AACH備忘録(4)-藤原章生さんの記事「ぶらっとヒマラヤ」と原真さんの登山論-
1)藤原さんと原さんの接点
「そう、私はヒマラヤという特殊な地での私自身の恐怖やその他もろもろの感情、感覚を振り返ることで、人間を知ろうとしているのだ」との視点で、人間探求の旅を続けている毎日新聞記者の藤原章生さんは連載記事「ぶらっとヒマラヤ -定年間際の男が山で考えたこと-」の23回目「どうして山に登るのだろう」(毎日新聞2020年7月4日夕刊)で原真さんの登山論を展開しています。藤原さんからのメイルによると、原さんとのそもそもの接点は「新聞記者に成り立ての頃、1991年、長野県の大町市に駐在していたときに週一度の連載「終末アルピニズム」を書いていたとき、ロングインタビューをさせてもらったのがおつきあいの始まり」とのことで、藤原さんの「最初の単著「絵はがきにされた少年」と第二作「ガルシア=マルケスに葬られた女」の書評を「アナヴァン」に書いていただいた」そうです。「アナヴァン」とは原さんの「高山研究所」が発行していた雑誌「en avant」です。2)原さんの登山論の一端
藤原さんは、原さんの登山論として「山登り 本性さらす 高みかな」(限界状況に立たされたとき初めて「ありのままの心」に触れることができる)や<登山家は、山へ登ることの、自分自身に対する意味を考えない訳にはゆかない時代を迎えている>との原さん流の登山プロパーの見方を紹介し、原さんが唱える「仕事を捨てられても、登山を捨てることはできない」や<山へ登ることの目的と意味を考えようとしない登山家は結局のところ敗北的登山家といってよかろう>という原さんの主張から見れば<敗北的登山家>であるぼくにはこの記事で藤原さんが紹介しているジミー・チンさんがいう「死に近づくのはとても健全(healthy)」という視点はそれを体験した人でなければ味会えない、ぼくにはとうてい到達できない境地で、やはり、それらはプロならではの登山論の発露なのでしょう。
3)琵琶湖の月見の会で
原さんが述べたなかで今でも記憶している登山論に関係すると思われることは「メンバーにふさわしい人物かどうかを30分で見極めることができる」と言われたことでした。日本山岳会東海支部隊による1970年のマカルー峰の登攀隊長を務めるとともに、前記の「高山研究所」を設立したことなどが示すAACHでは稀有なリーダーであった原さんならではの人物評価法だったのではないかと思っていますが、今となってはその詳しい評価法を聞き出すことができないのが残念です。
写真左 琵琶湖岸の焚火を囲んでいる原さん(2007/11/17 at 19:47)
写真右 琵琶湖岸の日の出を背景にした原さん夫妻(2007/11/18 at 06:46)
4)「ぶらっとヒマラヤ」の結び
5)最後に
最後になりますが、藤原さんが書くどの記事を読んでいていつも感心するのは、下記のAACH備忘録(1)で述べた”Why”の視点が随所に感じられるとともに、上記の「絵はがきにされた少年」でふれられている”inquisitive”な姿勢でたえず人間探求の旅を続けていることです。2020年7月30日のフェースブックで藤原さんは「カメラもメモ帳も持たず、紙袋に最低限のものを入れて、中国か、アフリカあたり。長い旅に出たいなぁ」と表明しているのは、今回の長期連載を終えた安堵感からなのでしょうか?それでは、藤原さんの次なる連載記事の登場をひそかに期待するとともに、この半年近く続いた長期連載記事もいずれ本になるかと思いますので、その時が楽しみです。
記
AACH備忘録(1)-コロナ禍で“Why”を問う-
https://hyougaosasoi.blogspot.com/2020/07/aachwhy.html