2017年8月29日火曜日

2017年ネパール通信18  余話5 ヒマラヤ展望率



2017年ネパール通信18  余話5

ヒマラヤ展望率


 1)ヒマラヤ展望率

写真1  逆光の日の出に浮かび上がるガウリシャンカール峰(写真9の#045;2017/04/24 at 06:01撮影

カトマンズ大学の宿舎からヒマラヤ連峰のガウリシャンカール峰(7134m)が見える割合をヒマラヤ展望率と呼ぶ(*1)こととし、2017年の写真データベース2752枚(*2)の中で毎朝撮っていた写真112枚を選び(写真1、2、5-12)、2015年と2016年春の同時期のヒマラヤ展望率とを比較した。
(*1)ヒマラヤ展望率
2016年ネパール通信7  最終講義の報告
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2016/nepal2016_08final-from-ku/
(*2)2017Nepal
http://glacierworld.net/gallery/Nepal_B/2017Nepal/index.html

大学宿舎のベランダからは、晴れれば、北のランタン地域東部のジュガール・ヒマラヤから東のクンブ地域南部のヌンブール峰までが見渡せ、その中央部にガウリシャンカール峰が望まれるのである。日が昇ると、上昇気流でスモッグが舞い上がり、ヒマラヤが見にくくなるので、日の出直前に写真を撮り、2枚をつなぎ合わせて、パノラマ写真(写真5,6)を作成した。
 2015年の3月~5月の68日間でガウリシャンカールが見えた日は26日あったので、ヒマラヤ展望率は38%だったが、2016年の同時期の53日間で見えたのはわずかに4日間にすぎなかった。したがって、2016年のヒマラヤ展望率は8%と低かった。スモッグの影響を受けた2016年の大気汚染がいかにひどかったかを示している。このことは、ネパールにとって重要な観光資源であるヒマラヤを見ることができないことを示し、ネパールの将来の観光産業にとっても大きな課題になるであろう。

写真2 夕日に輝くガウリシャンカール峰(写真10の#073;2017/05/17 at 18;29撮影)

 写真3 ポカラの国際山岳博物館から見る中央のアンナプルナ連峰、右にマナスル峰、左にダウラギリ峰を望む。

ポカラの楽しみは、晴れた日の早朝、まず8000m峰のアンナプルナⅠとダウラギリが朝日でモルゲン・ロート(朝の赤)に染まり、ついで、アンナプルナⅡやマチャプチャリなどの山々にも日の出の光がとどく変化を見ることである(写真3)。これらの荘厳で勇壮な景観を見ていると、ネパールに来たことを実感する。だが、このような素晴らしい光景に恵まれる機会は実は少ない。2017年は4月30日にポカラに到着し、5月7日のカトマンズへ向かうまでの7日間でヒマラヤが見えたのは5月2日と5月5日の早朝のみであった。また、かつて国際山岳博物館に勤めていた2009年3月から1年間、毎週1回早朝のアンナプルナ連峰の展望の変化をまとめてみる*と、雲の少ない早朝でも、アンナプルナ連峰が一望に見渡せる日は1年のうちでも10週程度と非常に少ないことが分かった。とくに展望が良いのは、雨期明けの10月中旬や冬期の風の強い日に限られる。以上のように、ポカラにきてアンナプルナ連峰が見渡せる確率を展望率とすれば、2割程度なので、従ってマチャプチャリを眺めることができた人は幸運である、といえだろう。
Holly Mountain
http://glacierworld.net/regional-resarch/himalaya/machapuchare/machapuchare01/

 写真4 アンナプルナ連峰の中央に鎮座するマチャプチャリ峰、左に Ⅰ 峰、右に Ⅱ 峰を望む。

大気汚染が年々ひどくなるネパールは、視程(Visibility)が悪くなり*、カトマンズのようにヒマラヤが見えなくなることで、貴重な観光資源を失っていることを指摘しておく。ポカラで望まれるマチャプチャリ峰を中央にいだくアンナプルナ連峰はまさに神々の座にふさわしいヒマラヤそのもの(写真4)で、カトマンズの二の舞いになってほしくない、強く思う。
Visibility and Air Pollution
http://glacierworld.net/regional-resarch/himalaya/machapuchare/machapuchare02/

写真5  大学宿舎のベランダから望む日の出直前のヒマラヤ

2)2017年春のヒマラヤ展望率
 はたして、2017年の春のヒマラヤ展望率はどうだったか。 
 大学宿舎のベランダから望む日の出直前のガウリシャンカール峰周辺のヒマラヤのパノラマ的景観を写真5と6に示す。
 
写真6  大学宿舎のベランダから望む日の出直前のガウリシャンカール峰周辺のヒマラヤ

 写真7 ヒマラヤ展望率01(2017/03/15 at 06:37)-(2017/04/09 at 05:47)

 3月15日から4月9日の間(写真7)で、ガウリシャンカール峰を見ることができたのは4月8日と9日の朝焼け時の2日間(写真7の#015、019)だけで、4月13日と4月22日の間(写真8)では雲やスモッグでガウリシャンカール峰を見ることはできなかった。

 写真8 ヒマラヤ展望率02(2017/04/13 at 06:01)-(2017/04/22 at 06:21)

 写真9 ヒマラヤ展望率03(2017/04/23 at 05:49)-(2017/05/11 at 08:05)

  4月23日から5月11日の間(写真9)でガウリシャンカール 峰が見えたのは4月24日と4月26日の朝焼け時の2日間(写真9の#045、051)で、5月12日から19日の間(写真10)では5月17日の夕焼け時(写真10の#073)と5月18日の朝焼け時(写真10の#077)にガウリシャンカール峰を見ることができた。
 
 写真10 ヒマラヤ展望率04(2017/05/12 at 05;36)-(2017/05/19 at 05:24)

 写真11 ヒマラヤ展望率05(2017/05/19 at 05:25)-(2017/05/25 at 05:26)

 5月19日と5月25日の間(写真11)でガウリシャンカール峰が見えたのは、 5月23日の朝焼け時(写真11の#091)だけで、5月24日や25日(写真11の#095、096、099、100)の陽の出時に逆光の山がシルエットに浮かび上がったが、ガウリシャンカール峰を見ることはできなかった。5月26日から5月31日の間(写真12)では、モンスーンの雨期が近くなったため雲が多く、ガウリシャンカール峰などのヒマラヤを見ることはできなかった。

 写真12 ヒマラヤ展望率06(2017/05/26 at 05:20)-(2017/05/31 at 05:20)

3)まとめ
 2017年3月9日から6月5日までのネパール滞在89日間で、カトマンズ大学の滞在期間が50日であったが、その期間で大学宿舎のベランダからガウリシャンカール峰が見えたのはわずか7日間だけであった。ヒマラヤ展望率に換算すると、14%である。ガウリシャンカール峰の見えるチャンスは1週間で1日ほどであった。春の前半はスモッグで、後半になると雨期に近づくので雲が多くなり、ガウリシャンカール峰をはじめとしたヒマラヤを見ることはかなわないのである。
 ヒマラヤ展望率は、2015年の38%、2016年は8%でしたので、2017年の14%は去年に比べてはやや持ち直した、と言っていいものかどうか判断がつきかねている。しかしながら、1週間に1日しかガウリシャンカール峰などのヒマラヤを望むことができないということは、ネパールにとって重要な観光資源であるヒマラヤを見ることができないことを示し、ネパールの観光産業の将来にとって大きな影響をあたえるであろう。
 ヒマラヤ展望率を低くする要因は雲とスモッグである。モンスーンの雨期近くの雲の発生は自然現象であるが、スモッグは人為的なので、ネパール国内の森林火災や野焼き、車の排気ガスなどの対策の他に、外国起源の大気汚染物質対策としては、インドやバングラデシュなどと協議していく必要があるであろう*。
*カトマンズからポカラへ-スモッグの原因ー
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2016/nepal2016_07smog/
 

補足
2015年はアラビア海からの水蒸気がインド方面にしばしば侵入し、西部ヒマラヤから中部ヒマラヤのネパールまでが雨や雪にみまわれ、大気中の汚れを落とし、ヒマラヤ展望率が高かったが、2016年はインド・ヒマラヤ周辺の乾燥状態が続き、大気汚染のスモッグが滞っているため、このスモッグの層のなかにあるカトマンズ 盆地などからはヒマラヤが見えなかったのである(*)。だが、スモッグの上限高度3000m以上に登れば、ヒマラヤが見えることになる。ちょうど悪天時の太陽も、雲の上に出 れば見えるのと似ていようか。
(*)2016年ネパール通信2
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2016/nepal2016_02himalayan-earthquake-museun/
 ネパールでも春は作物を植える時期で、春先の雨は“マッカイ(とうもろこし)コ(の)パニ(あめ)”と言われ、歓迎されているが、去年は連日のように午後 の雷雨がつづき、地元の人々も困りはて、ヒマラヤの天気の異常さに気付き始めた時に、あの2015年ネパール地震が起こったのである*。里の雨は、山の雪で あるから、カトマンズ盆地の砂や粘土の湖成堆積物は水分を含み軟弱地盤化し、ランタン地域などのヒマラヤ山地は豪雪にみまわれていたところ、地震の揺れ で、カトマンズなどネパール中央部の建物は砂上の楼閣となり多くの人命を奪うことになったことにくわえ、ヒマラヤではランタン村やクンブ氷河のベースキャ ンプなどで雪崩が発生して大惨事を引き起こしたのである。
*2015年ネパール地震(1)
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2015/nepal2015_07earthquake/
 

2017年8月22日火曜日

2017年ネパール通信17 余話4 何を食べていたのか-ネパール効果-?



2017年ネパール通信17 余話4
何を食べていたのか-ネパール効果-

写真1  何を食べていたのか-ネパール効果? -(2017年春の食事;2017/03/09 -2017/06/05) 

1)はじめに
今年3月初旬からのカトマンズ大学の講義とランタン谷の調査やポカラの国際山岳博物館の展示更新などを終え、6月中旬の帰国早々、三菱京都病院の三木先生のところで血液検査をしたところ、これまで要注意が続き、しかもネパール出発に向かって高まっていた血糖と中性脂肪の値が、正常値の範囲内におさまっていた(写真2)のである*。これは嬉しい変化だが、はたして、どうしてそうなったのか。
*3)食生活と血液検査結果
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/topic01/

写真2  調査前の半年間と帰国後の血液検査結果

そこで、三木先生は「ネパール効果ですね」と言われたのである。はたして、ネパール効果とは何か。おそらく、ネパールでの食生活の要因が大きいと思われるので、それを仮説として、2017年の2752枚の写真データベース*の中から食事関係の318画像を選び出し、具体的な食生活をふりかえって、「ネパール効果」と関係すると思われる「何を食べていたのか」を明らかにしたので、報告する。
2017Nepal
http://glacierworld.net/gallery/Nepal_B/2017Nepal/index.html
補足
 食事関係の写真が318枚(1日平均3.6枚)もあるのは、デジカメだからで、昔のようなスライド写真の時代には、もったいなくて写真枚数は制限し、フィールド・ノートにできるだけ記載したのであるが、現在のデジカメ時代にはフィールド・ノート代わりに写真を撮っている感がある。つまり、現代のデジカメ写真はフィールド・ノートの一環なのである。そこで、できるだけ、前述のような写真データ・ベースとして整備し、誰もが利用できるようにしたいと考えている。

写真3  カトマンズ大学食堂の典型的なネパール料理(ダルバート)

2)何を食べていたのか
   カンティーンと呼ばれているカトマンズ大学食堂の典型的なネパール料理(写真3)は、ネパール語のダルバートで、ダルは小豆スープ、バートはご飯のことである。バイキング形式なので各自が(1小豆スープと2インド米のような細長いご飯、3野沢菜のような葉物野菜の煮付け、4大豆スープ、5キューリ、6ニンジン、7漬物、8そば粉の薄揚げ物)を食器に取り入れるが、かなりの人が山盛りのご飯を食べている。最近のネパール人男女にはお腹の出た人が多いのもうなずける。2017年春の89日間写真データの中には食事に関する画像(写真4のNo.1-10)が318枚あるので、それらをふりかえりながら、「何を食べていたのか」と「ネパール効果」との関係を考えた。

 写真4  写真データ( 2017年春の食事;写真番号と期間)

写真5  2017年春の食事No.1  #001-032 (2017/03/09 at 17:39)-(2017/03/19 at 18:03)

2-1)2017年春の食事(2017/03/09-2017/04/01)
  大学で取るダルバートは食事量としては多いので、昼食か夜食の1日1回にしていた(写真5の#019、写真6の#034,035,042)。バイキング形式の食堂風景が写真5の#030-032、写真6の#033に示されている。大学のゲストハウスは電力のみが使用できたので、電気コンロで料理を自炊し(写真5の#010-012、020-027)、朝はスープや味噌汁にビスケット(写真5の#008、014、020、写真6の#037、040、043、047、050)が多く、大学食堂で食事を取らない日の昼食や夜食はネパール製か韓国製のインスタント・ラーメン(写真5の#007、009、015、017、028および写真6の#038、048)を食べていた。ネパールは野菜がふんだんにあるので、大学周辺の野菜屋でトマトやナス、ニンジン、オクラなど(写真5の#023、024)を買い料理するとともに、ビタミンCが豊富そうな小粒のネパール産レモン(カーガティ;写真5の#022)とともに、年中あるバナナ(写真5の#028、029、写真6の#036-041)と3月にはまだ出回っていたミカン(写真5の#029、写真6の#036、037)をよく食べた。また、カトマンズの街では、繁華街ターメルのホテル近くのレストランか旧友のハクパ・ギャルブさんの自宅で食事を取る時は、大学のベジタリアン・断酒生活とは違って、ビールやチャン(獨酒)を飲みながら肉料理を食べた(写真5の#001-006、写真6の#052、053)。さらに、3月下旬から4月初めはカトマンズを離れ、ランタン谷の調査を行ったので、旅行中のアルコールなしの現地食になった(写真6の#054-064)。

写真6  2017年春の食事No.2  #033-064 (2017/03/19 at 18:03)-(2017/04/01 at 07:35)
 
写真7  2017年春の食事No.3  #065-096 (2017/04/01 at 07:35)-(2017/04/12 at 18:44)

2-2)2017年春の食事 (2017/04/01-2017/04/17)
 写真7の#065-075はランタン谷の調査中の現地食であるが、特筆すべきは、現地の灌木の実でつくったしぼりたてジュース(キュルプ;写真7の#069、071)と旅行初日(写真6の#054-056)と最終日(写真7の074、075)のブッダ・ゲスト・ハウスで食べたダルバートとパンケーキは絶品だった。旅行後はカトマンズに2泊し、日本食レストラン桃太郎でビールを飲みながらお決まりのカツ丼(写真7の078、079)をむさぼり食べた。大学に戻ってからは、いつも通りの食堂のダルバート(写真7の#081、082、084、089、095、096と写真8の098、110、120)を1日1回食べたほかは自炊で朝はスープか味噌汁にビスケット(写真7の#085-088と写真8の097、100-108、122-123、125)、昼食か夕食はインスタントラーメン(写真7の#080と写真8の#121、124、126)の定番の食生活を送った。朝食の味噌汁の味噌(写真8の#103-105)日本食レストラン桃太郎で手に入れた。ネパール製の味噌は、日本人にはイマイチだが、我慢するしかなかった。また、コーヒー(写真8の#128)であるが、来る時にお世話になった昆明の雲南緑華食品有限公司の宮本哲也さんからいただいたもので、大事に飲んで、時折香りを楽しんだ。カトマンズ大学のキャンパスには桑の木が何本かあり、春には実がなるので、学生たちや周辺の子供たちが木に登り、桑の実(写真8の#111-118)の味を楽しんでいるのだった。この期間はパパイア(写真7の#094と写真8の#103、122、123、127)のほかにマンゴーやブドウなどの果物も自炊の食卓を楽しませてくれた。

写真8  2017年春の食事No.4  #097-128 (2017/04/13 at 06:27)-(2017/04/17 at 15:13)

写真9  2017年春の食事No.5  #129-160 (2017/04/17 at 15:14)-(2017/04/28 at 07:21)

2-3)2017年春の食事(2017/04/17-2017/05/12)
  カトマンズ大学には韓国や欧米の長期滞在の研究者もいるのだが、彼らは食堂のダルバートは口にあわないようで、食堂のゲスト・テーブルに座るのはぼくとネパール人教官ぐらいであった。日本人にとっては、ダルバートは違和感がなかったが、ネパール人のようにご飯の食べ過ぎだけには注意した(写真9の#130、131、134、135、139、142、145、149、150、153)。写真9の1日1回の食堂のダルバート以外の朝食のビスケットと、昼食か夕食のインスタント・ラーメンの時はできるだけ果物(ブドウやマンゴー 、ミカンやバナナ)を取っていることが、写真9の#132、133、136-138、141、143、144、146-148、151、152、154-160にも現れている。
  4月30日から5月7日はポカラに行き、国際山岳博物館で展示更新を行ったので、 その前後はカトマンズに滞在した。ポカラ出発前のカトマンズでは、氷河調査に来ていた名古屋大学の学生、大田さんと行きつけの桃太郎で例のカツ丼(写真10の#163-167) を、またポカラでは長年世話になっているドラゴン・ホテルなどでダルバートやビール付き焼き鳥などを(写真10の#168-179)を食べた。長旅ではあったが、腹具合は快調で、食欲は旺盛であった。ポカラからカトマンズに戻って、ランタン村の雪崩災害の復旧活動に尽力されている貞兼綾子さんたちと、1970年代から付き合いのあるウツセ・ホテルでチベット料理、ギャーコックを楽しみ(写真100の#180-183)、そして5月9日から、カトマンズ大学の食生活に再び戻った(写真10の#184-192)のである。

写真10  2017年春の食事No.6  #161-192 (2017/04/28 at 10:59)-(2017/05/12 at 14;16)

写真11  2017年春の食事No.7  #193-222 (2017/05/12 at 17;57)-(2017/05/20 at 07:33)

2-4)2017年春の食事 (2017/05/12-2017/05/25)
  5月中旬から講義最終日の5月末まではカトマンズの街に出ることなく大学でのベジタリアン生活が続き、食堂での毎日1回のダルバート(写真11の#193、199、204、206、211、215、218、219と写真12の#228、231、232、239、240)を食べていたが、この期間は果物が豊富で、パパイア(写真11の#194、195、210と写真12の#247-250)、ザクロ(写真11の#202、203、221、222と写真12の#237、238)、マンゴー(写真11の#212と写真12の#242、243)、バナナ(写真11の#205、208、213、216と写真12の#233、241、253)、ライチ(写真12の#253、254)のほかにもブドウ(写真11の#194、196、198-201、206、209、213、214、216、217と写真12の#234、241、244、245)を贅沢にもたくさん食べていた。また、大学近くのバネパの町にはズズー・トゥー(ラジャー・ダヒ;王様のヨーグルトの意味)と呼ばれる素焼きの壺に入った美味しいヨーグルト(写真12の#223-227、251-253;#252には王様のヨーグルト店の主人が写っている)があり、バナナやザクロなどの果物と一緒に朝食のビスケットや昼食などのデザートとして楽しんだ。

 写真12  2017年春の食事No.8  #223-254 (2017/05/20 at 13:05)-(2017/05/25 at 18:04)
 
写真13  2017年春の食事No.9  #255-286 (2017/05/25 at 18:58)-(2017/05/29 at 08:27)

2-5)2017年春の食事(2017/05/25-2017/06/05)
  カトマンズ大学の最終期間に当たる5月末(写真14の#296)までは、定番のダルバート(写真13の#255、256、264-266、270、271と写真14の#295、296)をとるとともに、ゲスト・ハウスの自炊時には、果物として、バナナに王様のヨーグルトを(写真13の#257-262、268、272、273、276-279)まぶしたり、ふんだんにあるマンゴー(写真13の#259-263、277、278と写真14の#287、288、291、292)に出はじめたライチ(写真13の#284-286と写真14の#289、290)を、残しておいた最後のコーヒーの香りとともに楽しんだ。
  5月31日に大学からカトマンズに移った夜は、長年ネパールで観光業やホテル経営をしてきている宮原巍さん宅の夕食会があり、美味しい和食料理に加えて、大学からカトマンズに来る途中にかってきたバクタプールの別の王様ヨーグルトのデザート(写真14の#297-299)も美味しくいただいた。6月6日のカトマンズ出発までは、1970年代の氷河調査時代から世話になっているハクパ・ギャルブさんの邸宅で晩酌付きの食事(写真14の#300-303、306-309、311-317)とともに、カトマンズに滞在し長年観光業を営んでいる大河原夫妻のレストラン、ラム・ドゥードルで(写真14の#310)ご馳走をしていただいた。そしてネパール最後の夕食は、カトマンズの和食店桃太郎で、写真データベースを整備してもらっている干場さんにパソコンの点検をお願いしながら、いつものように二人でカツ丼を食べ(写真14の#318)、帰国後の再会*までの、お互いの旅の安寧を祈念したのであった。 
*2017年ネパール通信15 余話2
ネパール写真の整備と公開
http://glacierworld.net/2017/08/11/add-topic2-2017/


 写真14  2017年春の食事No.10 #287-318 (2017/05/29 at 13:29)-(2017/06/05 at 18:22)

 3)まとめ
 幸いなことに、久しぶりの氷河調査を行ったランタン谷の踏査中は体の調子は快調で、とどこおりなく現地調査を終了することができた。その第1の要因は、「心臓を手術していただき、4163mまで登ることができるように回復してくださった三菱京都病院名誉院長の三木真司先生」*で、先生には重ねて感謝するとともに、第2の要因としては、「まとめ」として以下に述べるような「何を食べていたのか-ネパール効果-」などが影響しているのではなかろうか。
*2017年ネパール通信4
「ランタン村周辺調査の予察的速報」
http://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/2017-4/
  さて、今回の「2017年ネパール通信17 余話4  何を食べていたのか-ネパール効果?-」のまとめであるが、2017年3月9日から6月5日までのネパール滞在89日間で、カトマンズ大学の滞在期間が50日、また大学生活同様に酒をひかえていたランタン谷の調査期間が11日なので、ダルバート中心のベジタリアン的なアルコールなしの食生活の期間が合計61日になり、全体の69%をも占めている影響が、冒頭の「1)はじめに」で述べた血液検査の結果、血糖値や中性脂肪値の低下となって現れたと考えても不思議はない、であろう。ただし、カトマンズ20日間とポカラ8日間の合計28日(全体の31%)の期間には晩酌と肉料理などの日本的な食生活であったが、幸い、全体的な割合が少なかったために、ベジタリアン的食生活で現れた血液検査の良好な結果を打ち消すような要素にはならなかったようだ。カトマンズ大学の50日間には毎日のようにバナナやブドウ、パパイア、マンゴー、ザクロ、ライチ、そしてビタミンCの多そうなネパールのレモンの果物にくわえて、滞在期間後半には王様のヨーグルトを果物にまぶして食べたのも体調管理・維持に役立ち、「ネパール効果」となって現れた、と解釈している。以上のような食生活と直接関係する「ネパール効果」にくわえて、さらに、4000mを超える高所まで体を使ったランタン谷の調査活動やカトマンズ大学では昇り降りのある丘の上の快適なキャンパス環境があり、ストレスの少ない学園生活を送ることができたことも、肉体的・精神的な方面からの影響として、総合的な体質改善効果に結びつき、結果として、血液環境の改善に結びついたものと思われるのだが、はたしてどうだろうか。
   だが、しかし、である。この日本にいると、ついつい不健康な食生活になりがちなので、できるだけ「ネパール効果」が持続するように、せっかく獲得した良好な血液環境を何とか保っていきたいものだ。