2016年11月29日火曜日

2016年ネパール通信13 ネパール地質会議が始まるとともに、東ネパールで地震発生

2016年ネパール通信13

ネパール地質会議が始まるとともに、東ネパールで地震発生

写真1  ネパール地質会議の開会式場


2016年11月27日にネパール地質会議が始まり「ヒマラヤ地震博物館」*の構想を発表しました。
すると、翌28日午前5時20分にマグニチュード5.6の地震が東ネパールで発生し、アマダブラム
登山中のシェルパの人が落石で亡くなるとともに、ルクラでは2軒の家が地滑りで破壊された、
とのことです。(http://www.myrepublica.com/news/10000)
*ヒマラヤ地震博物館(Himalayan Earthquake Museum)
http://glacierworld.net/regional-resarch/himalaya/himalayan-other/himalayan-other09/


写真2 「ヒマラヤ地震博物館」の発表スライド例

「ヒマラヤ地震博物館」の発表時には、故西堀栄三郎さんの足跡を調査に来た「探検の殿堂」
の角川咲江さん一行も来てくださり、カトマンズ郊外のカカニの丘で西堀さんの石碑を見つけてきた、とのことでした。


写真3 ネパール地質会議に参加してくれた「探検の殿堂」の角川咲江さんたち

ネパール地質会議の開会式では、酒井治孝さんの長年の貢献をたたえて、名誉会員の表彰式が
ありました。酒井さんは1ヶ月ほどのフィールド調査を終えて会議に駆けつけ、翌日には帰国
するという忙しいスケジュールとのことでした。


写真4 酒井治孝さんの名誉会員表彰式

本日29日の午前中の会議に参加し、午後の便でクアランプールにでて、明日30日に帰国します
ので、とりあえず、ネパール地質会議と地震発生のことをお伝えしました。今回の旅の詳しい
内容は帰国後、改めて報告いたします。

                          (11月29日早朝 ハクパ・ギャルブさんの家にて記す)

2016年11月23日水曜日

2016年ネパール通信12 カトマンズに戻りました


2016年ネパール通信12

カトマンズに戻りました

 

(1)ネパールの空から(11月22日)

11月22日午後2時、カトマンズに戻りました。今日は天気に恵まれ、ヒマラヤがよく見えました(写真1)。

 写真1 飛行機から眺めた東ネパール・クンブ地域周辺のヒマラヤのジャイアンツ。

   東ネパールのクンブ地域の世界最高峰周辺の山々を眺めながら、1970年代に長期滞在しながら氷河調査をしたことを思い出しました。
   写真は、世界最高のチョモランマ(エベレスト)周辺のヒマラヤの8000m峰です。チョモランマの東のローツェ峰からは雪煙が舞い、風の強いことを示しています。
 ネパールの空からは、ヒマラヤの氷河が著しく融解していることは分かりませんが、飛行機から眺める世界一の山々のつながりが、第3の極地としてのヒマラヤがもっている自然の厳しさを充分に感じることができました。

(2)カトマンズにて

1) カトマンズに到着して(11月22日)

 カトマンズの街は相変わらずの交通渋滞・大気汚染(写真2)で住民の健康被害が心配されます。

写真2 リングロードの交差点で

 空港近くのリングロード沿いの大気汚染のなかで、ヒマラヤ桜が咲いていました(写真3)が、写真下の三人乗りのバイクに載っている子供も大人も苦しそうな顔つきをしていました。11月のヒマラヤ桜は、ポストモンスーンの快晴の中で、白銀のヒマラヤ山脈を背景にすると、このうえなく映えるのですが。

写真3 空港近くに咲くリングロード沿いのヒマラヤ桜。

 カトマンズでは、1970年代からの友人であるハクパ・ギャルブさんの新築家庭にご厄介になることになりました。夕食は、ヒエを発行させたトンパとよばれる熱燗で体をあたため、ギョウザのご馳走でした。

写真4 ハクパ家の食卓にて。 

2)復興局やトリブバン大学めぐりなど(11月23日)

 昨年からお世話になっている地震災害復興局のビシュマ・ブッサルさん(写真5)に会いにネパール政府官庁街のシンガダルバールに行くと警戒態勢が厳しく、パスポートの検査をされるほどでした。

写真5 地震災害復興局のビシュマ・ブッサルさん

 ブッサルさんからは、ヒマラヤ地震博物館に関係するネパール・テレコム(通信会社)が計画している地下博物館や倒壊したダラ・ハラ(ビムセン)塔の保存に対する考え方などについて話を聞くことができました。

 次に、 ヒマラヤ地震博物館の発表するように勧めてくれたタラ・バッタライ教授(写真6)に会うために、トリブバン大学トリチャンドラ分校の地質学教室に向かうため、タクシーに乗ったのですが、交通渋滞で車が動かないので、炎天下を1時間ほど歩きました。

写真6 地質学教室のバッタライさんとネパール地質会議の関係者

 バッタライ 教授の部屋にはネパール地質会議の関係者が集まって、会議のプログラムの話をヅルとのことでした。会議開催4日前でもプログラムができていないとは、たいした”のんびりムード”だな、と思いました。

写真7 地震で破壊された建物のまえをひっきりなしに車が通る。

   地震で破壊された建物の復旧が進まない通りをひっきりなしに車が通っています(写真7)。カトマンズの交通渋滞は悪くなる一方で、歩くほうが速いくらいです。インドの国境閉鎖がとけて、石油が入りますので、1リットル97ルピー(約100円)ですが、車利用が増大してます。従って、大気汚染がすすみ、カトマンズからはヒマラヤが見えないので、上空からヒマラヤを見るためのマウンテンフライトが盛況するのでしょう。


写真8 カトマンズの旧王宮の復旧状況

  カトマンズの旧王宮の復旧状況(写真8)を見るためにダルバール広場に行きますと、地震直後の重機はなくなっていますが、復旧のための足場は組まれていますが、歴史的遺産の建物そのものにはあまり手がつけられていないように感じました。

写真9 ダルバール広場の破壊された寺院の上を飛ぶハトの群れ

 ダルバール広場の破壊された寺院の上を飛ぶハトの群れ(写真9)が、歴史的建造物の将来への希望を示しているように感じられました。

写真10 人でいっぱいの電池式乗り合いタクシ

街からハクパさんの家がある郊外までは排気を出さない電池式乗り合いタクシーを利用しましたが、外の道路も車でいっぱい、中も人でいっぱいでした(写真10)。ちなみに、運賃は20ルピーですの、タクシー代金の20分の1ほどです。

写真11 ポインセチアの赤とアサガオの紫の花

 カトマンズでは、寒い季節とは言えいろいろの花が咲いています。ネパール政府のあるシンガダルバールの官庁街には、数メールもの高さのあるポインセチアの赤とアサガオの紫の花が日中の日差しに輝いていました(写真11)。

3)カトマンズ大学再訪など(11月24日)
 2017年3月から6月までの講義「」の準備のために、早朝の大学のバスに乗り、カトマンズ大学を再訪しました。
写真12 カトマンズの交通渋滞

 カトマンズの街の中はどこでも交通渋滞(写真12)です。歩いたほうが速いくらいですので、やがて、車は役に立たなくなるかも知れません。

写真13 カトマンズ・バクタプール間の大気汚染

 ネパールの大気汚染(写真13)の国内原因は、まず第1に自動車の排気ですが、それに、カトマンズ盆地のレンガ工場や野火・森林火災などの煙に加え、インドやバングラデッシュから大気循環で越境してくる汚染物質です。大気汚染は年々ひどくなっており、あたかも高度成長期の日本の川崎や四日市で公害を発生させた状況なのではないか、と危惧しています。

 写真14 地震で壊れたままのカトマンズ・バクタプール間のハイウエイの歩道橋

 2015年ネパール地震発生から1年半ほどになりますが、 カトマンズ・バクタプール間の地震で壊れたハイウエイの歩道橋はそのまま(写真14)で、地震災害の復旧が進まない状況の象徴のような感じです。

 写真15 バクタプールのレンガ工場

 バクタプールにもたくさんのレンガ工場(写真15)があり、大気汚染の原因になっています。 ネパールの建築では大量のレンガを使いますので、レンガ工場は必要悪になっています。赤いレンガの壁が悪霊の侵入を防ぐから、だそうですが、脱煙装置の開発が待たれます。

写真16 サンガ峠から眺めたカトマンズ盆地の大気汚染

 カトマンズ盆地の東端のサンガ峠から振り返ると、盆地全体が大気汚染で埋め尽くされているのが一目瞭然です(写真16)。このように汚染された大気の中で人々が生活していることを考えると恐ろしい感じがします。

 写真17 自動車の著しい排気

 整備の悪い車多いので、白煙をもうもうと出し続ける車(写真17)をよく見ます。ネパールの車検制度にはまだまだ課題が多いことを示しています。

写真18 カトマンズ大学のあるバネパ周辺に流れ込むカトマンズ盆地(写真中央奥)の大気汚染

 カトマンズ大学のキャンパスからカトマンズ盆地を眺める(写真18)と、写真中央奥のカトマンズ盆地を埋め尽くす大気汚染がカトマンズ大学のあるバネパ周辺に流れ込んでくる様子が分かります。

写真19 カトマンズ大学構内の満開のヒマラヤ桜

 カトマンズ大学は丘の上にありますので、峠の風が吹いて、比較的空気はきれいです。大学のヒマラヤ桜が満開でした(写真19)ので、学生たちに桜のネパール語を聞いたら、チェリー・ブロッサムの英語は知っていましたが、ネパール語は知らない、とのことでした。

写真20 カトマンズ大学のリジャンさん(中央)と研究スタッフ

 リジャン・カヤスタさん(中央)の研究室のスタッフ(写真20)です。研究室の助手はラケッシュ・カヤスタさん(右)とテンジン・シェルパさん(左)の二人です。これまでいた二人の助手はノルウエイと日本にドクターの研究で留学中で、研究室は若返っています。   

写真21 リジャン教室の学生たちの部屋で

  研究室には15名ほどの修士課程の学生たち(写真21)がいて、ヒマラヤ山脈の氷河地域の現地調査を行っています。インドやパキスタンからの留学生もいますので、リジャンさんの研究室はヒマラヤの氷河研究のセンターのひとつになっています。 

写真22 パタン・ラリトプールの印刷所で見本の「雪氷」を手にするナタヤン・ポーデルさん(左)

  カトマンズ大学からの帰りにパタンの印刷所(写真22)に行き、樋口敬二先生の卒寿記念文集の印刷情報を収集しました。日本雪氷学会の雑誌「雪氷」を見本にして、全ページカラーのため上質紙使用、例えばB5版130ページ、100部印刷で、税金込の値段が14万円程度ですので、日本への輸送代を考えてもかなり安く本ができることが分かりました。

今後の予定
 11月27日から29日までカトマンズで開かれるネパール地質会議で「ヒマラヤ地震博物館」*を発表します。
*ヒマラヤ地震博物館(Himalayan Earthquake Museum)
http://glacierworld.net/regional-resarch/himalaya/himalayan-other/himalayan-other09/