2017年ネパール通信4
「ランタン村周辺調査の予察的速報」
4月5日予定通り、ランタン村周辺(写真1)の調査を終え、カトマンズに戻りました。今回の調査目的は、2017年ネパール通信3(写真報告)でお伝えしたように、「ランタン村周辺では、2015年4月25日のネパール地震で発生した雪崩がランタン村を直撃し、大災害を引き起こした雪崩堆積物の調査と1975年以来調査をしているキャンジン・ゴンパ北のキムシュン(ツェルベチェ)氷河の変化」を明らかにすることである。
ランタン村の雪崩堆積物の調査(写真2)は3月30日と31日に、またキムシュン氷河の変動調査のため、4月1日にキャンジンから氷河末端部を往復した。
大阪市立大学のランタン・リ峰登山隊の報告によると、 2015年4月25日のネパール地震の発生直後にランタン・リ峰頂上付近の氷河上部が崩壊・落下し、雪崩をひきおこした。そして、ランタン村の大部分を覆い、多くの人が犠牲になった。当初は、この雪崩堆積物はランタン川をも埋めつくし、対岸に達していたのであるが、現在では、ランタン川によって分断され、雪崩堆積物中の氷が両岸に認められる(写真3の点線内)。雪崩堆積物中の氷には、4月25日の雪崩を示すと考えられる下位のA層と、時期は不明だが、上位のB層が認められた。また、B層上部には斜面に草が生えていない部分が連続的に分布することから、当初は雪崩堆積物がB0地点まで覆っていたことを示す、と解釈できた。B層表面からB0面までの比高は10mほどなので、雪崩発生から2年間で、当初の雪崩表面が年間5m程度、低下していると解釈できる。雪崩堆積物の層厚は下流側で30m程度と薄く、上流側では厚いところで50m程度あるので、雪崩堆積物中の氷は、単純計算で、10年程度は残存するのではなかろうか。
写真4 ランタン村雪崩堆積物にはAとB層の氷、およびB層の表面融解を示す草付きのない斜面(B0以下)が認められた(下流からの写真)。
写真5 雪崩堆積物を下流から見と、A層とB層の氷が認められる。
ランタン川両岸の雪崩堆積物中の氷を対比すると、前述のA層とB層の氷を追跡することができ(写真5)、A層とB層の境界(写真6の矢印)も認められた。雪崩堆積物中のA層については前述のように4月25日正午ごろのネパール地震発生直後に形成されたのであるが、B層に関しては、 伊藤陽一ら*によると、5月12日の大きな余震の際に雪崩が発生したと報告しているが、住民に聞くと、実際は5月2日の11時頃にに雪崩が発生し、5月12日には雪崩は発生しなかったとのことである。ネパールの地震局の資料によると、5月2日11時20分のマグニチュード5.1の比較的強い地震で、第1回目の雪崩後に取り残されていた不安定な堆積物が流動化し、2回目の雪崩を発生させたと解釈できる。なおその後は、ランタン村上部の雪崩発生地域の堆積物は安定化したため、5月12日のマグニチュード6.8の大きな地震でも、雪崩を引き起こさなかったのであろう。
*伊藤陽一・山口悟・西村浩一・藤田耕史・和泉薫・河島克久・上石勲 (2,016) 2015年ネパール地震時に発生した雪崩の被害と積雪深の関係.
追記
上記の第2回目の雪崩発生時刻に関しては、地元のセン・ノルブさんの話をもとに、その引き金に余震データをみて、11時13分にも弱い余震があるが、11時20分の強い余震の発生が原因になると解釈したのであるが、連続的に発生した2つの地震があたかもダブルパンチのように効いた可能性もある。また、地元のテンバ・ラマさんにカトマンズで聞くと、 第2回目の雪崩発生時刻は午後3~4時であるという。但し、下記の5月2日の余震データ*をみても、その時刻には引き金になる余震は観測されていない。はたして、引き金になる原因をいかに解釈したら良いのであろうか。いずれにしても、雪崩災害の発生日と時刻に関して、地元の人々によって異なり、その記憶が薄れてきてると思われるので、正確な記録をとどめておく必要がある。
記
Date Local Time Latitude Longitude Magnitude(ML) Epicentre
2015/05/02 21:01 27.66 86.01 4.1 Dolakha
2015/05/02 11:20 28.24 84.76 5.1 Gorkha
2015/05/02 11:13 27.72 85.74 4.0 Sindhupalchowk
2015/05/02 09:32 27.93 85.50 4.2 Sindhupalchowk
2015/05/02 05:55 27.74 86.28 4.3 Dolakha
2015/05/02 03:55 27.95 85.73 4.2 Sindhupalchowk
* Recent Earthquakes
http://www.seismonepal.gov.np/index.php?action=earthquakes&show=recent
さらにテンバ・ラマさんの話によると、大きな余震があった5月12日は、やはり雪崩はなかったが、強風が吹いた、とのことである。このことも、その引き金は不明であるが、記録にとどめておく。
ランタン村上部の雪崩発生源地域の残留堆積物が仮に安定化したとはいえ、雪崩の流路になった地域(写真7の左上写真に示す下向きの長い矢印)西側の稜線部分には懸垂氷河(赤い点線内)があり、貞兼綾子さんが指摘するように、懸垂氷河が落下してくる危険性がないわけでもない。そこには、懸垂氷河落下を受け止める16世紀の氷河の側・末端モレーンがあるが、その内部に湖が形成されるようになれば、懸垂氷河の一部分でもが直接湖に落下し、そこで生ずる津波がモレーンを破壊して、氷河湖決壊洪水(GLOF)が村を襲う災害には将来注意を要する、と考えられる。
写真8 1975年のキムシュン(ツェルベチェ)氷河の写真に今回観察した氷河末端の地形を赤点線で示す。
キムシュン(ツェルベチェ)氷河の観測は1975年に亡き五百澤智也さんとはじめたのであるが、42年ぶりに氷河下流部にお目にかかることがでる夏の放牧小屋(28度13分,85度34分,4163m)から末端変動を観測した。東ネパールのクンブ地域で調査してきたギャジョ氷河などの圏谷(カール)氷河は大きく後退し、氷河流動が認められない雪渓状態に大きく変化しているが、懸垂(ハンギング)氷河のキムシュン(ツェルベチェ)氷河の後退量を1975年(写真8)と2017年(写真9)で比較すると、ギャジョ氷河などの圏谷氷河ほど大きな変化はなく、右岸(写真に向かって左側)末端部で100m程度、中央部で50mほど、左岸末端部ではほとんど変化は見られなかった。2015年の地震で、懸垂氷河下流の流下速度が大きくなり、温暖化による末端部の後退量を抑えているのだろうか。
* 追悼 五百澤智也さん-ランタン谷の思い出-
http://glacierworld.net/travel/recollection/momoyama-tomoya
写真9 2017年のキムシュン(ツェルベチェ)氷河の下流域
温泉 -ランタン谷調査の有終の美ー
パヒロの温泉(28度09分N,85度22分E,1513m)は泉源温度36度、浴槽温度32度、ややぬるいが、贅沢は言えない。なにせ陽がでてこないと、湯冷めするので、朝日が出るまで1時間ほどゆっくり、アセとアカをおとす。かつてはシャプルベシにひなびた温泉があったが、開発で温泉が出なくなったようだ。
写真10 パヒロの温泉に浸かりて(ランタン川の上流方面のパヒロのホテル周辺を見る)
今回の10日間の旅を締めくくるにあたり、狭心症に苦しめられていた心臓を手術していただき、4163mまで登ることができるように回復してくださった三菱京都病院名誉院長の三木真司先生やランタン村で災害復旧援助を献身的に努めている貞兼綾子さんをはじめ、2015年の雪崩災害の情報について教えてくれたニマ・ラマさん、ダワ・ノルブさんやソン・ヌルブさんなどの地元の方々に心から感謝の意を伝えたい。
このランタン紀行はブログに近日中にまとめていくとともに、氷河現象に関連するU字谷やモレーン地形などはこの速報では省いたが、「ランタン村周辺調査の予察的速報」の内容を中心にしてまとめ、ネパールの水文気象学会誌「Journal of Hydrology and Meteorology - NepJO」に投稿する予定である。また4月10日と11日はSOHAM国際学会(International Conference on Mountain Hydrology and Meteorology for the Sustainable Development)があり、さらに4月12日からはカトマンズ大学の講義が始まるので、そのための準備をしなくてはならない。ゆっくりと、ランタン調査の余韻にひたってはいられそうにない。では、皆さまもご自愛ください。
(ランタン谷の調査で心地よい筋肉疲労を感じながら、カッコウの歌声を聞きつつ、ハクパさんの家で4月6日朝記す)
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