2014年6月25日水曜日

ネパール2014春調査報告13 

ネパール2014春調査報告13

調査のまとめと今後の計画
写真1 ポカラから見た朝日で光輝くヒマラヤ上空の彩雲と、マナスル三山の逆光のシルエット

まずは、今回の「ネパール2014春調査」の基地となったポカラを去る6月初めに見た朝日で光輝くヒマラヤ上空の彩雲と、マナスル三山の逆光のシルエット(写真1)をご覧ください(資料1)。マナスル峰(8163m)頂上は左端の前山に隠されて見えにくいかもしれません(黄色の点線の中)が、中央のP29峰(7871m)、そして右のヒマルチュリ峰(7893m)の山容がくっきりと浮かび上がっていました。この彩雲の光景は、20106月初めにポカラの国際山岳博物館のJICAボランティアの仕事を終えた時にも見ることができましたし、マナスル峰とP29峰の手前直下に2008年以来毎年調査しているツラギ氷河湖があるのですから、ぼくにとってはひとしお懐かしい6月初めのヒマラヤの光景です。モンスーンの雨期直前にはこのような彩雲がヒマラヤで見られるのかもしれません。
さて、「ネパール2014春調査」を終了し、予定通り616日に帰国しましたので、今回の調査結果の概要と今後の計画を報告します。当初の目的は、(1)ヒマラヤ氷河湖調査、(2)国際山岳博物館の展示更新、(3)ヒマラヤ写真データベースの整備と(4)東南アジア巡見で、下記の通りほぼ当初の目的を達成するとともに、いくつかのプラス・アルファーをくわえることができました。
プラス・アルファーとしては、当初の予定になかった国際総合山岳地域開発センター(ICIMOD)の会議への参加ですが、これはカトマンズのICIMODに勤める友人のムールさんとバジラチャリャさんから参加をすすめられ、下記(1)のヒマラヤ氷河湖調査の結果をもとに発表したものです。最初の話ではポスター・セッションへの参加だけでしたが、当日になって口頭発表もさせられました。そして口頭発表後に、その会議に参加していた友人のカトマンズ大学(KU)のリジャン・カヤスタさんからは「半年ぐらい講義をしに来ないか」と誘われたことがきっかけで、来春彼の大学で講義をするとともに、学生たちとはフィールドでも議論することができるのを楽しみにしているところです。これらのプラス・アルファーの予期せぬ出来事から「持つべきものは友人」との感をいっそう深くするとともに、友人たちに感謝の念をささげたい(資料2)と思っています。

資料1
2014年春ネパール調査(10)-ポカラよ、また-
http://glacierworld.weebly.com/2014241802614912493124971254012523355192661910652931250912459125211242412289124141238365293.html
資料2
ネパール2014春調査報告11 お世話になった現地の人々
http://glacierworld.weebly.com/2014241802614912493124971254012523355192661911.html

1.氷河湖調査
写真2 ツラギ氷河湖の末端モレーンの流出口の浸食地形

ネパール中央部のマナスル峰西側のツラギ氷河湖の調査を予定通り終了しました(資料3)が、連日夕方から夜にかけてアラレの後に雪が降り、かなり厳しい踏査行でした。このときには、エベレストで16名のシェルパニ人たちが雪崩で死亡すると言う災害がおこっていました。ただツラギ氷河湖では、調査を行った日中だけは曇りとはいえ、雪がさほど降らなかったのは幸いだった、と思います。
ツラギ氷河湖を堰きとめているモレーン末端部が30mほど浸食されており、そこが氷河湖から河川への流出口になっています(写真2)。このようなモレーン地形はクンブ地域の氷河変動との対比から18世紀に形成されたものと解釈できますので、モレーンが形成されてから300年ほどの間に流出口の位置が浸食で30mほど低下し、つまり平均的には1年あたり10cmほど浸食が進み、それにつれて氷河湖面の水位が永年的に低下してきたことを示しています。
ツラギ氷河湖・氷河末端の最近の変動については、2年前の2012年の末端位置と今回の2014年春ではほとんど変化は見られませんでした。そのため、ツラギ氷河は2010年ごろから末端位置の変化がなくなり、氷河底が湖底に座礁し、2009年のような氷河末端崩壊(カービング)がなくなり、氷河は動きを止めています。
ツラギ氷河の末端位置の変化がなく、流出口の浸食による水位低下が進行すれば、氷河湖の面積は減少の一途をたどるとともに、氷河湖底での堆積作用を考えると、氷河湖の体積は減少することになります。つまり、人間が手を加えなくても、氷河自体が氷河湖決壊洪水(GLOF)のリスクを少なくする氷河湖の水位低下を永年的にひきおこしていると考え、ツラギ氷河湖はGLOF発生の可能性が低いことを次のICIMOD会議で発表しました。

資料3
2014年春ネパール調査(4) ツラギ
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619412288124841252112462.html

2.ICIMOD会議
写真3 ICIMOD会議終了後のスナップ(中央の白いズボンの人がコンビーナーのバジラチャリャ氏)

513日~16日までの4日間の会議中は午前9時~午後5時までICIMODのカンチェンジュンガ会議室で缶詰状態になり、100名ほどの出席者(写真3)から50ほどの報告を聞く、かなり忙しい日々を過ごしました。
会議の第1印象は衛星画像解析やモデリングなどのデスク・ワークの研究報告が多く、フィールド調査の研究成果が少なかったことです。広域的なデータをまとめるには前者の研究は欠かせませんが、グランド・トゥルースとしての後者の研究がないと、前者は砂上の楼閣になってしまう可能性があります(資料4)。
そんな中で、友人であるカトマンズ大学のリジャン・カヤスタ教室の学生たちが、われわれの仲間が1970年代に調査していたダウラギリ峰北部にあるリッカサンバ氷河や1980年代のランタン地域にあるヤラ氷河の現地調査を続けている報告を聞き、なつかしいと同時に、大いに頼もしく感じました。
上記のツラギ氷河湖やクンブ地域の調査結果から、小さい氷河湖が危険で、ツラギ氷河湖のような大きな氷河湖は比較的安全であることから、大きな氷河湖であるイムジャ氷河湖でUNDPなどが人工的な水路建設のプロジェクトを進めているのは再検討した方が良い」と発表した(資料5)ところ、そのプロジェクトの関係者から反論を受けましたが、よくよく聞いてみると、イムジャ氷河湖の水路建設のプロジェクトは最初に予算ありきのプロジェクトで、日本でもよく問題のなるような政治的判断でプロジェクトを決定したとのことでした。しかし、今回指摘した危険な小さな氷河湖であるホング・コーラ沿いのチャムラン峰周辺の小さな氷河湖の現地調査をICIMODがさっそくとりあげてくれ、今年中には現地調査を実施するとのことで、心強く思ったしだいです。

資料4
ネパール2014春調査報告 8 -ICIMOD会議-
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619812288icimod2025035696.html
資料5
Why is a large glacial lake safe against GLOF ( Glacial Lake Outburst Flood ) ?
http://glacierworld.weebly.com/201424180261491249312497125401252335519266196.html

3.国際山岳博物館の展示更新
写真4 国際山岳博物館をの展示コーナー(パノラマ)

国際山岳博物館に掲示していた展示写真が色落ちしたり、見学者の引っかき傷の影響で醜くなっていたので、今回は印刷をし直し、色落ちを防ぐとともに、手などでふれても、画像に傷がつきにくいラミネートで加工した展示ポスター(写真4)で更新しました。その内容は下記の通りです(資料6)。
<温暖化とGLOF
氷河湖決壊洪水
なぜ、ネパールの大規模氷河湖は決壊しないのか
マディ川氷河湖洪水
2012年セティ川洪水
<マチャプチャリ研究>
大気汚染と視程(Air Pollution and Visibility
雪型(Snow  Shape
雲の形成(Cloud Formation
<エコ・ツアー>
ポカラのグランドキャニオン(Grand Canyon of Pokhara
ダンプス(Dhampus
ツラギ氷河湖(Tulagi Glacier Lake
イムジャ氷河湖(Imja Glacier Lake
ギャジョ氷河(Gyajo Glacier
アンナプルナ・ベース・キャンプ(Annapurna Base Camp
プーン・ヒル(Poon Hill
<グーグル衛星画像解析>
カトマンズの住宅開発と地滑り
地球の最高地点
<その他>
ナムチェ・バザールの変化
アンデスの山岳信仰

資料6
ネパール2014春調査報告9  IMM(国際山岳博物館)展示更新
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619912288imm23637310342635626032.html

4.ポカラ周辺のフィールドワーク
写真5 ポカラ北方のセティ川流域のディプラン温泉

ポカラ北方のセティ川流域(写真5)で、ディプランの温泉が2年前の大洪水で壊滅的被害をこうむりましたので、その復興の現状を見届けるとともに、その近くで起こっている陥没地形を調査しました(資料7)。両地域に共通するのは、東西・南北性の断層群が分布していることで、これらの断層沿いに地下水が浸み込めば、温泉や陥没地形が形成される可能性がある、と解釈できました。

資料7
ネパール2014春調査報告 5 -断層と水の挙動-
http://glacierworld.weebly.com/201424180261491249312497125401252335519266195--26029236521239227700123982536921205.html

5.東南アジア・ベトナム巡検
写真6 かつてのベトナム軍がでそうな感じがしたメコン河最下流部のデルタ地帯の狭い水路。

 メコン河発祥の地であるチベット東南部を1980年と1987年に旅行し、またメコン河中流部のラオスを2013年に滞在しました(資料8)ので、今回の「ネパール2014春調査」の番外編として、帰路クアランプールからホーチミン〈サイゴン〉を往復し、残された最下流部のデルタ地帯(写真6)を巡見し(資料9)、メコン川の最上流部と中・下流部を点と線で見てきましたが、そのスケールの大きさ、人々の多様性などを強く実感しました。。

資料8
2013年秋 ラオス メコンの畔にて(PHOTO エッセイ)
http://glacierworld.weebly.com/2013241803117912288125211245812473.html
資料9
ネパール2014春調査報告 12 番外編 メコン河下流地域(PHOTO エッセイ)
http://glacierworld.weebly.com/2014241802614912493124971254012523355192661912.html

6.写真データベースの整備
「ネパール2014春調査」で撮影した写真は1万3千枚余りになりましたので、まず当面はその整理を行うとともに、データベース化(資料10)にむけて、各写真のキーワード付けなどを進めていきます。

資料10
画像データベース (ピカサ・ウェッブ・アルバム)
https://plus.google.com/photos/115786369284765082831/albums?banner=pwa

7.今後の計画
写真7 カトマンズ大学ヒマラヤ氷雪圏・気候・災害研究センターのリジャン・カヤスタさん(右)のスタッフ。

リジャン・カヤスタさんからは「半年ぐらい講義をしに来ないか」と誘ってくれました(資料10)ので、カトマンズ盆地の東端にある丘の上に建てられたカトマンズ大学(KU)のヒマラヤ氷雪圏・気候・災害研究センターを訪ねました(写真7)。天気の良い日にはヒマラヤが見えるという緑の多いキャンパスでの講義以外にも、ぼくとしては、学生たちと一緒に氷河調査をしながらフィールドで議論をしたり、これまで整備してきたデータベースのキーワードなどが日本語ですので、日本人以外の人に使ってもらうためにも、データベースの英語化をそのような機会にしたいと思い、カトマンズ大学の講義の申し出を受けようと考えていました。リジャン・バクタ・カヤスタさんからは2011521日~531日の4か月間に講義を行うことで、さっそく<I will consult our Dean of School of Science about your salary which can be given by KU. I hope KU can provide you as an expert allowance which will be enough for your stay in Nepal.(科学部長にKUが支払う給料について相談します。KUは専門家待遇の便宜をはかりますので、ネパール滞在には充分でしょう)>との連絡がきました。カトマンズ大学での講義が実現すれば、来年はまた新たなヒマラヤでの経験ができることにくわえて、友人のハクパ・ギャルブさんが「彼女はシェルパの氷河研究者第1号」と言うクンブ地域出身のソナム・プティさんをはじめとする学生たち(写真8)のこれからの成長を大いに楽しみにしているところです。この経験を通じて、これまで多くのネパールの友人たちからお世話いただいてきたことに対する恩返しができれば、と思っています。

写真8 カトマンズ大学ヒマラヤ氷雪圏・気候・災害研究センターの学生たち(中央がソナム・プティさん)

資料10
リジャン・バクタ・カヤスタさん
ネパール2014春調査報告11 お世話になった現地の人々
http://glacierworld.weebly.com/2014241802614912493124971254012523355192661911.html


8. 今回の調査報告は以下の通りです。

ネパール2014春調査報告1 「Climate+Change」展示会
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/04/2014.html
ネパール2014春調査報告2 カトマンズ情報
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/04/20142.html
ネパール2014春調査報告3 国際山岳博物館の展示更新
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/04/20143.html
ネパール2014春調査報告4 ツラギ氷河湖の永年的な水位低下現象
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014_04_01_archive.html
ネパール2014春調査報告5 -断層と水の挙動ー
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/05/2014-5.html
ネパール2014春調査報告6 Why is a large glacial lake safe against GLOF ?
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/05/2014-6.html
ネパール2014春調査報告7 -マナスル Day -
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/05/20147.html
ネパール2014春調査報告8 -ICIMOD会議-
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/05/2014.html
ネパール2014春調査報告9 国際山岳博物館の展示更新
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014_05_01_archive.html
ネパール2014春調査報告10 -ポカラよ、また-
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/06/2014-10.html
ネパール2014春調査報告11 お世話になった現地の人々
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/06/2014-11-6-6-2014-2014-april-01-is-april.html
ネパール2014春調査報告12 番外編 メコン河下流地域(PHOTO エッセイ)
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/06/2014-12.html
ネパール2014春調査報告13 調査のまとめと今後の計画
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014_06_01_archive.html


2014年6月14日土曜日

ネパール2014春調査報告 12 番外編

ネパール2014春調査報告 12 番外編


メコン河下流地域PHOTO エッセイ)

メコン河発祥の地であるチベット東南部を1980年と1987年に旅行し、またメコン河中流部のラオスを2013年に滞在した(資料1)ので、今回の「ネパール2014春調査」の番外編として、残された最下流部のデルタ地帯をぜひ見たいと思っていた。それに、メコン河下流域に関しては、以下のような問題意識をもっていたからでもあった。

問題意識
1) メコン河は中国チベットに源を発し、ビルマ、ラオス、タイ、カンボジア及びベトナムなどの東南アジアを貫流し、南シナ海に注ぐ全長4350kmの国際的な大河川である。また、南シナ海の沿岸部では石油資源・領土の国際的な紛争地域で、今まさに、ベトナムと中国がその問題をかかえている。
2) 21世紀後半には、東南アジアなどの南アジアの人口は世界の半分近くをも占める、との推計がある。エネルギー問題とともに環境問題がますますクローズアップされ、地球環境からみても、この地域は難局を迎えることだろう。
3) 地球温暖化が進行し、世界中の氷河が解けるとともに水温上昇で、海水面が上昇する。東南アジアの沿岸域や大河川河口域に洪水や海水浸入(河川水・地下水の塩水化)などの直接的な影響が出るため、淡水の水資源を求める環境難民が大量に発生する可能性がある。
4)ベトナム・アメリカの国交回復やビルマの民主化などをはじめ、また経済力を高めた中国の進出によって、メコン河流域の東南アジアが動きだしている。長らく続いた戦乱とその後の後遺症から立ち直り、この動きは今後とも加速することだろう。

資料1
メコンの畔にて(PHOTO エッセイ)
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/11/2013.html


写真1 海を思わすような広大なメコン川下流部。泥水にホテイアオイがかなり浮いおり、その問題はあるのだろうが、メコン川の巨大さがその問題を感じさせない。メコン河はデルタ地帯で5つほどに分流してるが、これはサイゴンに近い最も東の分流河川である。

写真2 メコン川の下辺林はマングローブで、植物と魚などの豊かな生態系が広がる。Elephant Ear Fishという40cmほどの大きな魚が昼食にでた。

写真3 メコン川デルタ地帯の狭い水路。小舟で水ヤシをかき分けていくと、いかにもかつてのベトナム軍にお目にかかれそうな感じがする。

写真4 アメリカ軍の爆撃を避けるためのCu Chi Tunnel。サイゴン陥落前のここにはベトナム軍の作戦本部があり、トンネルの総延長は250キロに達していたそうだ。

写真5 Cu Chi Tunnelのアメリカ兵を捕えるためのトラップが随所に設置されていたとのこと。

写真6 Cu Chi TunnelB52爆撃機によるクレター。右下はベトナム戦争当時のクレターの跡(航空写真)。

写真7 銃ごとに値段の違うCu Chi Tunnelの有料射撃場。例えば、カービン〈ライフル〉銃だと一発25000ドン(150円)で、10発まとめて1500円で試し打ちができる。人気があり、銃声がひっきりなしに続いていた。

写真8 アメリカのライフ誌にでた戦乱に悲しむベトナム少女の写真(War Remnants Museumで)。戦争の悲劇を訴える迫力を感じる作品だ。

写真9 War Remnants Museumでたくさんのベトナム戦争当時の写真を見る観光客。

写真10  War Remnants Museumで展示されていた子供たちの平和を願う絵画。

写真11 南ベトナム軍の本拠地を19754月に奪還した北ベトナム軍の戦車(Reunification Palaceで)

写真12 スクーターやオートバイで動き回るベトナムの庶民。ホンダやヤマハの進出が著しい。

写真13 マーケットのたくましい庶民の平常の生活には、現在進行中の中国との紛争の影響も感じられない。

写真14 ホーチミン(サイゴン)の高層建築が見える下町。夜でも人通りが絶えず、左下の風俗店?もあり。

写真15 ホーチミン(サイゴン)の発展を象徴する中心地の70階ほどの高層ビル群。


それでは、6月15日クアランプールに飛び、6月16日に帰国します。皆さまも、ご自愛ください。
6月14日夜 ホーチミン〈サイゴン〉にて(伏見碩二記)


2014年6月7日土曜日

ネパール2014春調査報告 11 お世話になった人々

ネパール2014春調査報告 11 

お世話になった人々

66日、カトマンズでは朝から雨が降りだし、モンスーンの雨期に入ったようです。ネパールも雨期入り、日本も梅雨入りで、ヒマラヤの雲が東南アジア・中国南部をへて、日本までつながっているのを感じます。
さて、今回の「ネパール2014春調査」は終了しつつありますが、ネパールを去るに際し、現地で今回およびこれまでにお世話になった方々への感謝の意をこめて、思い出の一端を書きとめておきます。ただ、ここでふれなかった多くの方々からも、さまざまなかたちで支援していただいたことも記しておかねばなりません。

ハクパ・ギャルブさん
     写真1 ハージュン観測基地で気象観測するハクパ・ギャルブさん(右下はカトマンズ自宅前の彼と奥さん)

 いつもお世話になるハクパさんからは今回の「ネパール2014春調査」の初めに際し、「April 01 is APRIL FOOL day, so nepal awune pakka ho? Welcome to your JIKKA any time!(エイプリフールだけど、来るの本当?あなたの実家へはいつでも歓迎!)とメイルで言われました。彼はネパールで最も古い友人で、彼については、1970年代のハージュン観測所と切っても切れない関係があります。
1973年の東ネパール・クンブ地域のハージュン観測所建設のの立役者は、ペンバ・ツェリンさん(資料1)ですが、1970年代半ばに彼の消息は突然不明となってしまいました。一説によると、英語・チベット語などの語学に堪能な彼はネパールの秘密警察に利用されたあげく、けされたのではないか、ともいわれているのです。1970年代のネパール情勢には、南のインドや北のチベット・中国、はては第3国までからんだベールにつつまれた部分があったのではないか、と思います。
  そして、ペンバ・ツェリンさんの後をついだのが彼の義弟のハクパ・ギャルブさん(資料1)でした。彼の仕事は観測基地の整備や地元住民との折衝から食事のまかないをするとともに、日本人隊員が不在の時には、観測を実施し(写真1)、記録をとり、日誌をつけることまで、実に多岐にわたっていました。現在は、日本の丸新志鷹建設会社カトマンズ事務所長を勤め、西ネパールのカルナリ川農業灌漑大規模施設やカトマンズへ水を供給するメラムチ流域の道路開発、はてはブータンの道路開発まで手広く開発事業を進める責任者です。
資料1
http://glacierworld.weebly.com/4124931249712540125232770327827355192661938538124951254012472125171253122522223202431435373.html

ガム・バハヅール・グルンさん
                   写真2 孫のジェシカちゃんを抱くガム・バハドゥール・グルンさん(右下は荷担ぎする彼)

写真2は孫娘のジェシカちゃんを抱くガム・バハヅール・グルンさんですが、ジェシカちゃんもすでに3歳近くになり、今回の調査が終了し、彼のナチェ村に帰り着くと、ジャガイモ畑の除草をしていた母親のもとを離れ、「おじいちゃん」と叫びながら、ガム・バハヅール・グルンさんのもとに駆け寄ってきた“おじいちゃん子”です。彼らのあいだでは、キリスト教ではないのですが、ジェシカちゃんのようなヨーロッパ風の名前をつけるのが流行のようです。ハイカラ趣味なのでしょうか。
さて、ガム・バハヅール・グルンさんには2008年の最初のツラギ氷河湖調査以来お世話になっています。マルシャンディ河中流の支流、ダナ・コーラ(川)の最奥の彼のナチェ村まで従来は3日ほどかかりましたが、今ではマルシャンディ河沿いの荒削りの道ができましたので、ポカラから1日で行けるようになりました。それに携帯電話の普及で、ポカラから前もって電話しておいたら、彼の村近くの道路沿いのダラパニ村まで迎えに来てくれました。今回のツラギ氷河湖BCで大雪に見舞われたとき、彼は夜中フライシート屋根の雪下ろしを続けてくれ、時々「これで道が消えてしまう。どうしたら下山できるのだろうか」と悲鳴を上げていましたが、さすがに土地勘が鋭いので、雪で消えた踏み跡の道を探し出し、迷うことなく、石小屋のあるダラムサーラまでわれわれを導いてくれました(資料2)。彼はぼくにとっては、ウスリー紀行のデルス・ウザーラさんのような人です。
氷河湖調査は天気の合間を縫ってやり遂げることができましたが、東ネパールのクンブ地域では16人のシェルパの人たちが雪崩で亡くなった時と同じ時期の雪の世界から脱出するという撤収の困難さを彼は救ってくれたのです。そういえば、ナチェ村の人が見たという雪男は見ることができなかったのですが、さすがの雪男も、われわれ同様、雪の世界から脱出し、温かい世界へと移動せざるをえなかったのかもしれません。
資料2
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619412288124841252112462.html

チェ・バハドゥール・グルンさん
    写真3 ジャガートのエコ・ホーム・ゲスト・ハウス前のチェ・バハドゥール・グルンさんと(右下は御酒を持って来てくれた彼と息子のユケシュさん)

  ツラギ氷河湖の調査を終えた時はいつも、ヒマラヤの最後の夜をジャガートのエコ・ホーム・ゲスト・ハウスで過ごすことにしています。ここには主人のチェット・バハドゥール・グルンさんがいて、トンパと呼ばれる発酵したヒエにお湯を注ぎ、ストローで吸いながら飲む日本酒の熱燗のようなお酒(資料3)をいただきながら、旧交をあたためることができるからです。
  彼もツラギ氷河湖の危険性を気にかけていたので、「氷河湖は小さくなっているので、大きな地震でもない限り、氷河湖の決壊洪水の危険はない」ことを伝えると、安心していたようです。彼の息子がネパールの新年の休みでポカラの寄宿学校から戻ってきていましたが、ポカラの国際山岳博物館に息子ともども見学に来るとのことでした。
  そこで、再会を楽しみにしていたところ、チェ・バハドゥール・グルンさんが子供さんを連れて、国際山岳博物館を訪ねてきてくれたのです(写真3右下)。子供さんのユケシュさんがポカラの寄宿学校にいるので、見舞いに来たのですが、ぼくには大好きなトンパとロクシ(自家製の焼酎)を持って来てくれました(資料4)。聞くと、ジャガートの彼の村からポカラまでオートバイで約5時間もかかって、お酒をリックに担いで来てくれたとのことです。彼は山岳博物館の展示見物はそこそこに、「息子には日本語を習わせて、日本に行ってほしい」とユケシュさんの前で言っていました。彼はそのことを息子さんに言うために博物館に来てくれたのではないか、と思えるほどでした。
資料3
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619412288124841252112462.html
資料4
http://glacierworld.weebly.com/201424180261491249312497125401252335519266196.html

テク・チャンドラ・ポカレルさん
  写真4 国際山岳博物館を訪ねて来てくれたテク・チャンドラ・ポカレルさん(クマール・カドガ・ビクラム・シャーさんの展示前で、右下はカトマンズの彼の事務所で)                         

  ポカラの国際山岳博物館にヒマラヤの図書を寄贈してくれるという大河原由紀子さんの事務所にお礼方々出かけましたところ、1974年に山岳博物館設立構想の件でお世話になったトリ・チャンドラ・ポカレルさんにお目にかかることができました(写真4;資料5)。
  1974年に「山岳博物館」構想をたずさえてポカレルさんを訪ねたところ、当時ポカレルさんはネパール山岳協会の理事をされていましたので、ネパール山岳協会長だったクマール・カドガ・ビクラム・シャーさんにとりついでくれたのです。クマール・カドガ・ビクラム・シャーさんは当時のビレンドラ国王のお姉さんのご主人です。山岳博物館構想は亡くなられた宮地隆二さんの発案でした(資料6)が、1970年代ではまだ時期尚早で、残念ながら実現することはできませんでした。
  しかし、ほぼ30年後に設立された国際山岳博物館は、なんとクマール・カドガ・ビクラム・シャーさんと関係のあるポカラの広大な敷地に建てられたことには宮地さんとの因縁を感じずにはいられません。まして、ぼくはその博物館にJICAのシニアー・ボランティアとして2008年から2年間にわたり学芸員の仕事をすることになった(資料7)のですから。
資料5
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619212459124881251012531124741239512390.html
資料6
http://glacierworld.weebly.com/368612476412288234702232038534201081237312435.html
資料7
http://glacierworld.weebly.com/1as-a-jica-senior-volunteer-advocating-environmental-awareness.html

サムジワル・バジラチャリアさんとプラディープ・ムールさん
                               写真5 ICIMOD会議でのムールさん(左)とバジラチャリアさん(右)

日本を出る前にネットで見たヒマラヤの氷河湖決壊洪水のことを聞きに国際総合山岳地域開発センター(ICIMOD)に行ったところ、従来からヒマラヤの氷河研究を行っているムールさんとバジラチャリアさんに会うことができました(資料8)。彼ら二人が中心になって(写真5)、ヒンヅークシ・ヒマラヤの氷雪地域の国際会議を5月中旬にICIMODで開催するとのことでしたので、急遽参加させてもらうことになりました。会議は513日~16日までの4日間、午前9時~午後5時までICIMODのカンチェンジュンガ会議室で缶詰状態になり、100名ほどの出席者がら50ほどの報告を聞く、かなり忙しい日々を過ごしました(資料9)。
会議の第1印象は衛星画像解析やモデリングなどの研究報告がほとんどで、現地調査の研究成果が少なかったことです。広域的なデータをまとめるには前者の研究は欠かせませんが、グランド・トゥルースとしての後者の研究がないと、前者は砂上の楼閣になってしまう可能性があります。具体的には、氷河(インベントリー・流動・質量収支含む)や岩石氷河、凍土、氷河湖決壊洪水、水文循環に関する前者の研究でも、詳細な時空間的な変化をまとめているのは良いのですが、例えばツラギ氷河の流動にしても、数年前から氷河末端が氷河湖の底に座礁し、末端が静止しているのにもかかわらず、氷河流動を報告しているので、大いに気になりました。前者の研究が多くなっていることを考えると、後者の研究の重要性とともに、今回の会議の基本的な共通テーマが「データ・シアリング」であるのですから、両者の協力・情報交換がますます必要になってくることでしょう。
資料8
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619212459124881251012531124741239512390.html
資料9
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619812288icimod2025035696.html

リジャン・バクタ・カヤスタさん
    写真6 リジャン・カヤスタさん(写真の右端)のヒマラヤ氷雪圏・気候・災害研究センターと仲間たち(左下はICIMOD会議時の彼とソナム・フティさん)

衛星画像解析やモデリングなどの研究報告が多いヒンヅークシ・ヒマラヤの氷雪地域の国際会議の中で、友人であるカトマンズ大学のリジャン・カヤスタ教室の学生たちが、われわれの仲間が1970年代に調査していたダウラギリ峰北部にあるリッカサンバ氷河や1980年代のランタン地域にあるヤラ氷河の現地調査を続けている報告(資料10)を聞き、なつかしいと同時に、彼らのフィールド・ワークをしながら、学生たちを育てている研究を頼もしく感じました。彼らは近々それらの氷河の1970年代・19809年代からの変化をまとめた報告書を出版する、とのことです。大いに期待したいと思います。彼らの話にもうひとつつけ加えたいのは、学生のなかに、クンブ地域のクムジュン村出身のソナム・プティさん(写真6左下)がいることです。ハクパ・ギャルブさんが言うには、「彼女はシェルパの氷河研究者第1号」とのことです。 うれしいことに、527日午後、ソナム・フティさん(資料4)が友達とともに、ポカラ周辺の地質巡見の途中にもかかわらず、山岳博物館を訪ねてくれました(資料11)。  
カトマンズに戻り、66日にカトマンズ盆地の東端にある丘の上に建てられたカトマンズ大学のリジャン・カヤスタさんのヒマラヤ氷雪圏・気候・災害研究センターを訪ねました(写真6)。彼らの研究室は、東京大学の小池研究室やアメリカのコロラド大学などと共同研究を進めていく計画があるそうです。この秋には新しい学生たちが入ってくるので、「半年ぐらい講義をしに来ないか」と誘ってくれました。講義以外にも、ぼくとしては、これまで整備してきたデータベースのキーワードなどが日本語なので、日本人以外の人に使ってもらうためにも、データベースの英語化をそのような機会にできそうなので、カトマンズ大学の講義の申し出を前向きに考えたいと思っているところです。
資料10
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619812288icimod2025035696.html
資料11
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619912288imm23637310342635626032.html

オームさんとマスキーさん
          写真7 ICIMOD会議でのネパール水文気象局のオームさん(左)とマスキーさん(右)

 すでにお伝えしましたように、ぼくは「氷河湖決壊洪水問題を報告(資料12)し、小さい氷河湖が危険で、ツラギ氷河湖のような大きな氷河湖は比較的安全であることから、大きな氷河湖であるイムジャ氷河湖でUNDPなどが人工的な水路建設のプロジェクトを進めているのは再検討した方が良い」と発表したところ、そのプロジェクトの関係者であるネパールの水文・気象局のマスキーさんから反論を受けました。しかし、よくよく聞いてみると、イムジャ氷河湖の水路建設のプロジェクトは最初に予算ありきのプロジェクトで、日本でもよく問題のなるような政治的判断でプロジェクトを決定したとのことでした。マスキーさんは、前からお世話になっているオームさんと同じ部局の方です(写真7)。
  オームさんといえば、どうしたわけか、彼は58才の定年1年前に退職し、今は無職だと言っていましたが、今回のICIMODが中心になってまとめたネパール氷河台帳の貢献者の一人として表彰されていました。
  今回ぼくが指摘した小さくて、危険性のある氷河湖として、クンブ地域の東のホング・コーラ沿いのチャムラン峰周辺の小規模氷河湖の現地調査をICIMODがさっそくとりあげてくれ、今年中には現地調査を実施することになり、心強く思ったしだいです。
資料12
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619812288icimod2025035696.html

張さんと謝教室の方々
         写真8 ICIMODの中国人参加者(左から2番目が張さん、他の方々は湖南大学謝教室関係者)

かつて日本に留学していた張寅生さんが、滋賀県立大学に大畑哲夫・上野健一両氏がいる頃訪ねてきたことがあるそうですが、ぼくはすっかり忘れていました。彼は蘭州の氷河凍土研究所の所長を長らく務め、2年前に亡くなった施雅風先生の最後の学生だそうですが、現在は北京のチベット高原研究所に勤務しています。毎年彼は、チベット高原からパキスタンにかよい、カラコラム・フンザ地域の水循環を調査しています(写真8の左から2番目)。彼の奥さんと子供さんたちは日本にいるので、「単身赴任です」と流暢な日本語で語っていました。
湖南大学の謝先生が蘭州の氷河凍土研究所いた1980年、北京でのチベット高原研究討論会後、ラサからカトマンズへ行く1週間ほどの巡見を謝先生に案内していただくとともに(資料13)、また、1987年には西コンロン山脈氷河調査では現地責任者の謝先生には大いにお世話になりました。その時の彼は「自分は研究者ではなく、ビジネスマンだ」と表現し、蘭州出発に際しては、トラックいっぱいの缶ビールを積んで、新疆省で表現通り商売をしていました。その彼が湖南大学で、再び研究者に戻り、彼もかなりの歳になっていることでしょうが、たのもしい女学生たち(写真8の張さん以外の方々))を育てているのを想像しながら、なつかしく思いました。
資料13
http://glacierworld.weebly.com/200132226965288304462742565289.html

カルマさん
                   写真9 ブータンのカルマさん(ホテル・ヒマラヤのロビーで)

 2002年のブータン中央北部のルナナ地域の氷河調査の際に、当時の第1女王(現在の国王の母親)がルゲ氷河湖に来られ(資料14)、偶然出会ったぼくに「お祈りするにすさわしい場所どどこか」と尋ねられたので、末端氷河湖に作ったケルンに案内したところ、そこで金貨をまきながら、氷河湖決壊洪水が起こらないようヒマラヤの神々に祈祷されました。その時、女王がぼくに「この偶然の出会いはカルマです」と表現されたので、カルマという言葉をはじめて聞きました。調べてみると、「カルマは人間の業(ごう)で、仏教の基本的概念である梵:を意訳したもの。宿命的な行為という意」どそうです。
 ところで、そのカルマさんです(写真9)が、ファーストネームもミドルネームもなく、カルマだけが彼の名前だそうです。その彼が言うには「トルトミ氷河の排水路工事はまだ必要なかったかもしれない。トルトミ氷河より西に工事が必要な氷河があったのだが、今はもう人が集まらない。トルトミ氷河の工事では2人が死んだほど危険なので、工事後半には人が集まらず、軍隊に援助を求めざるを得なかったそうだ。地元に人たちは冬虫夏草の方が安全で、金目になるからだ」そうで、これからの第規模工事は難しくなるとのことでした。
ノルウェーのジャクソン・ミリアムさんがブータンのヤクシン氷河の決壊洪水(GLOF)について報告した時、その南側の氷河湖も谷の浸食地形からGLOFの可能性があるのでは、と質問したところ、カルマさんに聞いてくれというほど、ブータンの氷河の現状についてはカルマさんが第一人者になっている様子がうかがえた。
カルマさんは会えば笑顔を絶やさすことのなかったが、ICIMODの会議場では一言もしゃべらなかった。しかし、ICIMODで積雪予測の仕事しているデオ・ラジ・グルンさんや、アメリカ留学で鍛えられてきた若いチミ・ドルジェさんなどが彼の後継者として育ってきているので、カルマさんはブータンの氷雪関係者の大ボスのような感じがしました。彼は、会議終了を1日残して、ブータンに早々と戻って行った。
資料14
http://glacierworld.weebly.com/3201224180311791249312497125401252335519266192257721578.html

アジャール・アディカリさん
 写真10 玄関脇のチェトラ・プラタップ・アディカリ氏のご霊前のアジャールさん(右)と弟のアマンさん(左)。

 アディカリさんの自宅は、カトマンズの空港近くの有名なパシュパティナー寺院の南側にあり、亡くなられて大学病院の献体になっている父上の話を、アディカリさん兄弟からゆっくりとうかがいました。アディカリさんの父、チェトラ・プラタップ・アディカリさんは上智大学に留学し、日本文学を研究しました。ネパールでは、夏目漱石や宮沢賢治などの日本文学者を紹介したネパール語の本を出版するとともに、詩人として俳句関係の本も多数あり、日本の文学者と共同で「ヒマラヤ文庫」もだしていたとのことです。そのような貴重な活動をされてきたチェトラ・プラタップ・アディカリさんが4月13日に71歳で亡くなられた(資料15ことを知りませんでした。ぼくが支部長を勤める日本ネパール協会関西支部でも紹介させていただきたいと思っているところです。写真10は玄関脇のご霊前の兄弟で、チェトラ・プラタップ・アディカリさんの写真の上に「最後に残された仕事は詩である・・・」とネパール語で書いてあるそうです。彼の「富士山麓}というネパール語の俳句の冒頭には、「富士山とピンクのサクラの日本人とヒマラヤと赤いシャクナゲのネパール人は義兄弟」と書かれていることをアジャールさんが教えてくれました。邸宅前の庭に植えられた2年目のソメイヨシノが今春4つの花を咲かせ、その日本のサクラを見てチェトラ・プラタップ・アディカリさんは亡くなられたとのことです。ご冥福をお祈りいたします。
 アジャール・アディカリさんのことは、彼が、ぼくの友人である平田更一さんの会社で画像解析の仕事をしていた関係で、ぼくは平田さんからチェトラ・プラタップ・アディカリさんの亡くなられたことを聞きましたので、カトマンズに到着してすぐにお宅を訪ねて行きました。アジャールさんはカトマンズで画像解析の仕事をしていますので、東京で本の編集の仕事をしている日本人の奥さんとは別居で、「単身赴任です」と笑いながら上手な日本語で言っていました。
資料15
アジャールさんの弟、アマンさん作成のチェトラ・プラタップ・アディカリさんの葬式のビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=Q0mjJxLYarA

ハリ・ダイ・トラチャンさん
            写真11 ノウダラの施設に設置した友人の記念碑に花をたむけるハリダイ・トラチャンさん

友人の瀬戸純・宮地隆二両氏の分骨場は、マナスル峰(8163m)西南のツラギ氷河湖へ行く途中の、ナチェ村から3時間ほどかかる高原(アル・バリ)にあります(資料16)が、場所が比較的遠いため、ポカラから車で小一時間の距離にあり、ヒマラヤが良く見えるナウダダ峠近くで、ハリダイ・トラチャンさんが開発している施設に移転しました。530日は天気にも恵まれ、亡き友人の記念碑のケルンからはマチャプチャリ峰を中心とするアンナプルナ連峰とマナスル三山が見渡せました(写真11)。
ハリダイ・トラチャンさんは、ポカラの国際山岳博物館のスペシャル・アドバイザーであるとともに、ネパールのアーチェリー競技の代表選手です。今年10月に韓国で開かれるアジア競技大会にアーチェリーの選手として参加するその前後に日本に来る可能性があるそうなので、日本で再会し、関係者と国際山岳博物館の話ができるのが楽しみです。
資料16
http://glacierworld.weebly.com/3201224180311791249312497125401252335519266192257721578.html

最後に
帰りの飛行機はいつものように午後2時発の便だったので、チョモランマを見るために左側の席を予約しましたが、出発時間が午後9時に急きょ変更になってしまったのです。格安切符のため、文句は言えませんが、当日の月齢が11.5ですので、月夜のヒマラヤに期待したいと思っています。
今回の旅で出会った人のなかで、日本語が堪能な張さんやアジャールさんから、思いがけず、「単身赴任者」という表現を聞きました。五体投地礼で長い時間をかけて聖地への巡礼をするチベット人のような迫力は到底もちえませんが、せめてヒマラヤの神々の座を望みながら、今後は、前述のカトマンズ大学での半年ほどの講義をするかたわら、友人たちの記念碑をそれなりに立派にしていくことも、ぼくに課せられた勤めなのではないか、と思っています。その意味では、ぼくもまた「単身赴任者」の一人なのかもしれません。
今後の予定は、69日クアランプールを経由しサイゴンに飛びます。東南アジアのメコン川最下流地域を1週間旅行し、今月中旬に帰国する予定です。それでは、皆さま、ナマステ!