2016年5月28日土曜日

2016年ネパール通信8 お世話になった方々


2016年ネパール通信8


お世話になった方々


はじめに
ネパールに来てヒマラヤが見えないほど残念なことはありません。そこで、ヒマラヤが見える割合を「ヒマラヤ展望率」(*)と呼んでいますが、昨春の38%に対して、今春はわずか8%にしか過ぎないという前の報告以来、依然としてヒマラヤは見えません。したがって、今春のヒマラヤ展望率はさらに悪化?し、6%になってしまいました。これでは、雲の上に出てヒマラヤを見るマウンテン・フライトしかないのではないでしょうか。雲上のヒマラヤは確かに登山家にとっては迫力があるので捨てがたいのですが、やはり、点在する村々を前景に地上から仰ぎ見るような神々の座のほうがたおやかで人々の生活とのつながりが感じられて魅力的だ、と個人的には思うのですが。最近は午後の雷雨が多くなり、翌朝の快晴、ヒマラヤ展望を期待させるのですが、翌日はまた雲が押しよせ、神々の座を拝むことは依然としてかないません。6月初めの雨期入りまでもうすぐです。5月29日はエベレスト・デイで、1963年に世界最高峰チョモランマが始めて登られた日ですので、パレードが行われましたが、残念ながら大雨に降られました。ヒマラヤが見えない残念さはまだまだ続きそうで、心はなかなか晴れません。
(*)2016年ネパール通信7  最終講義の報告
ヒマラヤ展望率
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/05/20167.html


さて、「カトマンズの第1印象は、黒、だった」ことはお伝えしました(*)が、依然として遅々として進まない地震災害の復興状況を見ていますと、黒の第1印象は、ヒマラヤ展望率同様、なかなか好転しません。ただ、今春のカトマンズ大学の講義期間中にたくさんの方々にお目にかかり、お世話になるなかで、元気をいただき、心が晴れてくるのを感じました。ご承知のように、ネパールは日本の半分に満たない比較的小さな国ですが、自然にしても民族にしても実に多様です。標高100mほどの南部の熱帯から8000m以上の北部の極地までさまざまな自然があり、そこに100を超えるといわれる少数民族が東西南北に分布ししているのがネパールの魅力です。その多様さに関連して、お世話になった方々がさまざまな仕事をされていますので、いろいろと教えられました。今回は山の調査がありませんでしたので、どちらかというと、町でお会いした方々にお世話になりました。
(*)2016年ネパール通信1
カトマンズの第1印象は、黒、だった。
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/03/blog-post_1.html

ハクパ・シェルパさん
写真1 ハクパ・シェルパさん
 
彼はネパールのもっとも古い友人の一人です。1970年のエベレストスキー隊の後、ギャジョ氷河の調査をしている時に、クムジュン村のヒラリー学校からクンデ村に帰る彼に会ったことがあります。右上の写真がその時のもので、右から2人目の彼はクンデ村の友人たちの番長役をしていました。やがて彼は、彼の義兄であるペンバ・ツェリンさん(*1)の後を継いで、私たちがディンボチェ村の近くに作ったハージュン氷河観測基地の維持・管理や観測をしてくれました(*2)。今では、日本の建設会社のカトマンズ支社長としてネパールはもとよりブータンなどでも仕事をしています。最近では、地震で壊れた学校建設のJICAの仕事もしており、訪ねてきたユニセフ親善大使の黒柳徹子さんと話したことを誇らしげに話してくれました。
(*1)追悼 井上治郎さん 追記 2011年春調査最後の出来事-ペンパ・ツェリンさんの奥さんの訃報-
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/09/blog-post_26.html
(*2)国際交流 ネパール氷河調査隊ハージュン基地建設
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html

小川真以さん
写真2  小川真以さん

彼女は2008年から2010年まで2年間、JICAのボランティア―としてカトマンズ近くのキルティプール市役所で村落開発普及員の仕事をしましたが、彼女はその後もNGO活動の一環として、ネパールの母子保健事業の仕事を続けています。同期生の中ではネパール語がもっとも上達しているのは、いかに彼女がネパール社会に深く入り込んでいるかを示しています。彼女からは、来るたびごとに、現地の生きた情報を教えていただいています。この6月に現在の仕事を終えた後、イギリスに留学し、彼女のこれまでの実践活動を生かした母子保健に関する研究を進めるのだそうです。この写真は、いつもの日本レストラン、桃太郎で夕食をともにした後、ターメルの繁華街からタクシーで帰る彼女を見送った時に撮りました。

ケシャブ・シュレスタさんとラメッシュ・シュレスタさん
写真3  ケシャブ・シュレスタさん(左)とラメッシュ・シュレスタさん(右)

ソエンブナート寺院の近くにあるトリブバン大学付属の自然史博物館の前館長が写真左のケシャブ・シュレスタさん(*)で、現館長がラメッシュ・シュレスタさん(写真右)です。ケシャブ・シュレスタさんは京都大学で学位を取りましたので、日本語が上手で、セニードという自然保護活動の中心人物。博物館に作っていた自然公園は地震の影響をあまり受けず、ほぼ完成したとのことです。訪れた時は、博物館建物の修復・拡張事業のため休館中で、しかもネパールの休日の土曜日にもかかわらず、快く見学させていただきました。1000万年ほど前の人類、ラマピテクス(Ramapithecus sivalensis)の化石は自然史博物館のお宝で、普段はレプリカの展示ですが、今回は実物も拝見させていただきました。それが右下の写真で、歯の化石の長さは1.5cmほどでした。
(*)2015年ネパール春調査(8) 2015ネパール地震(3) ポカラからカトマンズにもどりて
スワヤンブナート寺院と自然史博物館

吉田勝さん
写真4  吉田勝さん

JICAの専門家としてトリブバン大学の地質教室で教えたことがあるゴンドワナ地質環境研究所(会長)の吉田さんは、任務終了後も地質教室とのつながりを生かした学生の巡検旅行を企画しています。この学生巡見では、ほぼネパール中央部のカリガンダキ川沿いに、南部のシワリーク山脈から北部のヒマラヤ山脈までを現地調査するとのことです。今年の第5回目の旅行を始めるにあたって、巡検について解説するセミナーがありましたので、カトマンズ大学で行っている講義のテーマである「Environmental Changes of the Nepal Himalaya」*を報告しました。
*KU  Lecture  2015 & 2016
Environmental Changes of the Nepal Himalaya
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/

山口淳一さん
写真5 山口淳一さん(左)とハクパ・シェルパさん(右)
 
彼は北海道大学山岳部の先輩で、農学部の一行とともにカトマンズ盆地のサクー村の農業調査を行うために来ていました。サクーは去年の地震直後に調査しました(*)が、歴史的な文化遺産をはじめ、多くの家屋が著しく破壊されていたのが印象的でした。サクー村で落ち合いますと、元気そうなハジマキ姿の彼が現れ、復興が遅々として進んでいない村を案内していただきました。写真は、その後、ハクパ・ギャルブさんの会社が建設したサクー村の発電所を見学した時のものです。
(*)2015年ネパール春調査(13) 2015ネパール地震(5) サクーで考えた。
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/06/2015-2015.html

古川宇一さん
写真6 古川宇一さん
 
彼は北海道大学山岳部の同期で、1960年代後半からネパール中部のマルシャンディ川中流域でグルン族の文化人類学の研究をしています。今回は、2010年に続き現地を訪れるとともに、マルシャンディ川最上流部のティリツォ(湖)周辺へのトレッキングを行ってきました。この写真は、トレッキングで疲れてカトマンズに戻り、日本食レストランで照り焼き丼などを食べて、ご機嫌、かつ満足していることを示しています。彼は旭川で農業をするとともに、家でグランド・ピアノを弾いたり、山登りやトライアスロンなども行っています。彼のブログによりますと、「さあ、95歳まで生きる計画、それも死にものぐるいで遊ぶ残りの人生。イザイザイザうち連れて、進むは今ぞ(大笑い)」とのことです。

吉田克人さん
写真7 吉田克人さん(左)

彼は、チリーのアンデス山脈の地質調査を長年行い、現地で博士号を取ると共に、奥さんも仕留めています。本来なら、木崎甲子郎さんの1990年代からのヒマラヤ地質調査隊に参加していたと思われる彼ですが、アンデスの仕事が長かったために、ヒマラヤは今回のカンチェンジュンガ地域のトレッキングが初めてだそうです。今回は、彼にGPSデータを取ってもらうとともに、写真撮影もお願いしました。彼が取ってくれたデータは、友人の干場悟さんに編集していただき(写真右下)、カトマンズ大学の講義の中で利用することができました。写真は彼らが宿泊していたチベット・ゲスト・ハウスで撮ったもので、左側が大気汚染対策でマスクをしている彼、右側が福尾克也さんです。

アジャル・アディカリさん
写真8 アジャル・アディカリさん

彼は友人の平田更一さんと東京でコンピュータ関係の仕事していましたので、平田さんから彼の父、チェトラ・P・アディカリさんが2年前に亡くなったことを知りました。彼の父は詩人で、宮沢賢治や夏目漱石など多くの日本文学をネパールに紹介してくれた「ヒマラヤ文庫」を作った人です。去年の春が1周忌だったのですが、2015年ネパール地震で法要を営むことができませんでしたので、今春4月に2周忌の法要が行われました。チェトラ・P・アディカリさんは死後、医学生のための献体になり、そのことを最後の詩にしましたので、彼の夫人、塚田恭子さんが法要の場で朗読しました。写真は、彼が父親の大写真の前で、参集者にお礼を述べているところです。

安仁屋 政武さん
写真9 安仁屋政武さん

南米パタゴニアの氷河研究を長年続けてこられた彼が、ネパール中央北部のムスタン北部の旅行を終えて、カトマンズ大学を訪ねてくれました。近くてもなかなか行けないムスタンと日本から遠くてなかなか行けないパタゴニアの氷河の話をしてくれました。「画像解析だけでは分からないことがあるので、遠くても、パタゴニアの現地に行くのです」という彼のフィールドの考え方にコンピュータ漬けの学生たちも納得したようでした。彼からは「カトマンズ大学のキャンパスはカトマンズに比べると天国ですね。勉学意欲の旺盛な学生を教えるのは楽しいことですね。」とのメイルが寄せられました。写真手前には友人のリジャン助教授、彼の左上の壁には2015年ネパール地震でできた割れ目が写っています。

神埼忠男さんとサンタ・ラマさん
写真10 神埼忠男さん(左)とサンタ・ラマさん(中央)

ネパール山岳協会副会長で国際山岳博物館担当理事のサンタ・ラマさんが2014年11月に来日されましたので、関係者が集まり、東京の岸記念体育館の会場で話し合いました。その際に、日本山岳協会会長の神﨑忠男さんが会場を使用するお世話をしてくださいました(*)。神﨑忠男さんたち日本山岳会一行の方々は、今春のマナスル峰登頂60周年記念祝賀会に出席するためカトマンズに来られましたので、一行の方々を紹介していただき、皆さんにヒマラヤ地震博物館の話をすることができました。
(*)錦秋に山岳博物館とカトマンズ大学を想う 国際山岳博物館の将来課題
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html

宮原巍さん
写真11 宮原巍さん(前列中央)

1970年のエベレスト・スキー隊終了後、現地に残り、ナムチェバザール北のギャジョ氷河の調査をしている時に、彼はテント生活をしながら、彼にとって最初のホテル、エベレスト・ビュー・ホテルを作っていました。氷河からナムチェ・バザールに買い物に下りて来た夏のある時、彼のテントによると、大きなマツタケのような姿のキノコをご馳走してくれました。現在82歳の彼は、3番目のホテルをポカラの景勝地サランコットに作っています。ポカラに行った時に彼の宿泊場所である事務所に伺いますと、いつものように日本食をご馳走してくれました。写真はマナスル60周年記念祝賀会会場で撮ったもので、前列中央の彼と、左はマナスル登頂者の日下田實さん、右はネパール名誉総領事の今西邦夫さんです。

干場悟さん
写真12 干場悟さん(右)

カトマンズ大学の講義は彼と共同で進めています。コンピュータの専門家である彼は講義のホームページ(*1)を作成してくれるともに、現地調査でとったGPSデータや写真を彼が編集してくれましたので、講義の中で、写真の撮り方などを学生たちと議論する良い教材になりました。写真は彼が二人の山岳民出身の学生に教えているところで、手前の学生がパキスタンのカラコラムの麓ギルギットから来ているイラム・バノーさん、後ろがエベレストの麓のクンブ地域のクンデ村出身のミンマ・ヤンジさんです。二人の女性学生に囲まれた彼の顔が嬉しそうなのが印象的です。また、彼はポカラの国際山岳博物館の改革にも携わり、新たなホームページ(*2)を作成するとともに、彼からのメイルによりますと、彼の改革案はネパール山岳協会から好評で「来年も是非協力してほしいという空気が盛り上がってきました」とのことです。また、秋から春にかけては避暑とは反対の避寒で、東南アジアから南アジアを旅するのが彼のライフスタイル(*3)で、各国の言葉を巧みに話す才能も持ち合わせています。
(*1)KU  Lecture  2015 & 2016
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
(*2)International Mountain Museum
http://immpokhara.blogspot.com/
(*3)travelasia
http://jjhoshiba.blogspot.jp/


バル・ライさん
写真13 バル・ライさん

ポカラの国際山岳博物館が創設された2004年以来、博物館の事務長の役割をしています。いわば、博物館の生き字引のよう人です。この写真は博物館2階の古い倉庫ですが、残念ながら、資料が乱雑に積まれているのが分かります。博物館の裏側に建てられた新しい倉庫も見せてもらいましたが、やはり資料が乱雑に積まれていましたので、倉庫整理と収蔵資料の台帳(財産目録)を作るように提言しましたが、はたして彼はやってくれるでしょうか。来週の再訪時に、この博物館がどのように変化しているのかを見るのが楽しみです。

ハリダイ・トラチャンさんとアショック・トラチャンさん
写真14 ハリダイ・トラチャンさん(右)とアショック・トラチャンさん(左)

ハリダイさんと・アショックさん父子はホテル・ドラゴンの経営者ですが、ハリダイさんは国際山岳博物館の現地相談役の仕事をするかたわら、彼は伝統的な弓矢のネパール代表選手で、ホテルの庭にも弓道場が設えてあります。また、彼は企業家でもあり、ポカラ近郊の丘陵地には農場と、アンナプルナ連山の見える斜面には観光施設を作り始めています。その観光施設には、マナスル西側のツラギ氷河湖近くにあった友人たちの慰霊碑(*)が遠いため訪れにくいので、彼のマチャプチャリが見える観光施設に移動し、設置させてもらっています。
(*)2015年ネパール春調査(10) ポカラ報告
亡き友人の記念碑
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/06/2014-10.html
友人の分骨場
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/11/2012.html

貞兼綾子さん
写真15 貞兼綾子さん(左)

彼女は長年ランタン村の支援をしていますが、去年の地震直後に雪崩が村を直撃し、300名近くの方々が亡くなる大災害に見舞われてしまいました。そこで、肉親を失ってもなお奮闘する彼女の「息子」、テンバさんたちと一緒になって、昨年の5月から新たな村の建設に挑んでいます(*)。彼女は日本から着いたばかりでしたが、「ヘリコプターでランタン村まで飛び、現地を見てきます」と5月17日の出発前に言っていました。彼女の貞兼節をうかがっていますと、こちらまで元気をもらえるような気がしたものです。その彼女から5月25日、衛星電話がきまして「意外に歩けます。あと数日いて、帰りは歩きます」との元気な声を聞くことができました。
(*)2015年ネパール春調査(12)
ランタン地域の雪崩災害等に関する情報交換の進展
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/06/blog-post.html

中原一博さん
写真16 中原一博さん

彼とは、去年の地震直後から貞兼綾子さんとランタン村の支援をおこなうために宿泊していたホテルで初めてお目にかかりました。彼は建築家で、ランタン村上流のキャンジンにあるラマ教寺院の復興デザインを作成しているそうです。その彼が、今年同じホテルで再会しますと、チベット避難民の救済のための資金が必要なので、麻や綿、さらに絹のたくさんのフンドシを自然の野草で染め、部屋の内外で乾かしていました。写真の彼の左側のフンドシがインド茜(あかね)色に染め上げたものとのことです。これらは日本で販売し、資金源するのだそうですが、はたしてうまくいくのでしょうか。ヒマラヤの神々の座に祈念することにします。

高橋久美さんと和田正夫さん
写真17 高橋久美さん(中央)と和田正夫さん(右)

彼女は、2008年から2010年まで2年間、JICAのボランティア―としてポカラ市役所で子供の保健に関する仕事をしましたが、その後彼女は徳島大学の看護学分野の助教になっています。彼女にはネパール人の許嫁がいて、結婚への今後の手続きを打ち合わせるためにポカラに来ていました。さまざまな課題を乗り越えて、お二人の素晴らしい将来の家庭生活が営まれるようヒマラヤの神々の座に祈念しています。写真は、前述のハリダイさんのホテルで行われたすき焼きパーティーに招待された時のもので、左がハリダイさん、中央の高橋さんが、ネパール人の奥さんをもちポカラに住んでいる右側の和田正夫さんに国際結婚の課題を聞いているところです。和田さんはJICAの仕事の一環でネパールのニジマス養殖などを始められた方で、長く水産業の改良・普及に努められましたが、その後は国際労働財団で働き、現在は退官されているそうです。

ラジェンドラ・カーナルさん
写真18 ラジェンドラ・カーナルさん 

彼は鉱山地質局長で、2015年に起こったゴルカ地震の1周年を記念した国際会議(International Workshop on Gorkha Earthquake, Nepal)の主催者です。国際会議ですと、ホテル代や歓迎パーティーなどの食事代もかなりかかりますので、通常は数万円相当の登録料を支払うのですが、今回は無料だったのはありがたいことでした。おそらく、彼の組織力で会議費用を集めてきたのでしょう。この会議では、ヒマラヤ地震博物館(Himalayan Earthquake Museum)*を発表しました。さまざまな手法で地震の特徴を明らかにしても、残念がら、地震を防ぐことはできないのですから、ヒマラヤ地震博物館でヒマラヤの地震について知ってもらい、被害を軽減する手立てを考えてもらうことが必要であることを発表したところ、参加者が興味を示してくれました。彼の事務所を訪れた別の理由は、1965年に中央ネパールの地質・氷河調査の後、彼の事務所でシャルマ博士とリマール博士に会いましたので、彼らの消息を知ることでしたが、彼はいろいろのところへ電話で尋ねてくれましたが、全く手掛かりはないとのことで、51年の歳月の隔たりを感じました。
* 2016年ネパール通信3
ゴルカ地震国際会議
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/60.html
2016年ネパール通信4
地震に関する 二つの国際会議の報告
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/2016.html
2016年ネパール通信7 最終講義の報告
ヒマラヤ地震博物館
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/05/20167.html

スレッシュ・チャリセさん
写真19 スレッシュ・チャリセさん

ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN*)は1973年の学生隊から始まりましたが、翌年の1974年からは文部省の海外学術調査隊になりました。調査隊のリーダーは名古屋大学名誉教授の樋口敬二さん(右上写真の右)でしたが、ネパール側の責任者がトリブバン大学トリチャンドラ・キャンパスの気象教室教授のチャリセさん(右上写真の左)と水文気象局長のアディカリ博士(右上写真の中)で、彼らの研究室からは、何人ものスタッフが現地調査に参加しました。もともとチャリセさんは、1968年にランタン谷で積雪観測を始めたとのことで、2015年ネパール地震でランタン村が壊滅状態になるなどの大きな変化があった事に加えて、亡くなった奥様との新婚時代の思い出の地でもあるので、体が許せば、再訪してみたいと言っていました。最近は、ヘルニアの2回目の手術を行ったばかりで、できるだけ家にいて、宗教関係などの読書をしているうちに、禅に興味もったそうです。次に日本に行ったら禅寺を訪ねてみたいとのことです。写真は、彼が中心になって1993年にまとめたネパールの気象・水文に関するアトラス(台帳)をみながら、コンピュータがほとんど使えない時の苦労話や、このアトラスがネパール全国の農業や電力開発などに役立っていることを誇らしげに自宅の居間で説明してくれました。
(GEN*)2013秋調査旅行余話(1) ハージュン観測基地
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html
 

リジャン・カヤスタさんと研究室の皆さま
写真20 リジャン・カヤスタさん(前列左から2人目)と研究室の皆さま

カトマンズ大学の助教授である彼は、ヒマラヤ周氷河・気候・災害研究センター長で、彼の教室は、アメリカのコロラド大学が支援するアジア高地の雪氷地域からの流出現象に関する総合研究の南アジア部門のセンターになっていますので、国際的な共同研究を行うかたわら、教官・学生ともどもネパール・ヒマラヤの現地調査にも活発で、あしげくフィールド通いをしています。講義は、彼の教室のネパール人をはじめ、インドやパキスタンからの修士課程1年目の学生が対象でした。写真は、旅の安全を祈願するカタと呼ばれる経文を印刷した布を首にかけてもらい、講義の最後に、研究室前で記念撮影したところです。この写真は、助手のモハン・チャンドさんが下記のFacebook(*)に投稿してくれました。また、カトマンズ大学の講義を来春も継続して行いますので、皆さんにはこれからもお世話になります。なにとぞ、よろしくお願いいたします。
(*)Himalayan Cryosphere, Climate and Disaster Research Center  •2016年05月25日
https://www.facebook.com/Hiccdrc/photos/np.1464169648925945.100009835994103/1039797719440282/?type=3

これからの予定
6月2日夜のカトマンズ出発までは、関係者の方々に挨拶回りをします。6月3日はクアランプール空港で21時間帰国便を待って、6月4日朝に関西空港に着く予定です。それでは皆さまもご自愛ください。

                         (雨期を思わすようなそぼ降る雨音を聞きながら5月31日カトマンズにて記す)

2016年5月21日土曜日

2016年ネパール通信7 最終講義の報告




2016年ネパール通信7
最終講義の報告



はじめに
カトマンズ大学の講義のタイトルが“ネパールヒマラヤの環境変化” (*1)ですので、1965年以来のネパールヒマラヤにおける氷環境変動に関して、この半世紀にわたる12万枚ほどの写真資料を整備したデータベース(*2)を利用しながら、講義しました。カトマンズ大学の友人であるリジャン・バクタ・カヤスタさんの研究室はヒマラヤ周氷河・気候・災害研究センターと呼ばれ、講義をしたその研究室の今年の修士1年目の学生は、インド人の留学生3人をふくむ計7名(写真1)でした。当初の予定では、3月~5月の講義期間のうち、ポカラの国際山岳博物館の展示更新やランタンの現地調査期間を除く約2ヶ月半に30回(60時間)の講義をする予定でしたが、今年は去年と違い、3月が修士課程1年目の試験期間と重なったため、3月の講義時間が少なくなり、5月末までに全体で23回(46時間)の講義を行いました。カトマンズ大学にこの期間滞在したのは53日間ですので、2.3日に1回、講義を行ったことになります。しかしながら、講義スケジュールがかなりきつくなりましたので、当初予定していたランタンの現地調査は次回に見送らざるを得ませんでした。ポカラの国際山岳博物館の展示更新を5月初めに行っている間は、友人の干場悟さんにコンピュータの講義をしていただきました。

(*1)Environmental Changes of the Nepal Himalaya
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
(*2)ヒマラヤ写真データベース
https://picasaweb.google.com/115786369284765082831?showall=true

写真1 今年の修士課程1年の講義受講生


貴重な資源の喪失
 
写真2 最終講義のまとめの図

写真2は最終講義のまとめの図で、ネパールは貴重な資源である氷河と森林を失っていることが今回の講義の結論です(*3)。つまり、ヒマラヤ高地では温暖化で氷河の融解が進み、氷河は縮小していますが、一方氷河湖は拡大し、小さな氷河湖が決壊洪水(GLOF)を引き起こしています。しかし、このまま温暖化が進むと、今世紀中頃には6000m~7000m以下の小氷河は解け去り(写真3)、
乾期の水資源の源が乏しくなります。すると、すでに発生した中央ネパール北部のムスタン地域の水を求める環境難民のような社会問題がヒマラヤ高地で連鎖的に起こるとともに、ヒマラヤを起源とる南アジアの大河河口域の人口増加にみまわれる大都市にもその影響がおよぶでしょう。そこでは、低下する河川水位とは反対に、海面上昇で塩水が河口域に侵入してくるからです。また、ポカラのフェヴァ湖のように富栄養化が進行する湖沼が分布するヒマラヤ低地では、森林火災(写真4)や薪需要による森林破壊がすすんでいます。ネパール中央部のマルシャンディー川上流部のビムタンでは1970年代の森林が草地化し、さらに観光化の進展でホテルやロッジが林立しています。特に森林火災は車の排気と相まって大気汚染を引き起こすと共に、温暖化にも影響すると解釈できます。去年にくらべると今年の大気汚染によるスモッグ(*4)は著しく、ヒマラヤを見るための避暑地に位置するカトマンズ大学からさえ神々の座を見ることはほとんどありませんでした。貴重な資源である氷河と森林を失っていることにくわえて、ヒマラヤの高地や低地に分布する湖沼群もまたその価値を減少させていると解釈できます。

(*3)3-4. Summary and  Concluding Remarks
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/3-4-miscellaneous-natural-phenomena.html
(*4)2016年ネパール通信6
カトマンズからポカラへ-スモッグの原因ー
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/

 写真3 氷河縮小が著しいクンブ地域のギャジョ氷河

写真4 ネパール中部のマルシャンディ河流域の森林火災

ヒマラヤ地震博物館
以上のように、ネパールでは氷河と森林と言う貴重な資源を失いつつある中で、第3の極地(Third Pole)と呼ばれるヒマラヤのネパールに2015年の地震災害が発生しました。現在も1年前の災害状況そのままの地域があり(写真5)、復興はなかなか進んでいないのが現状です(*5)。今回の講義期間中は、2015年地震の1周年にあたりましたので、鉱山地質局(DMG)と日本国際協力機構(JICA)による2015年地震に関する2つの国際会議が開かれ(*6)、ヒマラヤ地震博物館(*7)の必要性を報告しました。私はかつてポカラの国際山岳博物館で仕事をしましたので、若い学生たちにヒマラヤ環境の実態と問題点を示す必要性を感じていましたので、ヒマラヤ地震博物館でもヒマラヤの地震災害の問題点を、ネパールの将来を背負っていく若い人たちに提示することが必要だと考えています。現在、カトマンズ大学でネパールヒマラヤの環境変化を講義しているのもその一環です。

(*5)2016年ネパール通信1
カトマンズの第1印象は、黒、だった。
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/03/blog-post_1.html
(*6)2016年ネパール通信4
地震に関する 二つの国際会議の報告
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/2016.html
(*7)2016年ネパール通信3
ゴルカ地震国際会議
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/60.html

写真5 1年前の地震災害状況を現在も残すバクタプールの遺跡

ヒマラヤ展望率
カトマンズ大学の宿舎から毎朝撮っている写真をチェックし、ヒマラヤ連峰のガウリンシャンカール峰(7134m)が見える割合を展望率(*8)と呼ぶとし、去年と今年の春の同時期の展望率を比較してみます。去年の3月~5月の68日間でガウリシャンカールが見えた日(写真6)は26日ありましたので、展望率は38%でしたが、今年の同時期の53日間で見えたのはわずかに4日間でした。したがって、今年の展望率は8%にすぎません。スモッグの影響を受けた今年の大気汚染がいかにひどかったかを示しています。このことは、ネパールにとって重要な観光資源であるヒマラヤを見ることができないことを示し、ネパールの将来の観光産業にとっても大きな影響をあたえることでしょう。

(*8)2016年ネパール通信2
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/03/blog-post_23.html

写真6 カトマンズ大学の宿舎から見えるヒマラヤ連峰とガウリシャンカール峰

今後の予定
帰国までの5日間はカトマンズに滞在し、2つの国際会議を開催した鉱山地質局(DMG)と日本国際協力機構(JICA)に挨拶にうかがい、ヒマラヤ地震博物館構想について話をしてこようと思っています。今回のAirAsia便は急遽帰国便のスケジュールが変更になったため、6月2日カトマンズを離れ、クアランプール空港に1日滞在し、6月4日は当初より半日ほど早くに帰国します(格安切符なので、予定変更には文句は言えませんが、カトマンズAirAsia事務所は、スケジュール変更への対応を丁寧にしてくれました)。カトマンズ大学に友人のリジャンさんと話したところ、来春もまたカトマンズ大学の講義を行うことになり、5月初めにはポカラの国際山岳博物館の展示更新を行う時に、今年同様に、干場悟氏にお願いしてコンピュータの講義をしていただく予定です。今年はランタンの調査ができませんでしたので、来春は学生の試験期である3月にランタン谷の調査ができたらと考えています。来年の再講義のためいも、格安切符を早期にゲットしようと思っています。

身辺諸事1
今年のカッコウは声はするのですが、大学の森にはほとんど来ず、大学周辺の森を飛びまわっているようです。大学はカラスの天国になりましたので、カッコウは近づけないのでしょう(*9)。今年の大学の食堂は大量の薪を使うようになりました(写真7)。石油・ガスなどの燃料が入りにくくなったのが原因だそうですが、薪使用は近くの森の森林破壊を示しています。大学の森の生態系や大学関係者の生活活動も周辺環境に影響をあたえていることを強く感じた今年の講義でした。

(*9)2016年ネパール通信3
ゴルカ地震国際会議
PS1 身辺諸事
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/60.html

写真7 カトマンズ大学食堂の大量の薪使用状況

身辺諸事2
講義の最後に、旅の安全を祈願するカタと呼ばれる経文を印刷した布を首にかけてもらい、研究室前で記念撮影(写真8)し、助手のモハン・チャンドさんが下記のFacebook(*)に投稿してくれました。
(*)Himalayan Cryosphere, Climate and Disaster Research Center  •2016年05月25日
https://www.facebook.com/Hiccdrc/photos/np.1464169648925945.100009835994103/1039797719440282/?type=3

写真8 旅の安全を祈願するカタと呼ばれる布を首にかけて、研究室前で記念撮影。

身辺諸事3
実のところ、最終の講義を前に、下痢におそわれました。
今は良くなっていますが、五月蝿にも悩まされています。
大学はあと1週間、老骨に鞭打って、千秋楽を迎えます。

この三日 激しく飛びかう五月蝿 日本のと違い 有りや無しやと
後期高齢者へ迫る 下痢に五月蝿 This is Nepal.を感じ 老骨に鞭打つ

「目出度さはことしの蚊にも喰れけり」は一茶の句ですが、今もって、なかなかその心境にはなれません。 
それでは、皆さま方も、どうぞご自愛ください。    (5月21日、カッコウガ遠くで鳴くカトマンズ大学にて記す)

2016年5月3日火曜日

2016年ネパール通信6   カトマンズからポカラへ-スモッグの原因ー

2016年ネパール通信6

カトマンズからポカラへ-スモッグの原因ー


  2016年5月1日、国際山岳博物館で展示更新を行うため、バスでカトマンズからポカラへ向かいました。朝7時半出発、午後2時45分着のグリーンライン・バスです。出発朝のカトマンズも相変わらずのスモッグ空で、ヒマラヤが見える気配はありませんでした。どうして、こんなにスモッグが濃いのか、道中見ていくことにします。

写真1 ターメルでは毎朝ゴミを分別している。

  人の活動が盛んなターメルでは毎日多量のゴミがでるため、毎朝数地点でゴミの収集・分別が
行われています(写真1)。かつては、ビニールなどはなく、ゴミは生野菜などの生ゴミが主体で、牛が食べて、ゴミを片づけてくれていました。また牛の糞は大切な燃料ですので、乾かすために、各家の壁には糞が貼り付けられていました。1970年代までの公園都市的なカトマンズは人と牛との持続的な共生関係によって営まれてきましたが、牛が街中にいると車が入ってこれなくなるという理由で、牛を街から追い出してしまいました。そこで、人と牛との共生関係がなくなり、1980年代以降は、増大するビニールをともなう各種のゴミが、大気・水質汚染加えて、三大環境問題のひとつになっていきました。さらにつけ加えますと、その結果増えたのが、ゴミを食料にするカラスと自動車にひかれたびっこの牛でした。
 
   カトマンズの街を出る時通る中央郵便局前では、カトマンズのランドマーク・ビムセンタワー*を見て、カトマンズに別れを告げたものですが、去年の地震で根元から倒れたため、写真2中央の木の後ろに立っていたビムセンタワーの光景見ることはできません。
*2015年ネパール春調査(7)
2015年ネパール地震(2) ポカラ紀行
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/05/2015-2015.html

写真2 かつてビムセン・タワーが見えた中央郵便局前。

写真3 カトマンズ市内を流れるバグマティ川の支流。

  カトマンズ盆地を出ていく時は、いくつかの川を渡りますが、いずれもバグマティ川の支流ですが、かつては清流で、魚が住んでいました。残念なことに、いまではいずれもドブ川になってしまいました*。この川(写真3)はビシュヌマティです。
*Kathmandu University Lecture―Environmental Changes of the Nepal Himalaya―
1-3.  Activity of the international cooperation
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/1-3-activity-of-the-international-cooperation.html

  カトマンズ盆地の郊外では地震で破壊された建物の復旧作業が行われていました(写真4)。

写真4 壊れた建物の再建は始まったばかりだ。

写真5 カトマンズ盆地を越える峠から振り返るとカトマンズはスモッグに覆われていた。

  カトマンズ盆地の西側の峠に着いて、盆地の中心の東方向を眺めると、盆地全体がスモッグに覆われていることが分かります(写真5)*。 カトマンズは建設ラッシュで、そのための採石場8写真5の右下)がいたるところにできています。
* 2015年ネパール春調査(9)
2015ネパール地震(4)ヌワコット王宮へ
5)カトマンズの大気汚染
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/05/2015-2015_28.html

  また峠から、これから行くポカラ方面の西を見ても、トリスリ河沿いの谷はびっしりとスモッグに覆われていました(写真6)。これまで来た時は、いつもマナスル三山が眺められたのですが、その姿を見ることはできませんでした。

写真6 峠から西のトリスリ河流域もスモッグに覆われていた。

写真7 地滑り地帯が続く。

  峠からトリスリ河に下っていく道沿いには何か所も崖崩れ個所(写真7)があり、雨期になると、崖崩れの被害が大きくなることでしょう。 カトマンズ・ポカラ間のトリスリ河やマルシャンディ河はいずれも大きな川で、断層沿いに流れていますので、崖崩れ個所が多くなるのでしょう。

  また、森林地帯に新しく道路を切り開いたところでは、道路沿いに発生したがけ崩れが、道路下の森林地帯を覆っています(写真8)。その森林地帯は火災のために、林床が黒く焼かれています。ポカラへの道路沿いの森林地帯はおしなべて火災の影響を受けています。このような大規模な森林火災ですが、おもに林床の草や藪を焼くのが目的で、雨期後の草や木の実などの再生産を目的としているようですが、大規模な森林火災は大量の煙を発生しますので、スモッグの原因になっていることでしょう。

写真8 造成された道路沿いに斜面崩壊が発生し、山火事で黒く焼けた地面を覆う。

写真9 トリスリ・バザールへの分岐点で火炎樹が咲いていた。

  トリスリ・バザールへの分岐点で、昨年ヌワコットへの地震調査の帰路に見た火炎樹*が咲いていた(写真9)。
*2015年ネパール春調査(9)
2015ネパール地震(4)ヌワコット王宮へ
4)ヌワコットからカトマンズへ
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/05/2015-2015_28.html

  泥色のトリスリ河では、ラフティング(ゴムボート乗り)が行われていた(写真10)。

写真10 泥色のトリスリ河で行われるラフティング。

写真11 ムグリンでも火炎樹が咲き始めていた。

  昼食のバス会社のレストランのあるムグリン近くでも火炎樹が咲き始めていた(写真11)。

  ムグリン近くのロープウエイ観光地は、スモッグで展望が効かないのにもかかわらず、大勢の人を集めている(写真12)。

写真12 ムグリン近くのロープウエイ観光地は大勢の人を集めている。

写真13 グリンでトリスリ河(右)にマルシャンディ河(左)が合流する。

  カトマンズ・ポカラの中間点ムグリンで、(右方向から)泥色のトリスリ河に、(左方向から)氷河ミルク色をしたマルシャンディ河が合流する(写真13)。

  マナスルとアンナプルナ両峰を源にもつマルシャンディ河は、泥色のトリスリ河にくらべて氷河ミルク(Glacier Milk)色をしている(写真14)。

写真14 マルシャンディ河は氷河ミルク色をしている。

写真15 マルシャンディ河沿いのドゥムレでは地震災害を免れたスレート屋根の民家が見られた。

  石のスレートなどを使った屋根は重いので、地震の時に破壊されやすい*が、マルシャンディ河沿いのドゥムレ周辺では地震災害を免れたスレート屋根の民家が見られた(写真15)。
*2015年ネパール春調査(7)
2015年ネパール地震(2) ポカラ紀行
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/05/2015-2015.html

  カトマンズやバクタプールではレンガ工場の煙が大気汚染の主な原因となっているが、 ポカラ近くでも新しいレンガ工場ができて、黒煙をはき出している(写真16)。

写真16 ポカラに近づくと新しいレンガ工場が煙をはいていた。

写真17ポカラのセティ川沿いに発達するテラス地形。

  ポカラに近づくと、マチャプチャリから発するセティ川沿いに発達する飛行100m程の河岸段丘を見ることができる(写真17)。 実は、この写真17の手前には日本語を話す男女ペアーが写っていて、出発前に席をめぐるいざこざがありました。ぼくはすでにひと月も前に前列右の窓側の席を予約していたのですが、当日朝になってその後ろの席に移れと言われたのです。トリスリ・マルシャンディ両河川を右手に見てポカラに行くのですから、写真を取るためにはこの席は欠かせないので、前もって予約した席だから譲れないと主張したところ、例の男女ペアーは運転席に入ることになったようです。この二人がどんな手と使ってぼくの席に割り込みをかけたのかは分かりませんが、楽しいはずのポカラ行きにとって、残念な経験になりました。

  マチャプチャリ峰の東側に分布する湖成堆積物の粘土を溶かし込んだセティ川の支流がポカラに流れてきます。本流のセティ川は深い峡谷になっていますので、端からは川底が見えませんが、写真18のように、粘土を含み、灰色に濁っています。

写真18 マチャプチャリ峰からのセティ川支流は粘土質の灰色に濁る。

写真19 ポカラ・ゲート(門)。

   ポカラ・ゲート(門)を過ぎる(写真19)と、セティ川の本流を渡る橋を通り、街の中央部分のバスセンターに到着します。

  ポカラに到着して驚いたのは、そここで山火事が発生していました(写真20)。 これまで5月のポカラに来て、マチャプチャリやアンナプルナの峰々が見えなかったことなかったのですが、この山火事がカトマンズからポカラ間の大気汚染の有力な犯人で、その犯人はネパール人であることを示しています。

写真20 ポカラ周辺で発生中の山火事。

スモッグの原因
  昨年の同じ時期(地震直後)に行ったカトマンズ・ポカラ間の旅行報告の写真と較べる*と、昨年は 空が青く、マナスルなどの山々が望まれたのですが、今年は森林火災による厚いスモッグの連続で、ヒマラヤを眺めることはできませんでした。昨年春の地震直後につづいて、秋のインド国境閉鎖の影響で、人間活動が低下がきれいな空をとりもどした可能性も考えられます。
*2015年ネパール春調査(7)
2015年ネパール地震(2) ポカラ紀行
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/05/2015-2015.html

  ネパールのスモッグに関する報告「Why have our skies been so hazy?」*によると、野火、車、食事のストーブ、レンガや他の工場などの国内原因にくわえて、インド・ガンジス平原からくる国外原因をあげています。
*Why have our skies been so hazy?
http://myrepublica.com/feature-article/story/41601/why-have-our-skies-been-so-hazy.html?utm_content=bufferb5699&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
In recent years Nepal has been increasingly plagued by air pollution. We cough through the dry season while days with clear views of the Himalayas become rarer. Several obvious domestic sources contribute, including open fires, vehicles, cook stoves, brick kilns and other industries. But Nepal is also a significant importer of air pollution: Satellite images and computer simulations show pollutants emitted on the heavily populated Indo-Gangetic plains crossing into Nepal and climbing up our valleys and slopes from October until May.

写真21 国際山岳博物館展示 マチャプチャリ研究(1) 大気汚染と視程

  スモッグによる大気汚染問題についてはヒマラヤの見え方(視程)とも関係するので、国際山岳博物館の展示*でも行っており、雨期明けの10月は大気はきれいで、ヒマラヤが良く見えるが11月以降は山が見えにくくなることが分かっていました。
*国際山岳博物館展示
マチャプチャリ研究(1) 大気汚染と視程
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/06/blog-post_26.html

写真22 国際山岳博物館展示 マチャプチャリ研究(1) 大気汚染と視程 「Yes, we can.」

  2008年から2010年までの2年間の経験で、ネパールでゼネストが数日間続くと、空が澄み、ヒマラヤが見えることを体験しましたので、人間活動を抑えれば、かつての東京と同じように、きれいな空をもどし、富士山が見ることができるようにしたように、ネパールでもヒマラヤの空を取り戻すことができることを国際山岳博物館では訴えています。ヒマラヤはネパールの観光財産にもなっています。ヒマラヤが見えるように、大気をきれいにすることは、外国人観光客のみならず、ネパールの経済にとっても必要なことです。

  今回のカトマンズ・ポカラ間の観察によって、スモッグの原因としては森林火災が重要な原因になっていることが分かりましたので、ネパールのスモッグによる大気汚染問題はまず国内課題として取り組まねばならないことを示しています。森林火災の課題はネパールだけでなく、ブータンでも見られ、さらに大規模には東南アジアのインドネシアなど、またモンゴル・シベリア地域でも重要な環境問題*になっています。
* Kathmandu University Lecture―Environmental Changes of the Nepal Himalaya―
2-3. Environment Preservation
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/2-3environment-preservation.html

付録画像

  2016年5月8日、ポカラからカトマンズに戻る道路沿いで見られた山火事の跡の写真を添付します。





  さらに、2016年5月8日、ポカラからカトマンズのリング・ロードに戻り、そこで見た大気汚染の現状はすさまじいものであったので、あえて追加展示します。