2017年8月22日火曜日

2017年ネパール通信17 余話4 何を食べていたのか-ネパール効果-?



2017年ネパール通信17 余話4
何を食べていたのか-ネパール効果-?

写真1  何を食べていたのか-ネパール効果? -(2017年春の食事;2017/03/09 -2017/06/05) 

1)はじめに
今年3月初旬からのカトマンズ大学の講義とランタン谷の調査やポカラの国際山岳博物館の展示更新などを終え、6月中旬の帰国早々、三菱京都病院の三木先生のところで血液検査をしたところ、これまで要注意が続き、しかもネパール出発に向かって高まっていた血糖と中性脂肪の値が、正常値の範囲内におさまっていた(写真2)のである*。これは嬉しい変化だが、はたして、どうしてそうなったのか。
*3)食生活と血液検査結果
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/topic01/

写真2  調査前の半年間と帰国後の血液検査結果

そこで、三木先生は「ネパール効果ですね」と言われたのである。はたして、ネパール効果とは何か。おそらく、ネパールでの食生活の要因が大きいと思われるので、それを仮説として、2017年の2752枚の写真データベース*の中から食事関係の318画像を選び出し、具体的な食生活をふりかえって、「ネパール効果」と関係すると思われる「何を食べていたのか」を明らかにしたので、報告する。
*2017Nepal
http://glacierworld.net/gallery/Nepal_B/2017Nepal/index.html
補足
 食事関係の写真が318枚(1日平均3.6枚)もあるのは、デジカメだからで、昔のようなスライド写真の時代には、もったいなくて写真枚数は制限し、フィールド・ノートにできるだけ記載したのであるが、現在のデジカメ時代にはフィールド・ノート代わりに写真を撮っている感がある。つまり、現代のデジカメ写真はフィールド・ノートの一環なのである。そこで、できるだけ、前述のような写真データ・ベースとして整備し、誰もが利用できるようにしたいと考えている。

写真3  カトマンズ大学食堂の典型的なネパール料理(ダルバート)

2)何を食べていたのか
   カンティーンと呼ばれているカトマンズ大学食堂の典型的なネパール料理(写真3)は、ネパール語のダルバートで、ダルは小豆スープ、バートはご飯のことである。バイキング形式なので各自が(1小豆スープと2インド米のような細長いご飯、3野沢菜のような葉物野菜の煮付け、4大豆スープ、5キューリ、6ニンジン、7漬物、8そば粉の薄揚げ物)を食器に取り入れるが、かなりの人が山盛りのご飯を食べている。最近のネパール人男女にはお腹の出た人が多いのもうなずける。2017年春の89日間写真データの中には食事に関する画像(写真4のNo.1-10)が318枚あるので、それらをふりかえりながら、「何を食べていたのか」と「ネパール効果」との関係を考えた。

 写真4  写真データ( 2017年春の食事;写真番号と期間)

写真5  2017年春の食事No.1  #001-032 (2017/03/09 at 17:39)-(2017/03/19 at 18:03)

2-1)2017年春の食事(2017/03/09-2017/04/01)
  大学で取るダルバートは食事量としては多いので、昼食か夜食の1日1回にしていた(写真5の#019、写真6の#034,035,042)。バイキング形式の食堂風景が写真5の#030-032、写真6の#033に示されている。大学のゲストハウスは電力のみが使用できたので、電気コンロで料理を自炊し(写真5の#010-012、020-027)、朝はスープや味噌汁にビスケット(写真5の#008、014、020、写真6の#037、040、043、047、050)が多く、大学食堂で食事を取らない日の昼食や夜食はネパール製か韓国製のインスタント・ラーメン(写真5の#007、009、015、017、028および写真6の#038、048)を食べていた。ネパールは野菜がふんだんにあるので、大学周辺の野菜屋でトマトやナス、ニンジン、オクラなど(写真5の#023、024)を買い料理するとともに、ビタミンCが豊富そうな小粒のネパール産レモン(カーガティ;写真5の#022)とともに、年中あるバナナ(写真5の#028、029、写真6の#036-041)と3月にはまだ出回っていたミカン(写真5の#029、写真6の#036、037)をよく食べた。また、カトマンズの街では、繁華街ターメルのホテル近くのレストランか旧友のハクパ・ギャルブさんの自宅で食事を取る時は、大学のベジタリアン・断酒生活とは違って、ビールやチャン(獨酒)を飲みながら肉料理を食べた(写真5の#001-006、写真6の#052、053)。さらに、3月下旬から4月初めはカトマンズを離れ、ランタン谷の調査を行ったので、旅行中のアルコールなしの現地食になった(写真6の#054-064)。

写真6  2017年春の食事No.2  #033-064 (2017/03/19 at 18:03)-(2017/04/01 at 07:35)
 
写真7  2017年春の食事No.3  #065-096 (2017/04/01 at 07:35)-(2017/04/12 at 18:44)

2-2)2017年春の食事 (2017/04/01-2017/04/17)
 写真7の#065-075はランタン谷の調査中の現地食であるが、特筆すべきは、現地の灌木の実でつくったしぼりたてジュース(キュルプ;写真7の#069、071)と旅行初日(写真6の#054-056)と最終日(写真7の074、075)のブッダ・ゲスト・ハウスで食べたダルバートとパンケーキは絶品だった。旅行後はカトマンズに2泊し、日本食レストラン桃太郎でビールを飲みながらお決まりのカツ丼(写真7の078、079)をむさぼり食べた。大学に戻ってからは、いつも通りの食堂のダルバート(写真7の#081、082、084、089、095、096と写真8の098、110、120)を1日1回食べたほかは自炊で朝はスープか味噌汁にビスケット(写真7の#085-088と写真8の097、100-108、122-123、125)、昼食か夕食はインスタントラーメン(写真7の#080と写真8の#121、124、126)の定番の食生活を送った。朝食の味噌汁の味噌(写真8の#103-105)は日本食レストラン桃太郎で手に入れた。ネパール製の味噌は、日本人にはイマイチだが、我慢するしかなかった。また、コーヒー(写真8の#128)であるが、来る時にお世話になった昆明の雲南緑華食品有限公司の宮本哲也さんからいただいたもので、大事に飲んで、時折香りを楽しんだ。カトマンズ大学のキャンパスには桑の木が何本かあり、春には実がなるので、学生たちや周辺の子供たちが木に登り、桑の実(写真8の#111-118)の味を楽しんでいるのだった。この期間はパパイア(写真7の#094と写真8の#103、122、123、127)のほかにマンゴーやブドウなどの果物も自炊の食卓を楽しませてくれた。

写真8  2017年春の食事No.4  #097-128 (2017/04/13 at 06:27)-(2017/04/17 at 15:13)

写真9  2017年春の食事No.5  #129-160 (2017/04/17 at 15:14)-(2017/04/28 at 07:21)

2-3)2017年春の食事(2017/04/17-2017/05/12)
  カトマンズ大学には韓国や欧米の長期滞在の研究者もいるのだが、彼らは食堂のダルバートは口にあわないようで、食堂のゲスト・テーブルに座るのはぼくとネパール人教官ぐらいであった。日本人にとっては、ダルバートは違和感がなかったが、ネパール人のようにご飯の食べ過ぎだけには注意した(写真9の#130、131、134、135、139、142、145、149、150、153)。写真9の1日1回の食堂のダルバート以外の朝食のビスケットと、昼食か夕食のインスタント・ラーメンの時はできるだけ果物(ブドウやマンゴー 、ミカンやバナナ)を取っていることが、写真9の#132、133、136-138、141、143、144、146-148、151、152、154-160にも現れている。
  4月30日から5月7日はポカラに行き、国際山岳博物館で展示更新を行ったので、 その前後はカトマンズに滞在した。ポカラ出発前のカトマンズでは、氷河調査に来ていた名古屋大学の学生、大田さんと行きつけの桃太郎で例のカツ丼(写真10の#163-167) を、またポカラでは長年世話になっているドラゴン・ホテルなどでダルバートやビール付き焼き鳥などを(写真10の#168-179)を食べた。長旅ではあったが、腹具合は快調で、食欲は旺盛であった。ポカラからカトマンズに戻って、ランタン村の雪崩災害の復旧活動に尽力されている貞兼綾子さんたちと、1970年代から付き合いのあるウツセ・ホテルでチベット料理、ギャーコックを楽しみ(写真100の#180-183)、そして5月9日から、カトマンズ大学の食生活に再び戻った(写真10の#184-192)のである。

写真10  2017年春の食事No.6  #161-192 (2017/04/28 at 10:59)-(2017/05/12 at 14;16)

写真11  2017年春の食事No.7  #193-222 (2017/05/12 at 17;57)-(2017/05/20 at 07:33)

2-4)2017年春の食事 (2017/05/12-2017/05/25)
  5月中旬から講義最終日の5月末まではカトマンズの街に出ることなく大学でのベジタリアン生活が続き、食堂での毎日1回のダルバート(写真11の#193、199、204、206、211、215、218、219と写真12の#228、231、232、239、240)を食べていたが、この期間は果物が豊富で、パパイア(写真11の#194、195、210と写真12の#247-250)、ザクロ(写真11の#202、203、221、222と写真12の#237、238)、マンゴー(写真11の#212と写真12の#242、243)、バナナ(写真11の#205、208、213、216と写真12の#233、241、253)、ライチ(写真12の#253、254)のほかにもブドウ(写真11の#194、196、198-201、206、209、213、214、216、217と写真12の#234、241、244、245)を贅沢にもたくさん食べていた。また、大学近くのバネパの町にはズズー・トゥー(ラジャー・ダヒ;王様のヨーグルトの意味)と呼ばれる素焼きの壺に入った美味しいヨーグルト(写真12の#223-227、251-253;#252には王様のヨーグルト店の主人が写っている)があり、バナナやザクロなどの果物と一緒に朝食のビスケットや昼食などのデザートとして楽しんだ。

 写真12  2017年春の食事No.8  #223-254 (2017/05/20 at 13:05)-(2017/05/25 at 18:04)
 
写真13  2017年春の食事No.9  #255-286 (2017/05/25 at 18:58)-(2017/05/29 at 08:27)

2-5)2017年春の食事(2017/05/25-2017/06/05)
  カトマンズ大学の最終期間に当たる5月末(写真14の#296)までは、定番のダルバート(写真13の#255、256、264-266、270、271と写真14の#295、296)をとるとともに、ゲスト・ハウスの自炊時には、果物として、バナナに王様のヨーグルトを(写真13の#257-262、268、272、273、276-279)まぶしたり、ふんだんにあるマンゴー(写真13の#259-263、277、278と写真14の#287、288、291、292)に出はじめたライチ(写真13の#284-286と写真14の#289、290)を、残しておいた最後のコーヒーの香りとともに楽しんだ。
  5月31日に大学からカトマンズに移った夜は、長年ネパールで観光業やホテル経営をしてきている宮原巍さん宅の夕食会があり、美味しい和食料理に加えて、大学からカトマンズに来る途中にかってきたバクタプールの別の王様ヨーグルトのデザート(写真14の#297-299)も美味しくいただいた。6月6日のカトマンズ出発までは、1970年代の氷河調査時代から世話になっているハクパ・ギャルブさんの邸宅で晩酌付きの食事(写真14の#300-303、306-309、311-317)とともに、カトマンズに滞在し長年観光業を営んでいる大河原夫妻のレストラン、ラム・ドゥードルで(写真14の#310)ご馳走をしていただいた。そしてネパール最後の夕食は、カトマンズの和食店桃太郎で、写真データベースを整備してもらっている干場さんにパソコンの点検をお願いしながら、いつものように二人でカツ丼を食べ(写真14の#318)、帰国後の再会*までの、お互いの旅の安寧を祈念したのであった。 
*2017年ネパール通信15 余話2
ネパール写真の整備と公開
http://glacierworld.net/2017/08/11/add-topic2-2017/


 写真14  2017年春の食事No.10 #287-318 (2017/05/29 at 13:29)-(2017/06/05 at 18:22)

 3)まとめ
 幸いなことに、久しぶりの氷河調査を行ったランタン谷の踏査中は体の調子は快調で、とどこおりなく現地調査を終了することができた。その第1の要因は、「心臓を手術していただき、4163mまで登ることができるように回復してくださった三菱京都病院名誉院長の三木真司先生」*で、先生には重ねて感謝するとともに、第2の要因としては、「まとめ」として以下に述べるような「何を食べていたのか-ネパール効果-」などが影響しているのではなかろうか。
*2017年ネパール通信4
「ランタン村周辺調査の予察的速報」
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/2017-4/
  さて、今回の「2017年ネパール通信17 余話4  何を食べていたのか-ネパール効果?-」のまとめであるが、2017年3月9日から6月5日までのネパール滞在89日間で、カトマンズ大学の滞在期間が50日、また大学生活同様に酒をひかえていたランタン谷の調査期間が11日なので、ダルバート中心のベジタリアン的なアルコールなしの食生活の期間が合計61日になり、全体の69%をも占めている影響が、冒頭の「1)はじめに」で述べた血液検査の結果、血糖値や中性脂肪値の低下となって現れたと考えても不思議はない、であろう。ただし、カトマンズ20日間とポカラ8日間の合計28日(全体の31%)の期間には晩酌と肉料理などの日本的な食生活であったが、幸い、全体的な割合が少なかったために、ベジタリアン的食生活で現れた血液検査の良好な結果を打ち消すような要素にはならなかったようだ。カトマンズ大学の50日間には毎日のようにバナナやブドウ、パパイア、マンゴー、ザクロ、ライチ、そしてビタミンCの多そうなネパールのレモンの果物にくわえて、滞在期間後半には王様のヨーグルトを果物にまぶして食べたのも体調管理・維持に役立ち、「ネパール効果」となって現れた、と解釈している。以上のような食生活と直接関係する「ネパール効果」にくわえて、さらに、4000mを超える高所まで体を使ったランタン谷の調査活動やカトマンズ大学では昇り降りのある丘の上の快適なキャンパス環境があり、ストレスの少ない学園生活を送ることができたことも、肉体的・精神的な方面からの影響として、総合的な体質改善効果に結びつき、結果として、血液環境の改善に結びついたものと思われるのだが、はたしてどうだろうか。
   だが、しかし、である。この日本にいると、ついつい不健康な食生活になりがちなので、できるだけ「ネパール効果」が持続するように、せっかく獲得した良好な血液環境を何とか保っていきたいものだ。

2017年8月14日月曜日

2017年ネパール通信16 余話3 カトマンズ・ポカラ間の河川環境の変化



2017年ネパール通信16 余話3
カトマンズ・ポカラ間の河川環境の変化


1)はじめに-写真データベース画像の定点写真化について-

写真1  カトマンズ・ポカラ間の青線で示す河川系と茶線のGPS軌跡のバス道路

 カトマンズからポカラにバスで旅する時に見られる河川としては、まずは小さいながら独立河川としてガンジス平野にそそぐカトマンズ盆地のバグマティ川があり、さらに盆地をでて西に向かうと、ネパール中央部のガンジス平原に流れ下る大河、ナラヤニ河の各支流を右側の車窓から見ることができる。各支流とは、東から西へ、トリスリ川、ブリガンダキ川、マルシャンディ川、マディ川およびセティ川である(写真1)。いずれも、ヒマラヤ山脈のランタン・ヒマール、ガネッシュ・ヒマール、マナスル・ヒマールおよびアンナプルナ・ヒマールの氷河地域から流れてくる(写真1)河川で、もともとは氷河起源の粘土をふくんだ氷河ミルクとよばれる灰色の河川であるが、近年、道路開発などによる土壌侵食で土砂が流れ込み、泥色の河川に変わってきている。それらの各河川環境の変化については、ネパールの写真データベース*の画像を定点写真とし、相互に比較することによって明らかにすることができたので、報告する。
* Nepal_A
http://glacierworld.net/gallery/Nepal_A/index.html
*Nepal_B
http://glacierworld.net/gallery/Nepal_B/index.html

2) バグマティ川

写真2 田園都市だったカトマンズ・パタン間の橋から見るバグマティ川周辺の景観(1965年)

 カトマンズは世界三大首都汚染都市といわれるほど、メキシコのメキシコ・シティとトルコのアンカラようなかつて湖があった盆地同様に、大気・水質汚染に見舞われており、その象徴がカトマンズ盆地の聖なる川、バグマティで、火葬後の水葬で、ガンジス河に死者を送り届ける神聖な宗教河川である。1970年代までのバグマティ川は聖なる川にふさわしい清らかな河川環境で、カトマンズ・パタン間の橋から見ると、河岸の宗教寺院(写真2の1や3)やカトマンズのランドマークであるダラハラ(ビムセン・タワー;写真2の2)が見え、その田園都市、カトマンズの背後にはガネッシュ・ヒマールをしばしば望むことができた。さらに、当時のバグマティ川の砂地の河床は天井川で、河岸の火葬場から河床までの比高が小さかったので、川床まで容易に接近することができたのである。
 ところが1980年代以降になり、カトマンズの環境汚染が進むとともに、トイレの排水を含む下水やゴミが流れ込み、バグマティ川は一挙に悪臭の漂う著しい汚染河川となってしまった。現在では、かつての宗教寺院の一部(写真3の1)は残るが、2015年の地震で、ランドマークであったダラハラや他の宗教寺院(写真3の2や3)は破壊され見ることはできなくなった*のにくわえて、かつては良く望まれたガネッシュ・ヒマールは、大気汚染のために、現在ではほとんど見ることができなくなったのである。さらに驚くべきは、バグマティ川の河床の低下である。河岸にいる人物との比較で、1965年の川床は河岸から2mほど下にあった(写真2)が、現在では川床が低下し、河岸からの比高が5mほどにもなっている。この変化は、写真にも見られるような建設ラッシュ(写真3)で、多量の川床の砂が建築材料として採取され、川床が低下したものと思われる。1970年代までの田園都市、カトマンズの景観(写真2)は、バグマティ川周辺からもほとんど消えてしまった。
*2015年ネパール春調査(16)帰国報告の写真8と9
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/06/2015-2015-2015-international-guest.html

写真3 都市化したカトマンズ・パタン間の橋から見るバグマティ川周辺の景観(2017年)

写真4 開発の進むカトマンズのバグマティ川河岸にはバラックが建つスラムがある(2016年)

 バグマティ川の現在は、悪臭のする汚染河川であるが、カトマンズ・パタン間の橋の下流地域にはバラックが建ち、劣悪な環境のなかで住民が暮すスラムがある(写真4)。しかし最近では、2017年3月11日のヒマラヤン・タイムズで報道されているように、バグマティ川の浄化を行うボランティア活動が行われる*ようになっている(写真5)のだが、依然として、バグマティ川の河川環境の改善効果は一向に上がっていない。
*2. 2017年(写真報告)カトマンズに着きました。
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/2017-02picture-gallery/


写真5 カトマンズのバグマティ川の浄化活動(2017年のヒマラヤン・タイムズ)

3) トリスリ川

写真6 灰色のトリスリ川(2009年)

 トリスリ川からランタン谷の調査は1975年以来3回あるが、行くたびに大きく変化している。1975年に行った時*はトリスリ・バザールがカトマンズからのバスの終点で、ランタン谷の出合のシャプルーまで3日ほど歩いた。また1997年の時はドゥンチェからシャプルーまで1日かかったが、時期は夏の雨期で、断層地帯であるドゥンチェ周辺の崩壊地をバスが喘ぎながら昇っていく恐怖の道だった。だが、今回の快適な舗装道路はランタン谷の出合のシャプルーを越え、さらにトリスリ川上流のチベット国境方面まで通じていると言う。住民に聞くと、チベット鉄道はすでにラサからシガツェまでのびており、そう遠くない将来に、トリスリ川沿いに南下し、カトマンズまで通じるというのだ。従来のコダリ・ルートが氷河湖決壊洪水で危険になっているので、近年は、トリスリ川流域の開発の進展がめざましいようだ。
* 追悼 五百澤智也さん-ランタン谷の思い出
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http://glacierworld.net/travel/recollection/momoyama-tomoya
 トリスリ川流域の開発の影響は河川の色に顕著に現れている。トリスリ川中流の同じ地点の写真を比較すると、2009年までは氷河ミルクの灰色の河川水だった(写真6)が、2017年には泥色の川になっている(写真7)のである。その変化の1つの要因として、不安定な山腹斜面の道路開発による斜面崩壊で、土砂がトリスリ川に流れ込んでいるのが分かる(写真7)。また、
トリスリ川沿いのいたるところで、カトマンズや周辺地域の建設ラッシュを反映して、河床の砂利取りが行われていることも、河川の環境変化の要因になるであろう。開発が進むトリスリ川流域の環境変化の影響で、トリスリ川で著しい泥色の河川化が進むのは慢性的現象になっている。

写真7 泥色のトリスリ川(2017年)

4) マルシャンディ川

写真8 マルシャンディ川中流にある日本援助でできた発電所周辺の氷河ミルク色の河川(2017年4月30日)

 マルシャンディ川中流にある日本の援助でできた発電所周辺の河川の色は典型的な氷河ミルクの灰色で、清流ある(写真8)。ところが、 いつもは清流であったマルシャンディ川が、帰路にはついに泥の川になってしまった(写真9)。マルシャンディ川上流域では道路開発にくわえて、中国援助による大規模な発電所の建設が進んでいる(写真9の右下)ので、氷河ミルクの灰色であったマルシャンディ川は、トリスリ川がたどった変化と同様に、今後ますます慢性的な泥色の川へと変化していくのか、を見ていきたい。

写真9 泥色のマルシャンディ川(2017年5月7日)と上流の大規模発電所開発(2014年4月20日)

5) トリスリ川とマルシャンディ川の合流地点

写真10 灰色のマルシャンディ川とトリスリ川合流地点(2015年5月3日)

 カトマンズ・ポカラ間の中間地点、ムグリンで見られるマルシャンディ川とトリスリ川合流地点の2015年の河川環境(写真10)から2017年になると、両河川とも著しい灰色の河川環境に激変していた(写真11)。

写真11 泥色のマルシャンディ川とトリスリ川合流地点(2017年5月7日)

6) ブリガンダキ川とトリスリ川

写真12 泥色のトリスリ川と氷河ミルク色のブリガンダキの合流地点(2017年5月7日)

 唯一グレイシャー・ミルクの清流の川相を往復路ともに見せてくれたのはマナスルとガネッシュ・ヒマラヤから流れてくるブリ・ガンダキ川(写真12)であった。西に向かって流れる泥のトリスリ川に北からのブリ・ガンダキ川が清流状態で合流するさまは印象的であった。カトマンズ・ポカラ間の比較的大きな河川系の中ではブリ・ガンダキ川流域のみが開発の影響が少ないことをうかがわせている。

7)マディ川

写真13 氷河ミルク色のマディ川(2017年5月7日)

  ランドサット画像を見て、いつもは氷河ミルク色の清流状態のマディ川(写真13)上流域に氷河湖決壊洪水(GLOF)を引き起こしている氷河湖があることが分かったので、シクリス村から3日間かけて、岩屑に覆われたガプチェ氷河・湖を調査した。2012年5月のことである。氷河・湖を眺める右岸モレーンの位置は、北緯28度26分49.09、東経84度06分48.39、高度2557mである(写真14)。
  この周辺の森林限界高度はマナスル峰南西のツラギ氷河湖地域と同様に約4000m付近なので、ガプチェ氷河末端と湖面は森林帯にあり、森林限界よりも1500mも下っている。クンブ地域の氷河・湖は森林限界以上に位置するが、マナスルのツラギ氷河湖末端はダケカンバの森林限界に接している。そこでまずガプチェ氷河・湖を見た第1印象は、ネパールでも最低位置に存在する氷河・湖ではないか*、ということであった。

*マディ川氷河湖洪水
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/08/blog-post_2602.html

  ガプチェ氷河には上流部のいわゆる涵養域がなく、アンナプルナⅡとラムジュン・ヒマールの峰々に囲まれた高度約7000mの氷河の崩壊が富士山ほどの比高のある大岸壁と峡谷を通じて、氷河の上部にデブリとして堆積し、氷河を涵養している。シクリス村民によれば、15年前には氷河湖はなく、2003年と2005年に氷河湖の決壊洪水が発生した、と言っていることから考えると、2000年前後からガプチェ氷河の末端部が融解し、氷河湖が形成された、と推定できる。しかも、2009年にも、洪水が発生したことをシクリス村民は述べている。これも、おそらく、GLOFであったであろう。
  はたして、ガプチェ氷河湖のGLOFはどのようにして発生するのであろうか。まず考えられることは、とにかく、高度7000m周辺の氷河の崩壊がガプチェ氷河を涵養していることから、仮に大崩壊が起こるとすれば、雪崩や落石が直接氷河湖に達し、大(津)波を発生させ、モレーンを破壊し、GLOFをひきおこす要因になるであろうことは容易に推察できる。クンブ地域のラグモチェ(ディグ)GLOFとも共通する要因である、と解釈できる。温暖化の進行とともに氷河や岩壁の崩壊が進む可能性は大いにあるので、このようなGLOFは多発するのではないか、と危惧される。この種のGLOF発生機構は、言ってみれば、いわば“水鉄砲”のようなもので、高度7000m周辺の氷河や岩壁の大崩壊によるエネルギーで、氷河湖水が鉄砲水のように押しだされて洪水を発生させるイメージといえよう。ガプチェ氷河・湖地域を帰路に、アンナプルナⅡとラムジュン・ヒマールの峰々に囲まれた高度約7000mの氷河の下流部が崩壊した雪崩を見ることができた*。
*ヒマラヤ・フィールド報告-セティ川洪水とマディ川氷河湖決壊洪水の原因-
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/10/2012.html

  通常は氷河ミルク色の清流状態のマディ川上流域には、急峻な地形をもつヒマラヤ特有の氷河湖決壊洪水(GLOF)を引き起こすネパールでも最低位置に存在する氷河湖があった。
*調査報告
セティ川洪水とマディ川氷河湖洪水
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html

写真14 マディ川上流のガプチェ氷河と涵養域(左)、氷河(右上)と湖(右下)(2012年5月19日)

8) セティ川

写真15 2012年の洪水発生時のセティ川の変化を示すパノラマ写真

 セティ川洪水は、ポカラ滞在中の2012年5月5日に起こった。セティ川洪水の発生当初は泥流状態(写真15の上)で、波状的(8回以上)に泥流が発生したと言われる。その後も継続的に、褐色の泥質の流れが続き、洪水発生後10日間たっても従来のいわゆるグレーシャー・ミルクの流況を取り戻すことはなかった(写真15の中)ことが、この洪水の基本的な性格を物語っているのではないか、と考えている。
 洪水の発生日は土曜日で、ネパールの休日であるため、行楽客が温泉地域などへ出かけていたので、被害を大きくした原因になっている。携帯で多くの写真やビデオが撮られ、ディプラン温泉地へ押し寄せる洪水や川で流される人たちの痛ましい画像が公開されている*。この洪水の犠牲者は死亡13人をはじめ、50人以上が行方不明である。 
*セティ川洪水
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/08/blog-post_26.html
 

    今回のセティ川洪水の要因として、堰き止め湖の崩壊(GLOF)が当初報告されたが、洪水前の堰き止め湖の航空写真は公表されていないし、また洪水発生前の衛星画像でも確認できないのであるが、おそらくGLOF説は、堰き止め湖の崩壊説を流したと言われるネパール軍情報をICIMODが鵜呑みにして広報したのが原因のようだ。また、雪崩説も堰き止め湖の崩壊説同様に、長期間泥流状態を継続させる要因としては説得力に乏しいのではないか、と解釈している。
  洪水を引き起こした融雪域の衛星画像をつぶさに見ると、モレーンには舌状の末端部をもついくつかの地すべり地形が複合している地形的特徴がある*ので、何かのきっかけで動き出した地すべりで地中の泥水が絞り出され、洪水を引き起こすとともに、繰り返した地すべりによって何回にもわたり泥水が発生したことが、8回以上の泥流を形成した原因になる可能性が考えられる。あたかも急速に流下するサージ氷河が泥水を絞り出すプロセスに類似している、と解釈している。また、アンナプルナⅣ峰周辺の稜線が崩壊したとの説もあるので、それが融雪地域に落下し、モレーン地域の地すべりのきっかけになったことも考えられる。融雪地域には、灰色の粘土で水平からやや傾いた堆積構造を示すかつての湖沼堆積物があり、その上部は黒褐色のモレーン堆積物が覆っている。モレーン堆積物が地すべりを起こしているので、セティ川洪水の初期に流出した泥流はモレーン堆積物の影響がある可能性もあると推定された。
*ヒマラヤ・フィールド報告-セティ川洪水とマディ川氷河湖決壊洪水の原因-
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/10/2012.html
 アンナプルナⅣ峰西方には、モレーンが崩れた箇所に地すべり地形が分布するとともに、モレーンの斜面には、融雪や豪雨に起因する水流の跡を示すガリー状の地形も認められる。泥質の物質を流出させた大規模な地滑り現象はまさにバッドランド上部の黒褐色の地層部分で起こっているので、融雪水や夕方から夜間の豪雨などによって、このモレーン堆積物を押し出し、上部の黒褐色泥質部分が流出してくれば、下流のポカラ周辺で観察された泥質の洪水流を説明できる、と考えている。温暖化でセティ川上部の地すべり現象が活発化し、今後とも泥流発生の可能性が高いと思われる。ただ、泥流を引き起こす水量として、融雪や豪雨だけで十分なのか、さらにデブリ氷河地帯の地すべりに伴う氷体中の水の排出を、サージ現象のように考慮すべきかは今後の課題であると思われる。
 調査最終日の洪水発生から18日目にポカラに戻ると、セティ川は泥質の流況はみられなくなったとはいえ、一見どろんとしたクリーム・スープのような、粘土物質を多量に含む濃い灰色の流れに変わっていた。セティ川は、まだまだ、かつてのグレーシャー・ミルクといわれる清涼な流れには戻っていなかった
(写真15の中)が、やっと本来の氷河ミルク色の河川環境になったのは洪水発生から半年後の10月であった(写真15の下)。
*調査報告
セティ川洪水とマディ川氷河湖洪水
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html
*ヒマラヤ・フィールド報告-セティ川洪水とマディ川氷河湖決壊洪水の原因-
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/10/2012.html

写真16 洪水の被害を受けたセティ川上流の村(2012年5月14日)

9) 黄河とトリスリ川

写真17 中国蘭州の泥色の黄河(2001年9月22日)

  中国の黄河などは泥色の川である(写真17)。その泥の川で、水泳をする人達がいるかと思えば(写真18)、ボートの川下りも行われいる(写真18の右上)のを見ると、中国人やネパール人をはじめ、また欧米人などの大陸育ちの人たちにとってはいつも見慣れている泥の川であるので、洪水時しか泥の川を見ない日本人のような違和感はないのであろう。インドの聖なる川であるガンジス河は、かつて毛沢東が泳いだと言われる揚子江と同様に、泥の川であるが、各地の沐浴場では泥の川で身を清めているのである。一方、通常は清流が流れている風土の日本人がもつ「泥イコール汚い」という感じは、大陸育ちの彼らはもっていないように思われる。友人のドイツ人がかつて琵琶湖を訪れた時、瀬田川を見て「泳ぎたい」と言いだしたので、大いに驚いたことがあった。琵琶湖北部のきれいな湖水とは違い、富栄養化で透明度の小さい瀬田川では私たち日本人は泳ぐ気がしないものだが、ヨーロッパ大陸育ちの友人にとっては透明度などあまり気にしないのかも知れぬ。
 
写真18 泥色の中国蘭州の黄河で泳ぐ人々(2001年9月22日)とトリスリ川のボートの川下り(2016年5月8日)

10) まとめ
  ヒマラヤ山脈のランタン・ヒマール、ガネッシュ・ヒマール、マナスル・ヒマールおよびアンナプルナ・ヒマールの氷河地域から流れてくる河川は、もともとは氷河起源の粘土をふくんだ氷河ミルクとよばれる灰色の河川であるが、近年、道路開発などによる土壌侵食で土砂が流れ込み、泥色の河川に変わってきている。それらの各河川環境の変化については、ネパールの写真データベースの画像を定点写真として用い、相互に比較することによって、ナラヤニ河の大きな支流であるトリスリ川とマルシャンディ川では道路開発などの影響で泥色の河川環境に変化しているのに対して、比較的小さな河川であるブリガンダキ川、マディ川とセティ川の上流域は開発の手が著しくはおよんでいないので、依然として氷河起源の灰色の河川環境を保っていることが明らかになった。だがはたして、そのもともとの河川環境をいつまで保つことができるのであろうか、今後とも見つめていきたい。
   黄河のような泥の川は揚子江やガンジス・インダス河の平野部に見られる河川環境ではあるが、その泥の川への変化が、ガンジス河上流域に位置するネパール山岳地域の各支流にも開発計画の進展とともに現れてきている、と解釈できる。近年インドの河川関係者が、「輸出品の乏しいネパールだが、ネパールの河川が泥をインドまで多量に流(輸出)しているので、せっかくのダムが埋まるので困っている」とこぼしているのもうなずける。開発計画の影響が河川環境の上流におよぶ現象はネパールだけでなく、日本をふくむ各国に共通した環境課題になっている。急速に開発の進むネパールでは、1970年代までの清流の状態から最近の泥の川への変化のように、道路や発電所建設などの山岳地域の開発計画が今後とも進む中で、河川環境が大きく変化していることが、1965年以来の写真データベースの写真資料を定点写真として相互に比較することによって、明らかにすることができた。

2017年8月8日火曜日

2017年ネパール通信15 余話2

2017年ネパール通信15
余話2


ネパール写真の整備と公開

 7月27日から30日まで、立山カルデラ砂防博物館の干場悟さんのところで、ネパールの写真整備の作業をしてきました(*1)。干場さんに作っていただいた「氷河の世界」のホームページにある写真データベース「ギャラリー」(*2)に、従来の1965年から2005年のデジカメ以前のNepal A(10029枚)に、2008年から2017年のデジカメ以後のNepal B(26635枚)を加え、ギャラリー全体で42504点の画像を収録し、公開しています。
   滞在中は、干場さんをはじめとして、博物館の飯田肇さんや福井幸太郎さんたちに大変お世話になりましたので、ここに改めてお礼申し上げます。
*1 立山に来ました!
http://glacierworld.net/2017/07/28/tateyama01/
*2 ギャラリー
 http://glacierworld.net/gallery/

写真1  従来のNepal A(10029枚)に、新しく Nepal B(26635枚)を整備し、公開した。

 各写真は年月日順、および撮影地域(ネパール中・東部、ポカラやクンブ・ランタン、カトマンズ大学や国際山岳博物館など)毎に整備され、 公開されています。なお、各写真の利用は自由です。

写真2 マチャプチャリのキーワード(赤い矢印)で検索すると、1007枚の画像を見ることができる。

 キーワード(タグ)を入力すると、見たい画像を検索することができます。例えば、マチャプチャリで検索する(写真2)と、1007枚のマチャプチャリを見ることができます。その一例を写真3に示します。

写真3 マチャプチャリの検索画像の一例(ポカラの国際山岳博物館から望む)。

 また、チョモランマ(エベレスト)で検索すると、143枚の中から写真4の世界最高峰を見ることができます。さらに、滞在期間の長かったカトマンズ大学(KU)や国際山岳博物館(IMM)で撮影した写真は、各イニシアルのKUとIMMで検索することができます。それでは、皆さまも是非ご覧になって、お楽しみください。

写真4 チョモランマで検索した画像の一例(東ネパール・クンブ地域のギャジョ氷河から望む)。

  最近数年間のネパール写真には日時と場所のみのキーワード(タグ)しか付いていませんが、それらの写真にも山名や人名などの多様なキーワードが付けば、さらに広範な写真を検索することができるようになるでしょう。これからの課題です。