民と一緒に、これまでにGLOFを引き起こした氷河湖やそのモレーン構造の問題点を現地で見ながら、GLOFの要因について話し合っていくことが、住民に安心感をもってもらうために必要だと考える。彼らの指摘する「対策」とは単にハードな土木工事だけではなく、ソフトな住民の心のケアーも必要な段階にきていることを強く感じている。



地球環境との関連


   地球環境問題には多様な側面があるが、アジアでは、大河川の水源地であるヒマラヤの氷河が地球温暖化で融解し、そして氷河湖の決壊・洪水および氷河の消滅などの水資源の不安定化が重要な緊急課題になっている。想定される水資源の不安定化による南アジアの環境難民問題などの重要課題解決のためは、おおもとのヒマラヤの環境変動が基礎になる、と考えている。そこで国際山岳博物館を舞台にした環境教育・研究活動によって、アジアの大河川の水源地であるヒマラヤなどの内陸アジアの自然環境変動と水資源課題の解明・対策を現地住民とともに検討するなかで、人口増加が進行する南アジアなどの水資源・環境問題に警鐘を鳴らす「炭鉱のカナリヤ」の役割を果たしたい、と希望している。


2009年の再訪


   1973~1978年に氷河観測の拠点になっていたハージュン基地が地元の人によって夏の放牧小屋(カルカ)として再利用されているのを知り、うれしく思ったものだ。