2026年3月28日土曜日

瀬田川散歩の楽しみと“すわ鎌倉”

瀬田川散歩の楽しみとすわ鎌倉”

 

1)はじめに

瀬田川沿いの散歩(図1の左と中の点線)を早朝と夕方に行い、琵琶湖の水位・放流量の表示(写真1と資料1)とともに、瀬田川周辺の季節特有の環境変化(風物詩)をデジカメで記録している。これが、デジカメだからこそできるフィールドノート(資料2)で、日々の私のフィールドワークだ。

散歩する範囲は琵琶湖南部(図1左の印)。たとえ雨が降っていても、早朝のコースは①の自宅から琵琶湖の水位と放流量が毎朝6時に表示される京滋バイパスの橋下の②までを往復(図1中の点線)する。天気が良ければ午後は、自宅①から比良山地が望まれる③の瀬田の唐橋間(図1中の破線)を歩く。この散歩コースは近江八景のひとつ「瀬田の夕照」から「夕照の道」と呼ばれる。1日に歩く距離は4㎞ほど。20261月に散歩した歩数の日変化(図1右)から、1日に歩いた歩数の最大は9952歩、最少は2570歩、平均は5950歩であった。

  

図1 (左)散歩する範囲は印の琵琶湖南部;(中)早朝の散歩コースは①の自宅から②までを往復(点線)、午後は①から➂を往復(破線);(右)20261月の散歩した歩数の日変化

1982年から1995年まで琵琶湖の水資源の調査を琵琶湖研究所で私はしていたので、今でも琵琶湖の水位には関心を持っている。なにせ、琵琶湖の面積が日本一大きい(約670km²)ため、水位1cmに相当する水量は近畿の人たち1450万人の1日分の総水量に匹敵する貴重な水資源だからである(資料3と4)。太平洋側各地のダム湖が水位低下していた傾向とは逆に、11日から31日までの2ヵ月間、琵琶湖の水位は14㎝も上昇(写真1左と右)した。近畿の人たちに必要な水資源量の約半月分が貯えられたことになるのは、前回のブログ(資料1)で報告したように、琵琶湖集水域北部の積雪地域からの貴重な融雪水のお陰である。

  

写真1 琵琶湖の水位(左下)と放流量(右下)表示。2026年1月1日(左)、1月31日(中)と3月1日(右)の表示板

 

2)瀬田川散歩の楽しみ

比良山地の融雪が進み、雪線が稜線近くに登りつめる早春(写真2左)、唐橋の早咲きのサクラ(写真2中)に続き、かつて紫式部が源氏物語を構想したと伝えられている石山寺周辺のソメイヨシノ(写真2右)も咲き始めると、春めいた景色に、瀬田川沿いの散歩で心が高揚する。残雪の白、ピンクのサクラ、川と空の青の自然景観のもとでボートを漕ぐ若者(写真2左と右)の掛け声が心地よく響き、元気をいただく。瀬田川の春の風物詩は散歩を楽しくしてくれる。

    

写真2 (左)比良山地の残雪と唐橋周辺のボートとオオバン;(中)唐橋と早咲きザクラ:(右)石山寺周辺のソメイヨシノの開花とボートを漕ぐ人たち

石山寺の森のシイの木が芽吹き(写真3左)、森が笑い始める初夏。ボートを漕ぐ若者たち(写真2左右と写真3左)の掛け声で、散歩する我々をさらに元気づけてくれる。時によると、二重の虹(写真3中)や石山寺の森に沈まんとする夕日からの低角度の赤い光線が瀬田川の水面上の水蒸気中で屈折し、上空で見られる彩雲現象(写真3右)のような芸術的な風物詩に接し、満足する。

  

写真3 (左)シイ開花とボートを漕ぐ人達;(中)石山寺上空の虹;(右)瀬田川の彩雲現象

石山寺周辺の瀬田川沿いのモミジ並木(写真4左と中)と唐橋のサクラ(写真4右)が紅葉で一斉に色づく秋は、色彩のオンパレードだ。白い雲の秋空と瀬田川の青、モミジやサクラの紅葉で心が洗われるようだ。

  

写真4 (左)瀬田川のモミジ;(中)瀬田川のモミジと船;(右)サクラの紅葉と唐橋

近年は少なくなったとはいえ、冬には、瀬田の唐橋や石山寺周辺が積雪に見舞われる(写真5左と中)ことがある。わずか数㎝の積雪ではあるが、雪に慣れていない南国の人たちが運転する大津周辺の高速道路ではスリップ事故などの交通障害が発生する。瀬田川の雪の日には、「北越雪譜」の鈴木牧之さん(資料5)などの北国の人たちには申し訳ないが、自宅の庭の借景になっている石山寺の山門(写真5右)を見ながら雪見酒を嗜むことにしている。これも、瀬田川散歩の楽しみの余禄である。

    

写真5 (左)雪の唐橋;(中)石山寺周辺の雪景色;(右)雪の石山寺の山門

瀬田川の散歩道周辺の住宅地の都市河川からは、台所や洗濯時などの家庭排水による汚染物質が瀬田川を汚染(写真6左と中)している状況が実感できる。瀬田川(写真2から4)を見たドイツの友人は故郷のライン川の支流モーゼル川を思ったのであろうか、瀬田川で泳ぎたいと言ったのには驚かされた。おそらく、瀬田川が都市河川によって汚染されているのを知らないからであろう。瀬田川の汚染はめぐり巡って、瀬田川に棲む魚やその魚を捕まえているダイサギなどの鳥たち(写真6右)にも影響を与えていることであろう。そう言えば、瀬田川畔に私が住みだした1980年代当初は、冬の渡り鳥であるカモメや滋賀県の県鳥であるカイツブリが自宅周辺の瀬田川にたくさんいたが、今ではその鳥たちが瀬田川の風物詩から消えてしまったのは寂しい限りだ。

  

写真6 (左と中)都市河川による瀬田川の汚染状況と(右)石山寺周辺のえさ場のダイサギ(点線内と右下)とボート

 

3)“すわ鎌倉”

まずは、314日の水位表示「—30㎝」(写真7中)を見て驚かされたのである。放流量は毎秒27トンと前日の313日と変わらない(写真7左)のに、水位は前日の—37㎝から—30㎝へと、7㎝も上昇している。たった1日で、近畿地方の人たちの1週間分もの水資源が琵琶湖に溜まったことになる。11日の水位が—62㎝だった(写真1左)のに比べて、35㎝も上昇している。つまり、1月初めから2か月半で近畿地方の人たちの1ヵ月分以上の水資源が琵琶湖に貯えられたことを示すのだ。天気は良くて、集中豪雨などがないのに、水位は急上昇している。だから、驚いた。そこで一瞬頭に閃いたのは、融雪洪水が発生し、多量の融雪水が琵琶湖に流入し、急激な水位上昇を引き起こした可能性だった。それなら一大事、“すわ鎌倉”とばかりの心意気で、さっそく、朝食もそこそこに、大津の自宅から名神高速道路と北陸自動車道を乗り継いで、連日雪崩注意報が出ている琵琶湖北部の余呉町の積雪調査に向かった。

   

写真7 琵琶湖の水位と放流量表示。3月13日(左)、3月14日(中)と3月15日(右)

余呉町の中河内に通じる椿坂トンネルを越えると、2月に比べると積雪量は減少したとはいえ、依然として、未だに雪国の景観(写真8の①と②;図2右)だった。しかしながら、融雪洪水が発生していると予想した琵琶湖に注ぐ余呉町の高時川は前回調査の2月14日と同様に依然として清流(写真8のと④)だったのである。“すわ鎌倉”とばかりに駆けつけた当初の予想に反して、高時川には融雪洪水の濁流は発生していなかった。そこで、翌3月15日の琵琶湖水位の表示板(写真7右)を見ると、琵琶湖水位は39㎝で、313日から毎日1㎝の割合で減少していることを示した。つまり、314日の水位表示は—30㎝ではなく、—38㎝だったのであろうと解釈できた。驚かされるような琵琶湖水位の変化に対しては、ファクトチェックが必要だと気づかされたものである。

   

写真8 椿坂トンネルの積雪状況 24日と314日;高時川の流況 ③24日と314

余呉町中河内積雪情報(資料6)によると、中河内の314日の積雪(図2左)は、早朝の気温が2℃から日中の6℃になるにつれて、1~2㎝の降雪が間欠的に発生しているものの、積雪深は71㎝から62㎝へと9㎝減少している(図2左)。日中の気温上昇で融雪が進んでいることを示し、中河内の積雪は320日には33㎝となり(資料6)、滋賀県北部に長いことでていた雪崩注意報も消えた。冬の期間を通じて豪雪景観が見られていた中河内にも春が本格的に訪れ、残雪の川辺にはザゼンソウが芽吹き(図3左と資料4)が見られた。

 

図2 (左)中河内の314日の積雪情報(資料6);(右)上は24日、下は314日の中河内の積雪風景

 

4)むすび

古今東西、散歩の効用が説かれている。哲学者のアリストテレスや西田幾多郎は「哲学の道」などを歩きながら思索する教育法を唱え、江戸時代には「逍遥」や「そぞろ歩き」の表現で、季節の風景を楽しむ習慣があった。石山寺の森に接した幻住庵に住み、私の自宅近くの義仲寺に眠る元禄時代の松尾芭蕉は、東北地方を600里も歩いた道中で体験したことを俳句集にし、「奥の細道」を表した。それは、600里と言われるから約2400kmにも及ぶヒマラヤ山脈の長さにも匹敵する芭蕉のフィールドワークによる傑作と言えるのではなかろうか。芭蕉は瀬田の唐橋周辺もそぞろ歩き、「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」(長雨が降り続き、琵琶湖の景色もかすんで全てが隠れてしまいそうな中で、瀬田の唐橋だけは雨に隠れることなく、どっしりと架かっていることよ)の俳句を残し、その句碑が唐橋左岸の琵琶湖側(図3中)に建っている。

 私のフィールドワークである瀬田川の散歩では、2)章の「瀬田川散歩の楽しみ」で述べたような四季折々の河川環境の変遷が醸し出す風物詩が堪能できる中で、琵琶湖の水位と放流量という水資源の基本情報を知ることができるとともに、これまで書き留めてきた報告類のデータベース(資料7)やこれから書きたいと思っているブログの内容などを考えている。今回のブログでは、琵琶湖の水位が急激に上昇する情報に接し、すわ鎌倉とばかりに駆けつけた余呉町ではあったが、琵琶湖に注ぐ余呉町の高時川が依然と変わらぬ清流であることを実見し、融雪洪水が起こっていると予想した当初の判断は早とちりであったことを確認したのであるが、今回のように驚かされるような変化に接したときには、やはり、ファクトチェックが必要になるのであろう。しかし、琵琶湖水位の異常な上昇に驚かされたことに端を発した今回のフィールドワークではあったが、琵琶湖集水域北部の豪雪地帯の積雪環境を改めて実感することができたとともに、中河内の川辺の残雪に芽を吹きだしたばかりのザゼンソウ(図3左)を眺めて、心が癒されたことも、楽しい思い出になっている。

また、個人的な感想ではあるが、快適な散歩による心地よい疲れが晩酌の誘惑にかまけて、食欲の増進を促した結果、最近は腹が出てきたことも気がかりなことだが、これは贅沢な悩みで、自業自得といえようか。さて、もうひとつ気がかりのことがあった。それは、足が悪く杖をついて歩いていたお爺さんとは毎朝のように出会っていたが、その彼がどうした訳かしばらく現れなくなっていた状況が続いていたところ、そのお爺さんが久しぶりに現れて再会できた時には散歩同志の元気な姿に再び接し、望外の喜びを感じた出来事も散歩の楽しみのひとつに加えておきたい。

それでは最後に、瀬田川の散歩は現在も継続中だが、21日~320日の期間に散歩した歩数の日変化(図3右)から、最大値は8789歩、最小値は2025歩、そして平均値は5293歩であることを記し、今回のブログを閉じることにするが、1)章で述べた1月の散歩の状況に比べていずれの数値も1~2割ほど低下しているのは体力の衰えを示すのかどうか、と気がかりではある。ついては、体力の衰えをカバーするために、できる限り、さらなる散歩の楽しさを求めて精を出す必要があるであろう。

  

図3 (左)中河内のザゼンソウの芽吹き;(中)芭蕉の俳句「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」の唐橋の句碑;(右)202621日~320日に散歩した歩数の日変化

 

5)引用資料

資料1

琵琶湖の水資源への積雪の役割

https://glacierworld.net/regional-resarch/japan/biwalake/role-of-biwa-lake-water-resource/

資料2

琵琶湖水位考

https://glacierworld.net/regional-resarch/japan/biwalake/lake-biwa/

資料3

琵琶湖水位考(2)「写真データベース」

https://glacierworld.net/regional-resarch/japan/biwalake/biwa-lake-water-lebel2/

資料4

琵琶湖の雪どけ水

https://glacierworld.net/regional-resarch/japan/biwalake/melsting-snow-biwa-lake/

資料5

鈴木牧之(1835) 北越雪譜. 宮栄二・井上慶隆・高橋実校註、1975350pp.野島出版、三条.

資料6

余呉町中河内積雪情報(積雪がなくなったため現在は「404 Not Foundになっている)

https://www.shiga-douro.jp/weathers/snows/28

資料7

ぼくのデータベース「氷河の世界」

https://glacierworld.net/home/my-database/