2015年4月29日水曜日

2015年ネパール春調査(6) カトマンズ大学にて(3) ネパール地震(1)

2015年ネパール春調査(6)

カトマンズ大学にて(3)

2015年ネパール地震(1)


  4月25日に発生したネパールの大地震(2015年ネパール地震)でカトマンズ大学の電気やネットなどはストップしましたが、4月29日にやっと回復しましたので、この5日間の見聞記をお知らせします。

地震当日(2017.04.25
  ネパールは土曜日が休日ですが、先週はその前日の金曜日に元首相が亡くなったため、また今週の金曜日(4月24日)は王政から共和制になったための休日で、これでウイークディが2週間続きの連休になりましたし、先週の火曜日(4月14日)は新年元旦だったための休日も加わり、このところ休みの多いのんびりとしたネパール・ライフを過ごしていました。休日には周辺のハイキングをかねた散歩をしていますので、ネパール地震が発生した4月25日(土曜日)午前も周辺の水田地帯を散策し、稲刈り後の水田植物の花(写真1,2)を眺めたあと、大学正門前のレストランで昼食を注文し、座って待っている時でした。午前11時56分、ネパール地震が発生しました。2~3分も続く大きな横揺れで、1995年の神戸・淡路地震の時に大津で体験した震度5より大きいと感じました。震度では6*くらいかもしれません。ラジオでは7.9(後で訂正され7.6)と言っていますので、マグニチュードなのでしょう。レストランにいた人たちは、「ブカンパ(地震が)アヨ(来た)」と言いながら、道路に飛び出しました(写真3、5)。

 * (震度の注釈)「気象庁震度階級関連解説表」を改めて見ますと、1995年の神戸・淡路地震の時に大津で体験した震度は「5弱」の「多くの人が身の安全を図ろうとし、一部の人は行動に支障を感じる」状態でしたので、今回の震度はそれよりは大きかったことは確かですが、地震の際には、部屋から道路に飛び出し、立っていることができたこと(写真3、5)にくわえて、宿舎の部屋の冷蔵庫などの家具類をはじめポットやコップのたぐいまでそのまま立っていましたので、震度「6j弱」の「立っていることが困難になる」ほどではありませんでした。とすると、今回の震度は、「5弱」の上程度から「5強」の「非常な恐怖を感じ、多くの人が行動に支障を感じる」状態に相当したのではないか、と思い直しました。ただ、カトマンズなどの湖底堆積物に覆われたところでは軟弱地盤なので、震度「6弱」以上になったかもしれません。

  地震直後には、近くの町バネパ上空に大きな土煙が上がりました(写真4)。おそらく倒れた家の土壁から出た土煙なのでしょう。私のいる大学周辺のドゥリケルは新興住宅地で、建物が比較的新しかったため倒壊した家は見当たりませんでしたが、建物の壁のレンガが崩れ散乱し、バイクが壊されていました(写真6)。人的被害も少なかったようなのは、地震発生が休日の正午頃だったので、子供たちも家にいて、みんなで地震対応ができたからなのでしょう。しかし、大学の図書館の書架はのきなみ倒される被害がでました(写真7)。大学のネットは図書館2階で管理していますので、当分ネットは使えなくなりました。

写真1 稲刈り後の田んぼとあぜ道に咲く雑草 (2015.04.25 at 11:38)

写真2 ピンクの雑草とクローバー (2015.04.25 at 11:38)

写真3 地震直後道路に飛び出したレストランの人たち (2015.04.25 at 11:57)

写真4 大学近くのバネパの町から立ち上る土煙 (2015.04.25 at 11:59)

写真5 地震直後に大学キャンパスに避難してきた人たち (2015.04.25 at 12:06)

写真6 大学近くの民家の壁が壊れ、バイクにも被害 (2015.04.25 at 13:03)

写真7 大学図書館の倒れた書架 (2015.04.25 at 13:06)

地震翌日(2017.04.26
  地震第1目の夜は、星空でしたので、ほとんどの人は外で寝たようです(写真8)。ただ、大学の食堂はプレハブで屋根がトタン張りで倒壊の心配がないため、一部の人は食堂内で一夜を過ごした人もいました(写真9)。カトマンズからの新聞が届くようになり、ラジオ情報のみとは違って、生々しい写真で倒壊した建物などの情報が伝わり、地震災害の恐ろしさが伝わってきました(写真10)。私はといえば、レンガ建ての3階の宿舎で夜を過ごしたのですが、パソコンやカメラ・ラジオなどの必要品はパッキングし、着の身着のまま、靴も履いたままで、いつでも机の下に潜り込めるようにして、机の横のベットでまどろんでいましたが、それでも3回ほどの余震でとびおきました。
戸外で夜を過ごした人たちからは、「とっても怖くて室内では寝られない。You are brave.(あなたは勇敢です)」と言われますが、正直なところ、こちらもおっかなびっくりでした。ただ、夕方6時頃から朝の5時ぐらいまでの暗い間は、時々停電があるのにくわえてネットが使えないとはいえ、電気が来ていると、お茶も飲めますし、先日発表したネパール地質学会への投稿原稿をまとめたり、今回のネパール地震の写真やデータなどの整理ができますし、さらには各種の電池の充電ができるので助かりました。
  2日目には大学の食堂も復活しましたが、通学・通勤のために大学が運行している20台ちかくのバスがこないため、カトマンズなどからの学生や職員たちが登校できなくなっています。しばらくは、図書館のように使用不能の施設もありますので、大学の休止状態が続くのではないでしょうか。学生寮に泊まっている人や職員寮の人たちがキャンパスの芝生で過ごすなか、3月からキャンパスの森に住み続けているカッコウがいまも癒しの歌を奏でてくれています。しかも今回見たのはペアーの2羽のカッコウでした。最初は2羽いるとは気づかず、鳴き声から1羽いると思っていました。まず、先に1羽のカッコウが鳴きながら飛び立っていった後もしばらく鳴かずに枝に止まってた他の1羽もいることに気づきましたが、結局、その1羽も先に飛んでいった鳴き声を追いかけていってしまいました。写真を見ると、先に飛んでいった個体は体の縞模様や斑点がはっきりしていますし、首周辺にマフラーのような毛をつけ、勇ましい感じがしましたので、オス(写真11)ではないかと判断しましたが、他の1羽は模様が薄く、全体に丸みをおび、鳩のような感じがしましたので、メス(写真12)ではないかと思いました。すると、メスがオスを追いかけることになりますが、そんなこともあるのでしょうか。3月はじめの桜の花とともにやって来たツバメも今は子育てに夢中です(写真13)ので、他の鳥の巣に卵を産みつけるというカッコウもそろそろその時期を迎えているのかもしれません。大学図書館の森の日陰で、井上ひさしの「新釈遠野物語」の雉子(キジ)娘をのんびりと読んでいますと、キジの死を悲しみ、山躑躅(ツツジ)になったキジ娘とカッコウが、いまも人々を癒してくれるという点では重なってくるような感じがしました。

写真8 大学キャンパスで夜を過ごした人たち (2015.04.26 at 05:42)

写真9 大学食堂で夜を過ごした人たち (2015.04.26 at 06:03)

写真10 カトマンズの被害を報告する新聞を見る人たち (2015.04.26 at 09:05)

写真11 カッコウのオス? (2015.04.26 at 09:47)

写真12 カッコウのメス? (2015.04.26 at 09:48)

写真13 子育てするツバメ (2015.04.29 at 10:12)

地震3日目(2017.04.27
  停電の多い大学ではネットが使えませんので、カトマンズ大学ドゥリケル病院なら発電機があり、常時電源が確保されているからメイルが使えるかもしれないと考え、1時間ほど歩いて出かけたところ電気はあるが、やはりメイルは使える状態ではないことがわかりました。
病院近くの畑地にはヘリが停まっており、ネパール中央部の被災地から被害者を運んでいるところでした(写真14、15)。担架に乗せられた被害者は、看護師に住民も協力して、カトマンズ大学ドゥリケル病院に運ばれていました(写真16、17)。
  病院周辺の住宅地でも夜を外で過ごす人たちのテントがあり、トイレも設置されていました(写真18)。ラジオ情報では死亡者3,700名、負傷者7,000名と報告されているうえに、エベレストの登山者にも雪崩で20名ほどの被害者が出ているほか、これからさらに各地での救助が進めば、大きな被害の実態が分かってくると思います。はたして、氷河湖は無事でなのかどうか。氷河湖決壊洪水が起こらないと良いのですが。カッコウが癒しの歌を奏でるなか、咲きはじめたカトマンズ大学事務棟前のタイサンボク(写真19)が、バネパの町を見下ろしながら、初夏のちかいことを伝えています。

写真14 ヘリコプターから運ばれる被害者 (2015.04.27 at 10:27)

写真15 被害地へふたたび向かうヘリコプター (2015.04.27 at 10:29)

写真16 被害者を運ぶ人たち (2015.04.27 at 10:31)

写真17 カトマンズ大学ドゥリケル病院に運ばれる被害者たち (2015.04.27 at 10:44)

写真18 ドゥリケル周辺の白いテントと黒いトイレ (2015.04.27 at 10:59)

写真19 咲きはじめたカトマンズ大学のタイサンボク (2015.04.27 at 06:37)

地震4日目(2017.04.28
  大学から歩いて小1時間のところにバネパの町があります。ネパール地震直後にこの町から大量の土煙が出ましたので、気になっていました。朝食後、歩いていきますと、町の入口近くにバケツを持った人たちが長蛇の列を作っていました。その人たちは給水車から水をもらいに集まっていたのです(写真20、21)。地震による水道管の故障で、断水状態だったのでしょう。
  さて建物ですが、通りに面した新しい建物はヒビが入っているとはいえ、倒れた建物は見当たりませんでしたが、通りから少し奥にある旧市町の古い建物は倒されていたり、今にも倒れそうで、支えの木材がつっかい棒になっていました(写真22、23)。地震直後に大学近くから見たバネパの町の土煙はこれらの古いレンガ建ての土壁が崩壊した時に出てきたものであることが確認できました。付近の祠では子供が祀ってある神々を眺めていました(写真24)が、その背後の池は見事と言って良いほど繁殖したアオコに占められていました(写真25)。富栄養化状態がかなり進んだことを示しています。
  バネパの町外れにも、戸外で夜を過ごすための簡易テントが作られていましたが、その背後に見える弱々しいレンガの建物は(写真26)地震に耐えて残ったところを見ると、まがりなりにも新しい鉄筋コンクリートなら、今回のネパール地震の強度には持ちこたえることができたのでしょう。大学に戻ってくると、また1つ、発見がありました。大学のグランド周辺の強度の弱い粘土質の盛土部分に地震の際にできたと思われる亀裂が南北方向に走っていました(写真27)。この亀裂は南北方向に働くアジア大陸とインド亜大陸の衝突による圧縮応力で形成された割れ目の可能性があり、このような割れ目は、氷河流動で側壁への圧縮応力で形成されるクレバスとの共通性があると思われます。
  ヒマラヤはアジア大陸とインド亜大陸の衝突で地震が発生する時に上昇すると考えられていますので、4年前の東日本大震災によって、東北各地の地殻が大きく変動したのと同じことが、今回のような大きなネパール地震の際にもヒマラヤで起こり、世界最高のチョモランマ(エベレスト、サガルマータ)はさらに高くなっているかもしれません。今日の午後は雨でしたが、夕方雨があがり、久しぶりにヒマラヤが雲間に顔を見せてくれました。神々の座、雪化粧のガウリシャンカールをお届けします。

写真20 給水車に水をもらいに集まった人たち (2015.04.28 at 09:30)

写真21 給水車に水をもらう列 (2015.04.28 at 09:31)

写真22 崩壊したレンガ造りの民家 (2015.04.28 at 09:55)

写真23 つっかい棒で支えられたレンガ造りの民家 (2015.04.28 at 10:02)

写真24 祠に祀られた神々を眺める子供 (2015.04.28 at 10:05)

真25 祠の背後の池に繁殖するアオコ (2015.04.28 at 10:06)

写真26 バネパの簡易テントとレンガ造りの新しい民家 (2015.04.28 at 10:21)

写真27 大学内の盛土部分の亀裂(割れ目) (2015.04.28 at 10:49)

写真28 雪化粧のガウリシャンカール (2015.04.28 at 17:49)


余話
地震5日目(2017.04.29
  夕方、ヘルメットをかぶった人たち(写真29)が部屋に来ました。地震の影響が建物に現われていないか、調べているという。部屋に入るとすぐに、(東側の壁にはありませんが)、西側の壁に幅1~2mm、長さ1mほどの割れ目というより、ひび割れ(写真30)があるのを見つけてくれました。これが今回の地震でできたものだといって、彼のノートに記録していきました。ぼくには、このひび割れが今回ののものか、もっと古いものか、分かりませんが、この程度のひび割れなら、地震国日本の家屋の壁にはしばしば見られるのではないでしょうか。「この部屋に住んで、大丈夫か」と聞くと、「OK」と言ってくれました。

写真29 壁のひび割れを指し示す検査員 (2015.04.29 at 16:14)

写真30 壁のひび割れ(杖の黒テープは10cm間隔) (2015.04.29 at 16:48)

これからの予定
  現在はカトマンズ大学の講義は中止状態ですので、5月1日ICIMODのディビット・モルデン所長とヒマラヤの写真データ・ベースについて打ち合わせをし、5月2日はカトマンズの地震の被害状況を見て、5月3日にバスでポカラに行き、国際山岳博物館の展示更新を10日間ほど行う予定です。また、道中やポカラなどの状況は次のメイルでお伝えします。
  それでは、みなさまもご自愛ください。ナマステ!

2017.04.29夕方 カトマンズ大学宿舎にて記す)

2015年4月17日金曜日

2015年ネパール春調査(5)カトマンズ大学にて(2)

2015年ネパール春調査(5)

カトマンズ大学にて(2)



1)ネパール地質学会

写真1 ウプレティ前教授とのスナップ(ホテルYak&Yetiにて)

  ネパール地質学会が4月7日から9日にカトマンズで開かれました。会場は前回報告しました国際氷河学会と同じホテルYak&Yetiで、2会場に別れた発表とポスター・セッションがあり、参加者は200名ほどでした。まず最初に、トリブバン大学を退官されたウプレティ前教授(写真1)が総括的な報告を行い、ヒマラヤの地質研究に功績のあったヨーロッパのガンサー博士などとともに、日本の木崎博士グループの業績を高く評価していたことが印象的でした。

写真2 シワリーク(Chure)地域の環境改善担当のRameshore Khanalさんの発表

  会議の共通テーマは“Geosciemces in Sustainable Development: Challenges and Opportunities”で、このテーマに直接関係する発表としては”Reversing the Chure degradation: analysis of the issues and measures underway for correction” の題で、ネパール南部のシワリーク(Chure)地域の環境改善担当のRameshore Khanalさん(写真2)が報告しました。マラリア撲滅で移住者が増え、開拓による熱帯雨林消滅が危惧されるなか、侵食されやすい砂地の多いシワリーク地域の地形保全や環境保全のための農業や牧畜指導を住民と一緒になって総合的に行っているとのことでした。彼はもと大蔵省のセクレタリーをされていたそうですので、今後の指導力に期待されます。また、シッキムのVinod Tewariさんからは”Potential of geopark development in the Sikkim Himalaya, India: some suggestions”の題で、重要な地質フィールドの保全と博物館構想が報告されました。シッキムには古生代のゴンドワナ大陸の氷河遺跡や植物化石があるなど貴重な露頭を保全し、観光にも生かしていきたいとのことでした。

写真3 山形大学の八木浩司教授のポスター発表

  さらに山形大学の八木浩司教授(写真3)は”Critical slope angle inducing landslides on dip slope by each geological type in central western part of the lower Nepal Himalaya”のポスター発表を行い、現地調査に基づく地滑り地形の詳細な地図に注目が集まっていました。八木教授によれば、衛星写真を解析する研究が増えているが、それでは実際の現象を見落としている可能性があるとの主張には賛同しました。というのは、ネパールの最近の五万分の一地形図でも、実際には氷河のないモレーンの谷に氷河があるように書かれている地域があるからです(写真4)。この地図を見ると、氷河中央部に沢山の大規模な氷河湖が分布する不自然な形態になっていますが、おそらく、航空写真に映った雪などの影響で氷河地域を拡大解釈したのでしょう。この地図の氷河分布は、あたかも16世紀の拡大期の氷河を見ているような感じです。ただ、氷河湖については正確に表現されているようですが、この五万分の一地形図はよく利用されているので、氷河地域での利用に当たっては注意が必要です。


 写真4 1963年のシュナイダー地図(左)のモレーンの谷「Hongu Valleyの字」の部分が1996年のネパール測量局の地図(右)では氷河域を示す水色の等高線で描かれている。

  学会の責任者の1人であるVishnu Dangol教授(写真5)は、前便でお知らせしたように学会参加費を半額にしてくださった方ですが、教授からは会議後、次のようなメイルが送られてきました。
Dear Fushimi sensei
I express my heartfelt gratitude to you from the bottom of my heart for making the 7th Nepal Geological Congress a success. Your active participation and support was instrumental for us to organize the Congress.
Thanking you once again
Vishnu Dangol, Ph.D.
Convener, Seventh Nepal Geological Congress

写真5 ポスター会場のスナップ(右から2人目がVishnu Dangol教授、左端が八木浩司教授)

   このネパール地質会議では下記の題で発表しましたので、その要旨を添付します。

題:Environmental changes of Nepal Himalaya in terms of GLOF phenomena
要旨 Due to the global warming, many glaciers are receding and glacial lakes are expanding and the Glacial Lake Outburst Floods (GLOF) have been occurring in Nepal Himalaya. For example, Mingbo GLOF in 1977 (Fushimi et al,1985), Lagmoche GLOF in 1985 and  Saboi GLOF in 1998 were occurred in the Khumbu region. All of the reported GLOFs occurred in the region are smaller glacial lakes which area are less than 1 km2.and no larger glacial lakes showed any GLOF.
  The Tulagi glacial lake is located at the upper part of the Dana Khola in the west of Mt. Manaslu. The water level of Tulagi glacial lake has been lowered due to the outlet erosion at the end moraine since the 16th century glacial advance that indicates to lower the GLOF risk. At the same time, the lake level continuously lowers in recent years since 1990’s.
  The end moraine structure of a large glacial lake is strong enough to prevent the occurrence of the GLOF that is completely different from a small glacial lake with steep cliff at the upper part of the lake producing avalanches directly dropping into the lake causing TSUNAMI to destroy the fragile ice-cored moraine. We must be very careful about the small glacial lakes developing in the Hong Khola around Mt. Chamlang which have steep cliff in the upper part of their accumulation area, so they must be taken to mitigate against GLOF. However, the large glacial lakes such as the Tulagi and the Imja are safe against the GLOF, as the ICIMOD (2011) reported “Imja Tso has less likelihood of outburst than Tulagi lake”.
References
Fushimi et al, 1985 Nepal case study: Catastrophic Flood. IAHS, 149, 125-130.
ICIMOD  2011  Glacial Lakes and Glacial Lake Outburst Floods in Nepal. Kathmandu: ICIMOD.



Environmental changes of Nepal Himalaya in terms of GLOF phenomena

Hiroji Fushimi
Kathmandu University

1. Introduction
In 1965, I saw Nepal for the first time. I recalls those days when the Kathmandu valley breathed fresh crisp air and the sight of towering Himalaya as well as various species of fishes in the clear Bagmati River simply took my  breath away. However now days, the mountains and hills are hidden by thick air pollution and choking dust and in the name of Bagmati are the waste, stench and filth. I would like to remind you to think seriously about the causes and dangerous effects of this environmental deterioration. In 1960’s and 1070’s, there were many cows and dogs in streets clearing up the waste and raw vegetables where there were almost no plastic products and there was fortunately a sustainable circulation in the Kathmandu life environments that is now completely destroyed.

Fig.1   Changes of Kongma Glacier, Khumbu region, east Nepal.                                                          
Fig.2 Changes of Gyajo Glacier, Khumbu region, east Nepal.

We will find the similar kind of the great change in Himalayan glacial phenomena. I would like to show you two typical pictures taken in Khumbu region, east Nepal. Figure 1 is the Kongma Glacier located near the Khumbu Glacier of Mt. Everest, the ELA (Equilibrium Line Altitude)  located in the middle of the glacier indicateing a heathy glacier in 1970’s, but it raised higher than the glacier altitude meaning all part of the glacier being an ablation area. That is why the glacier melts very fast. Figure 2 is Gyajo Glacier near Namch Bazar, it was also a healthy glacier in 1970, but it retreated very rapidly and became no more glacier to have been a parennial snow pacth in 2009 just like Kongma Glacier (Fig, 1). These glaciers located below 7000 m will be desapear in the middle of this century.

Fig. 3 Construction of the water pipe from Gyajo Khola, Namche Bazar area.

The Gyajo Glacier is an important water resource for Namche Bazar and the near-by villages in the Khumbu region and that is why they are making a hard work to construct a water pipe from Gyajo Glacier (Fig. 3), but people will lose their water resource in near future. It is really happened 5 years ago in Mustang, north central Nepal where people had to leave their villages as an environmental refugee due to the lack of water resource caused by the disappearance of glaciers (Myrepublica, 2010-06-01). This kind of the environmental refugee will happen not only in Nepal, but also in many parts of the South Asia where the Himalaya fed mighty rivers flow down and the level of the river lowers but the ocean level raises due to the global glacier melts as well as oceanic temperature rise, consequently the salt sea water penetrates into river as well as ground water. What will happen then, several hundreds millions people will be environmental refugees in the end of this century in order to get fresh water. I think the change of the Himalayan glaciers will be an important key for the Asian environmental issues in terms of water resources.
This is a report from field works since 1970 in the Nepal Himalaya, and not from desk work.

2. GLOF characteristics of the Nepal Himalaya

Fig.4 GLOF map of the Khunbu region, east Nepal. Yellow circle shows the GLOF small lakes, red dashed line the large lakes and yellow dashed line the small lakes wit the high risk of future GLOF.

   Since 1970, many glaciers are receding and at the same time, glacial lakes are expanding in the Khumbu region of east Nepal, and the Mingbo Glacial Lake Outburst Flood (GLOF) occurred in 1977. After that, the Lagmoche  GLOF in 1985 and the Saboi GLOF in 1998 were occurred in the Khumbu region (Fig. 4).
   The reported GLOFs occurred in the region are smaller glacial lakes which area are less than 1 km2 and no larger glacial lakes such as Glaciers Imja and Tso Rolpa  showed any GLOF phenomena. Why is the small glacial lake susceptible and a large glacial lake safe against GLOF in Nepal Himalaya?
   All of these valleys eroded by GLOF are clearly seen even in the satellite image shown by the white line due to the eroded valley topography (Fig. 4).  However, ther are no such eroded valley topography are seen along the river sides of  the larger glacial lakes, Imja and Tso Rolpa.

2-1.  Small glacial lake
2-1-1.  1977 Mingbo GLOF 

Fig.5 1977 Mingbo GLOF In the left phot, Mingbo valley eroded, Ice coreed moraine and newly formed lake are shown, and the vacant lake and Dudh Kosi hydrograph in the right figure.

   The Mingbo (Nare) glacial lake was located in the south of Mt. Ama Dablam, Khumbu region. On 3 Sept., 1977, the lake caused the GLOF (Fig. 5) when we had been making glaciological surveys in the region. So, we went up along the eroded Minbo valley caused by the GLOF (Left photo) and observed the vacant lake 300 m long, 200 m wide and 30 m deep with the terminal moraine destroyed (Upper right). There was an ice-cored moraine (Left photo).
   Due to the large amount of debris caused by the GLOF, a new lake was formed in the Imja Khola near Pangboche (Lower left photo), while the river level of Dudh Kosi raised abruptly about 1 m at Raswa Hydrological Station (Lower right). So, the GLOF disasters, such as destruction of roads, bridges and houses near the river bed, were occurred along Dudh Kosi (river).

2-1-2.   1985 Lagmoche GLOF

Fig.6 Lagmoche (Digtso) glacial lake near Thame in the western part of the Khumbu region. End-moraine was destroyed at the 1985 GLOF and the GLOF disaster was reported along the Dudh Kosi river.

   The Lagmoche (Digtso) glacial lake  near Thame in the western part of the Khumbu region has the steep cliff  causing avalanches and rocks directly falling into the lake and huge waves (Tsunami) possibly destroyed  the end moraine (Upper right photo) and villages along the river (Lower right photo) by the 1985 GLOF.

2-1-3.   1998 Saboi GLOF

Fig.7  Saboi glacial lake is in the south-eastern part of the Khumbu region and has a steep clif in the upper part of the lake.

   Figure 7 is the picture of the Saboi glacial lake as well as its glacier taken from a plane and in field survey I 1976. The Saboi glacial lake in the south-eastern part of the Khumbu region locates in Hinku Khola and  has also the steep cliff in the upper part of the lake (Fig. 7) was thought to have destroyed the end moraine by a kind of Tsunami due to the avalanche or rock fall from the steep cliff at the time of the 1998 GLOF.

2-1-4.  Gabche  GLOF

Fig. 8  Gaptse glacial lake is located at the south face of Mt. Annapurna. Gapche Glacier is fed by avalanche which causes a large wave called  “TSUNAMI” to form Glacial lake Outburst Flood (GLOF).

   The Gaptse glacial lake locates at the south side of Mt. AnnapurnaⅡ in the central Nepal Himalaya. Manoj and others (2005) reported that “the field verification was not done regarding the nature of glaciated region”  So, the field observation was carried out in May 2012 and we found that it is the lowest glacial lake with altitude of 2,500 m a.s.l. in Nepal Himalaya and there is a quite large cliff, which altitude difference is about 4000 m, in the upper part of the glacial lake.
   We noticed frequent avalanches from Mt. AnnapurnaⅡand Lamjung Himal, and such avalanches and rock falls create a Tsunami to cause GLOF when they fall directly into the lake. The GLOF disaster occurred along the Madi Khola in 2003, 2005 and 2009 according to the local residents.

2-2.   Tulagi glacial lake as a large glacial lake

Fig. 9 The Tulagi glacial lake is located at the upper part of the Dana Khola (river), one of the Marshangdi’s tributary river in the west of Mt. Manaslu and Mt. P29

   The Tulagi glacial lake is one of the large glacial lake and located at the upper part of Dana Khola, the Marshangdi’s tributary river in the west of Mt. Manaslu and Mt. Peak 29. Ther is no eroded valley topography caused by GLOF along Dana Khola below the river mouth of Tulagi glacial lake.

2-2-1.  Glacial changes

Fig. 10  The changes of the Tulagi glacial lake and its glacier terminus

   The changes of the Tulagi glacial lake and its glacier terminus were determined by air photos and field surveys.The lake size is 3 km long, 0.5 km wide and  expanded at yearly rates of 31 m from 1975-1992, 47 m from 1992-2005, 68 m from 2005-2008, 60 m from 2008-2009 and no significant change from 2009-2014. The recent changing rate had been accelerating with active calving from 1975 to 2009, but it seems to be settled down and show no remarkable calving phenomena since 2009. The terminus of Tulagi glacier was thought to have stranded on the lake bed.

Fig. 11  Tulagi glacier terminus

   The Tulagi glacial lake has the huge debris covered glacier in the upper part receiving  avalanches and rock falls from Mt. Manaslu and Mt. Peak 29, which is completely different from the small glacial lakes having the avalanches and rock falls dropping directly into the lake.

2-2-2.  Recent changes of the lake level

Fig. 12 The above yellow arrows show the lowering of Tulagi lake level form 1996 to 2009.

As Nepal Department of Hydrology and Meteorology (DHM) made a glaciological survey in 1996, the topographic characteristics were compared with the photographs of 1996 and 2009 in the lower part of the lake, and the lowering of the lake level is clearly shown by the yellow arrows and a clean pond is newly formed due to the sedimentation of glacial clay (glacier milk) at P point (Fig. 12).

Fig. 13 The shore line without vegetations is 2.5 m above the present lake level and the 1996 water gauge has been left higher than the lake level

   The shore line without vegetation is 2.5 m above the present lake level (Lower and upper right photo in Fig. 13) and the 1996 water gauge has been left higher than the present lake level (Upper left photo in Fig. 13). The lake level lowered 2.5 m from 1996 to 2009.

2-2-3.  Glacial history of the neoglaciation

Fig. 14 Glacial history (glaciations) in Khumbu region, east Nepal.

   The plant remnants were sampled from the moraine basement of the Thuklha stage in the Khumbu region. Since the 14C age of the sample is 410±110 yr B.P., the age of the Thuklha stage is the 16th century, beween 15th and 17th  century in the neoglaciation (Fushimi, 1981).

Fig. 15  Topography of the terminus of Tulagi glacier lake

   Fushimi (1981) reported that the Tulagi glacial lake was formed after the glacial advance in 16th century in the neoglaciation and there is no evidence of the GLOF occurrence indicated by a newly formed river terrace with an eroded valley topography along Dana Khola. At the  end-moraine of Tulagi glacial lake between the lower part of the lake and the most upper part of Dana Khola, the river mouth (outlet) is eroded about 30 m from the top of the end moraine formed in 16th  century. So, the water level of Tulagi glacial lake has been lowered at the average annual rate of 5 cm due to the outlet erosion at the end moraine since the glacial advance of 16th century that indicates to decrease the GLOF risk.

2-2-4.  Moraine structure

Fig.16  Moraine structure. The end moraine structure of Tulagi glacial lake is strong enough to prevent the occurrence of the GLOF

   The end moraine structure of Tulagi glacial lakes is wide and strong enough to prevent the occurrence of the GLOF. The lake level of the Tulagi glacial lake has been continuously lowered by the outlet erosion at the end moraine to decrease the GLOF risk and it is occurred without having a man-made canal. The Tulagi glacial lake is thought to have a kind of an autonomous property to prevent the GLOF.

2-2-5.  Imja glacial lake

Fig. 17  Changes of the Imja glacial lake from 1975 to 2013.

       Figure 17 shows the Imja glacial lake taken in 1975 by plane, and in 2002 (Upper left photo in Fig. 17) and 2013 (Lower left photo in Fig. 17) taken at the field study. The size of  Imja glacial lake expanded from 1975 to 2002, but reduced in 2013. The end moraine structure of Imja glacial lake is also wide and strong enough to prevent the occurrence of the GLOF.
   Though the Himalayan Times (2013) reported that the United Nations Development Programme (UNDP) and Nepal government made an agreement to build a man-made canal, I would like to recommend to make necessary field observations before taking such project to construct a man-made canal in the pristine nature of the Himalayas.

3.   Conclusion

Fig. 18  The small glacial lake, developing in the Hong Khola around Mt. Chamlang.

3-1. GLOF
All of the reported GLOFs occurred in Nepal Himalaya are smaller glacial lakes and no larger glacial lakes such as Glaciers Tulagi, Imja and Tso Rolpa showed any GLOF phenomena before.
    Why is a large glacial lake safe against GLOF in Nepal Himalaya? What is the higher risk of the GLOF? It is not a large glacial lake, but a small glacial lake. We must be very careful about the small glacial lakes, for example, a small glacial lake developing in the Hong Khola around Mt. Chamlang  (Fig. 18)  which have steep cliff to cause avalanches and rock falls that create a Tsunami destroying the end moraine and forming the GLOF, so they must be taken to mitigate against GLOF.
    Due to the outlet erosion at the end moraine of the larger glacial lake since the 16th century glacial advance, the lake level has been always lowering and reducing the GLOF risk without having a man-made canal.
    As the ICIMOD (2011) reported “Imja glacial lake has less likelihood of outburst than Tulagi lake” and Tulagi glacial lake is safe against GLOF due to an erosion at the end moraine, so both the large glacial lakes such as Tulagi and Imja are safe against GLOF.

3-2.  Environmental changes
The International Mountain Museum in Pokhara gets about 1.5-lakh visitors annually and more than a half of them are students coming with school buses from all over Nepal. I prepared a corner section in the Museum dedicated to showing the changes of Himalayan environment, such as glaciers, Glacial Lake Outburst Flood (GLOF), Global Warming and the problems created out of it. I want all the Nepalese people especially the younger impressionable minds to be aware of the fact that Nepal’s environment is also changing rapidly and its effects on the future of the country. I shared my future plans of wanting to make a picture database, about one hundred thousand massive image collections that I donated to the museum.

Fig. 19 The big bats migrated, then what will happen to the crow kingdom! Is this an omen of the Rachel Carson's "Silent Spring"?

    As the upper Mustang people already migrated few years ago due to the shortage of water resources caused by the disappearance of glaciers and most of glaciers located below 7,000 m will disappear in the middle of this century, then several hundreds million people in the South Asia living along the mighty rivers of the Himalayan origin will lose the fresh water and they have to migrate as an environmental refugee just like the Mustang people. There are now no big bats used to be in the forest of the old palace in Kathmandu (Lower left photo in Fig.19) and they migrated somewhere. They may be a kind of the environmental refugee indicating our future, then what will happen to the crow kingdom (Fig.19) now seen not only in Kathmandu but also all over in Nepal. If there is nobody living in Kathmandu, the crow can not get foods and they also become an environmental refugee. Finally, will the so called, Rachel Carson’s “Silent Spring” come to Kathmandu in Nepal Himalaya? From that point of view, I am now delivering my lecture “Environmental Changes of the Nepal Himalaya” (Fushimi and Hoshiba, 2015) at Kathmandu University with my hearty condolences to Nepalese people suffered from the huge earhthquake happened on 25 April, 2015.

References
Fushimi et. Al. (1981) Glacial history in the Khumbu region, Nepal Himalayas in relation to upheavals of the Great Himalayas. Symposium on Qinghai-Xizang (Tibet) plateau (beijin, China), 2, 1641-1648.
Fushimi et. al, (1985) Nepal case study: Catastrophic Flood. Techniques for prediction of runoff from glacierized areas, International Association of Hydrological Sciences, 149, 125-130.
Fushimi H. and Hoshiba S. (2015) Kathmandu University Lecture.
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
ICIMOD  (2011)  Glacial Lakes and Glacial Lake Outburst Floods in Nepal. Kathmandu: ICIMOD.
Manoj Kr. Ghimire1, Shreekamal Dwivedi and Subhrant K. C.1 2005 Glacial study in Madi watershed with special reference to GLOF of 2003. Journal of Nepal Geological Society, Vol. 32 (Sp. Issue).
Myrepublica 2010-06-01 Nepal's first climate refugee village in Mustang.
http://archives.myrepublica.com/portal/?action=news_details&news_id=19341
Rachel Carson  (1962) Silent Spring.
The Himalayan Times (2013-07-15). Nepal, UNDP ink deal on cutting flood risk.
 http://southasiarevealed.com/2013/07/16/nepal-undp-ink-deal-cutting-flood-risk/


2)カトマンズ大学の講義

写真6 干場悟さんの講義風景

  現在のところ当初の予定通り、月・水・金曜日の午前中2時間の講義(*1)で、全体の半分ほどを終えていますが、今回のネパール地質学会の期間中は、干場悟さんに講義をおこなっていただきました(写真6)。干場さんはコンピューター“IT”の専門家ですので、”How to get the skill of computing”(*2)のテーマで、学生が大いに興味をもっくれました。
(*1)http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
(*2)http://easymycomputer.weebly.com/

3)ネパール山岳協会とモンゴル山岳協会関係者

写真7 モンゴル山岳協会の歓迎会(ネパール帽子をかぶって中央で踊っている文化観光省次官のSuresh M. Shresthaさんと一緒の踊っている左の方がモンゴル山岳協会長のZaya Sanjaaさん)

  ネパール山岳協会副会長のサンタ・ラマさんは国際山岳博物館担当でもありますので、去年暮れにアジア山岳協会広島会議の時に東京で関係者が会い、博物館の課題について議論しました。今回もカトマンズで4月8日に会うと、バンダ(ゼネスト)も中止になったので、モンゴル山岳協会の方の歓迎会を行えるようになったとのこと、ついては参加しないかと誘われました。歓迎会場はネパール・レストランで、広島会議にも参加し、多少の日本語を話すモンゴル山岳協会長のザヤ・サンジャさんも踊りだすほどの楽しい会(写真7)になりました。

4)バンダ(ゼネスト)の影響


写真8 バンダ当日の旧王宮前の通りの車の状況

  ネパール新憲法の成立は、6年前にJICAのボラティアーとしてポからの国際山岳博物館に来て以来の課題になっていますが、今回も野党側が中心になって与党側へ圧力をかけるために、当初の予定では4月7日から3日間、産業活動停止(緊急車以外の車使用禁止)などのバンダをすることになっていましたが、前述のように、第1日目の夕方5時でバンダは終了しました。4月7日からはネパール地質会議が始まっていましたので、カトマンズ中央部のターメルにあるホテルから会場のホテルYak&Yetiまで20分ほど歩く途中で、バンダ前後の車の様子を観察しました。

写真9 バンダ終了後の旧王宮前の通りの車の状況

   4月7日のバンダ当日は車はほとんどなく、もっぱら力車と自転車が我が物顔に走っていました(写真8)。バンダ中は車の排気ガスの影響がなくなりましたので、空気がきれいになり、マスクも必要ないほどでした。ところが、バンダが終了すると車がこぞって道路に出てくる(写真9)と、たちまち元の木阿弥で、空気が汚れ、マスクが必需品になりました。バンダは、産業活動にとっては打撃ですが、空気をきれいにする環境問題解決にとっては寄与していますので、車を禁止しなくとも、東京でやったような車の排ガス規制ができれば良いのだが、と思いました。といいますのは、ネパール地質会議が終了した4月9日にカトマンズ大学に戻る時、黒々としたすさまじい煙状の排気を出すトラック(写真10)の後ろを追従する羽目になったからです。そのため、していたマスクはたちまち黒くなってしまいました。トラックの直後を走っていたバイクの運転手が気の毒になるほどでした。

写真10 黒々としたすさまじい煙状の排気を出すトラック

5)ビスケット・ジャットラ祭り
写真11 バクタプールでビスケット・ジャットラ祭り。左下の日本の山車を引っ張る祭りのルーツかも。

  4月10日にリジャンさんの家のあるバクタプールでビスケット・ジャットラと呼ばれる山車を引っ張る祭り(写真11)が開かれました。名前のビスケットとは食べ物ではなく、ネパール語ですが、意味はりジャンさんもよくわからないとのことです。意味はともかく、幸運を呼ぶ祭りのようです。山車を綱で引っ張る様子が祇園祭や大津祭りなどとよく似ているので、日本の山車を引っ張る祭りのルーツかもしれません。

写12 祭りを空から無人操縦の小型ヘリコプター(Drone)が撮影

   その祭りを空から無人操縦の小型ヘリコプター(Drone)が撮影していました(写真12)が、さっそく「youtube」にでている画像(写真13)を見ると、(日本の首相官邸にも落ちたそうですが)このようなDroneによる撮影画像は氷河調査などでも有効ではないかと感じました。

写真13  Droneの「youtube」画像(https://www.youtube.com/watch?v=CwJsH0UWrB4

6)大学周辺の散歩コース
写真14 大学周辺の散歩コース(GPSの軌跡がそれぞれのコースを示す;ほぼ中央のKUがカトマンズ大学

  ネパールの休日は土曜日ですが、それ以外にも4月14日は新年を迎える元旦でしたし、また4月17日は元首相が亡くなられたので休日になりました。このような休日の時には、大学周辺のハイキングを楽しんでいます(写真14)。カトマンズ大学(KU)を中心にして歩き回りましたので、東西南北ほぼ5キロ周辺の土地勘がつきました。大学が田園地帯にあることは前便でお知らせしましたが、周辺の山地はかなりの森林が残されており、のんびりと森林浴にひたれますし、4月はじめならシャクナゲを見ることもできます。森の中には祠や寺院がありますので、住民がお寺とともに森林も大切にしていることがわかります。大学周辺の森の伐採は禁止されているとのことですので、水資源の供給地としても森林は大切です。しかし、お寺の近くまでも道路をつけて観光地化し、大音量の音楽を流しているところがあるのにはがっかりもします。
  ところで、上記の新年元旦はネパール歴で2072年とのことで、ドゥリキヘルのバグマティ寺院背後からのぼる日の出の写真を使って、ネパールの友人たちには年賀状(写真15)を送りました。

写真15 ネパール歴2072年の年賀状

7)これからの予定
5月3日から9日にポカラに行き、国際山岳博物館の展示更新をしますので、その期間の講義は、干場悟さんにしていただくことになっています。当初は5月末に講義を終了する計画でしたが、ポカラ行きが早くなりましたので、講義期間は1週間のび、6月5日まで行う予定です。