2016年ネパール通信1
カトマンズの第1印象は、黒、だった。
2016年2月26日夜9時、クアラルンプールからのエアーアジア機は明かりが乏しい「黒いカトマンズ」に着いた(写真1)。
写真1 カトマンズ空港着陸直前のボーダナート周辺を通る車のライトが流れる。
カトマンズを暗くする物理的要因
カトマンズが、黒く、暗い物理的な原因は、1日に13時間もつづく停電である。カトマンズ盆地内では、場所と日によって停電時間が違うが、宿のある観光の中心地ターメル周辺の3月1日の停電スケジュールを見ると、午前3時から8時までにくわえて、午前11時から午後7時まで停電だ。つまり、電気がくるのは、午前8時から11時と午後7時から午前3時までの1日11時間なので、パソコンなどの電気を使う仕事は午前中3時間、夜7時から真夜中までの8時間しかないのである。だから、電気を電池にためる施設がないかぎり、仕事をするには夜の8時間の通電時間にあわせる必要がある。いわば、電気に操られる生活にならされる。まさに、日本ではとっくに忘れてしまった電気のありがたみが分かる生活になる。ネパールの電気のほとんどは水力発電だから、乾期の今は河川水量が少なく、発電量に限りがある。そこで、日本では考えられないような1日に13時間もの停電になるのだが、雨期が来る6月までは、小さくなった氷河からの融氷量が少ないので、河川水量はさらに減るため停電時間のさらなる延長を覚悟しなければならない。そのことが、まず、カトマンズを物理的に暗くする要因である。ヒマラヤを起源とするアジア南部の大河川流域の人々にとって、今世紀後半の重要な環境問題になるであろう。
*http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/04/blog-post_17.html
カトマンズを暗くする精神的な原因
また、相変わらずの大気・水・ゴミ汚染に苦しむカトマンズの人々を暗くする次のような精神的な原因もあるようだ。
昨年のネパール通信でお伝えしたように、2015年4月25日午前11時53分、カトマンズなどのネパール中央部は未曾有の大地震に見舞われた*。それから10カ月たつが、いまだ街には廃墟が散在する(写真2)。地震災害からの復興が、日本の福島などと同様、遅々として進んでいないのである。ヒマラヤをかかえるネパールはインドからの復興支援物資に頼っているが、昨秋の新憲法公布に反対する南部地域の住民にくみするインドが国境を閉鎖したため、石油をはじめとした物資が不足しているのである。最近では国境閉鎖が解かれたとはいえ、未だに長蛇の車の列がガソリン・スタンドに並んでいる(写真3)。ガソリン1リットルが約110円、日本と同じほどである。闇値では、その数倍もする時があるという。日本の平均所得の約10分の1のネパール人が日本と同じガソリン代を払わされている。しかも、必要物資を手に入れるのに延々と待たされる羽目になり、いかに辛抱強いネパール人であっても疲れはて、しかも香港型インフルエンザにかかっている人が多いことも、カトマンズ環境を精神的に暗くしている原因になっているようにみえるのである。
*http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/04/blog-post_29.html
写真2 ダルバールスクエアー旧王宮周辺の廃墟。
写真3 バスやトラックなどの車両がガソリンを求めて並ぶ(背景はバクタプールの松並木)。
エアーアジア機の乗り継ぎ便事情
最近では、格安航空としてエアーアジア機は日本各地にも登場している。前便でお伝えした*が、今回搭乗したエアーアジア機のカトマンズ便にもネパール人の若い出稼ぎ労働者がたくさん乗っていた。エアーバスA330型機の300名ほどの乗客を見渡したところ、ネパール人出稼ぎ風の人たちが約9割も占めていた(写真4)。エアーアジア機のネパール便はネパールの出稼ぎ人のための飛行機の感があり、東南アジアをはじめ中東・西欧などへの出稼ぎが多いというのもうなづける。疲れはてた上記の現地住民にくらべて、出稼ぎの若者は一見元気そうには見えるのだが、その現地住民との格差がますます出稼ぎ国家としてのネパールを性格づけていくのだろう。出稼ぎの彼らが仕送りすることが、ネパール経済にとって必要だ、ともいわれる。だから、けっして裕福でないネパール人が寄宿舎学校へ子弟を入学させるほど教育資金を支出するのは、各家庭の将来生計のための出稼ぎ人を養成する投資になっているのかもしれない。
*http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/02/2016.html
写真4 エアーアジアの飛行機に乗っているネパール人出稼ぎ労働者。
従来の日本からのエアーアジア機ではクアラルンプールでのカトマンズ乗り換え便は数時間から長くとも半日待てば乗れたのであるが、今回はクアラルンプール到着の1時間前にカトマンズ便が出てしまうという日本からの乗り継ぎ客にとっての不親切さ・不便さで、結局次の日まで23時間待たされたのである。そのように、クアラルンプールからカトマンズへの乗り継ぎ便事情が従来より悪くなったことを経験したのであるが、そもそも、エアーアジア機の日本からの便にはネパール人が少ないことが示すように、格安航空エアーアジア社としては東南アジアをはじめ中東・西欧からの乗り継ぎ事情を優遇していることが反映していると理解され、現在は日本への依存度はまだ小さいのかもしれない。東アジアの国でネパールへの直行便をもっているのは中国や韓国ぐらいで、日本はかなり前に定期直行便は廃止してしまっている。だが最近、日本にはネパール・レストランなどがたくさんできており、また日本の難民申請者にはかなりのネパール人が(本来の難民かどうか疑問だが)いるともいわれるように、ネパールから日本への出稼ぎ人は決して少なくないので、将来は今回経験した乗り継ぎ便事情の不便さが(期待をこめて言うのであるが)解消されるかもしれない。
以上のような「黒いカトマンズ」の印象をもって今回の旅が始まったのであるが、カトマンズ空港についてみると、荷物受取場はいつも以上に混んでいて、荷物が送られてくるベルト・コンベイヤーの周りは黒山の人だかりで、荷物が見えないほどであった(写真5)。これでは、自分の荷物が安全かどうか、実際に手に取るまで心配の種が尽きず、ネパールへの第1印象をますます暗くするものに他ならない。
写真5 カトマンズ空港荷物受取場の黒山の乗客。
最後ですが、カトマンズの東の峠ドドキヘルにあるカトマンズ大学のキャンパスでは、昨年はカッコウが朝から夕方まで毎日鳴いてくれていたのである*が、今朝はその歌声もなく、聞こえてくるのはカラスのだみ声的な鳴き音ばかりである。はたして、カッコウさんは今年も来て、鳴いてくれるのだろうか。
*http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/06/blog-post_8.html
上記のように、ネパール通信1では、「黒いカトマンズ」に焦点をあたえた感じになってしまいましたが、カトマンズ到着早々の2日間にたくさんの懐かしい下記の友人たち会い、心が明るくなったところで、3日目にカトマンズ大学にもどったのでのであるが、そのことは次から順次お知らせしたいと思っています。
記
3月27日午前11時 ハクパさん(1070年代の氷河調査隊からの友人で、建設会社のカトマンズ支店長)
3月27日午後4時 ペンバさんとツェリンさん(貞兼さんからの預かり物を届けたランタン村の友人)
3月27日午後6時 小川さん(ネパールJICAの同期生、現在はNGOで村落開発を行う)
3月28日午前9時 ケシャブさんとラメッシュさん(松村さんの支援金を届けた自然史博物館の前・現館長)
3月28日午後1時 リジャンさん(カトマンズ大学の講義に呼んでくれた方、セミナーで地震課題を報告した)
最後ですが、カトマンズの東の峠ドドキヘルにあるカトマンズ大学のキャンパスでは、昨年はカッコウが朝から夕方まで毎日鳴いてくれていたのである*が、今朝はその歌声もなく、聞こえてくるのはカラスのだみ声的な鳴き音ばかりである。はたして、心を明るくしてくれるカッコウは今年も鳴いてくれるのだろうか。
*http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/06/blog-post_8.html
それでは、皆さまも、なにとぞご自愛ください。ナマステ!
(2016年3月1日、カトマンズ大学にて記す)
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