2016年ネパール通信8
お世話になった方々
はじめに
ネパールに来てヒマラヤが見えないほど残念なことはありません。そこで、ヒマラヤが見える割合を「ヒマラヤ展望率」(*)と呼んでいますが、昨春の38%に対して、今春はわずか8%にしか過ぎないという前の報告以来、依然としてヒマラヤは見えません。したがって、今春のヒマラヤ展望率はさらに悪化?し、6%になってしまいました。これでは、雲の上に出てヒマラヤを見るマウンテン・フライトしかないのではないでしょうか。雲上のヒマラヤは確かに登山家にとっては迫力があるので捨てがたいのですが、やはり、点在する村々を前景に地上から仰ぎ見るような神々の座のほうがたおやかで人々の生活とのつながりが感じられて魅力的だ、と個人的には思うのですが。最近は午後の雷雨が多くなり、翌朝の快晴、ヒマラヤ展望を期待させるのですが、翌日はまた雲が押しよせ、神々の座を拝むことは依然としてかないません。6月初めの雨期入りまでもうすぐです。5月29日はエベレスト・デイで、1963年に世界最高峰チョモランマが始めて登られた日ですので、パレードが行われましたが、残念ながら大雨に降られました。ヒマラヤが見えない残念さはまだまだ続きそうで、心はなかなか晴れません。
(*)2016年ネパール通信7 最終講義の報告ヒマラヤ展望率
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/05/20167.html
さて、「カトマンズの第1印象は、黒、だった」ことはお伝えしました(*)が、依然として遅々として進まない地震災害の復興状況を見ていますと、黒の第1印象は、ヒマラヤ展望率同様、なかなか好転しません。ただ、今春のカトマンズ大学の講義期間中にたくさんの方々にお目にかかり、お世話になるなかで、元気をいただき、心が晴れてくるのを感じました。ご承知のように、ネパールは日本の半分に満たない比較的小さな国ですが、自然にしても民族にしても実に多様です。標高100mほどの南部の熱帯から8000m以上の北部の極地までさまざまな自然があり、そこに100を超えるといわれる少数民族が東西南北に分布ししているのがネパールの魅力です。その多様さに関連して、お世話になった方々がさまざまな仕事をされていますので、いろいろと教えられました。今回は山の調査がありませんでしたので、どちらかというと、町でお会いした方々にお世話になりました。
(*)2016年ネパール通信1
カトマンズの第1印象は、黒、だった。
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/03/blog-post_1.html
写真1 ハクパ・シェルパさん
彼はネパールのもっとも古い友人の一人です。1970年のエベレストスキー隊の後、ギャジョ氷河の調査をしている時に、クムジュン村のヒラリー学校からクンデ村に帰る彼に会ったことがあります。右上の写真がその時のもので、右から2人目の彼はクンデ村の友人たちの番長役をしていました。やがて彼は、彼の義兄であるペンバ・ツェリンさん(*1)の後を継いで、私たちがディンボチェ村の近くに作ったハージュン氷河観測基地の維持・管理や観測をしてくれました(*2)。今では、日本の建設会社のカトマンズ支社長としてネパールはもとよりブータンなどでも仕事をしています。最近では、地震で壊れた学校建設のJICAの仕事もしており、訪ねてきたユニセフ親善大使の黒柳徹子さんと話したことを誇らしげに話してくれました。
(*1)追悼 井上治郎さん 追記 2011年春調査最後の出来事-ペンパ・ツェリンさんの奥さんの訃報-
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/09/blog-post_26.html
(*2)国際交流 ネパール氷河調査隊ハージュン基地建設
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html
小川真以さん
写真2 小川真以さん
彼女は2008年から2010年まで2年間、JICAのボランティア―としてカトマンズ近くのキルティプール市役所で村落開発普及員の仕事をしましたが、彼女はその後もNGO活動の一環として、ネパールの母子保健事業の仕事を続けています。同期生の中ではネパール語がもっとも上達しているのは、いかに彼女がネパール社会に深く入り込んでいるかを示しています。彼女からは、来るたびごとに、現地の生きた情報を教えていただいています。この6月に現在の仕事を終えた後、イギリスに留学し、彼女のこれまでの実践活動を生かした母子保健に関する研究を進めるのだそうです。この写真は、いつもの日本レストラン、桃太郎で夕食をともにした後、ターメルの繁華街からタクシーで帰る彼女を見送った時に撮りました。
写真3 ケシャブ・シュレスタさん(左)とラメッシュ・シュレスタさん(右)
ソエンブナート寺院の近くにあるトリブバン大学付属の自然史博物館の前館長が写真左のケシャブ・シュレスタさん(*)で、現館長がラメッシュ・シュレスタさん(写真右)です。ケシャブ・シュレスタさんは京都大学で学位を取りましたので、日本語が上手で、セニードという自然保護活動の中心人物。博物館に作っていた自然公園は地震の影響をあまり受けず、ほぼ完成したとのことです。訪れた時は、博物館建物の修復・拡張事業のため休館中で、しかもネパールの休日の土曜日にもかかわらず、快く見学させていただきました。1000万年ほど前の人類、ラマピテクス(Ramapithecus sivalensis)の化石は自然史博物館のお宝で、普段はレプリカの展示ですが、今回は実物も拝見させていただきました。それが右下の写真で、歯の化石の長さは1.5cmほどでした。
(*)2015年ネパール春調査(8) 2015ネパール地震(3) ポカラからカトマンズにもどりて
スワヤンブナート寺院と自然史博物館
吉田勝さん
写真4 吉田勝さん
JICAの専門家としてトリブバン大学の地質教室で教えたことがあるゴンドワナ地質環境研究所(会長)の吉田さんは、任務終了後も地質教室とのつながりを生かした学生の巡検旅行を企画しています。この学生巡見では、ほぼネパール中央部のカリガンダキ川沿いに、南部のシワリーク山脈から北部のヒマラヤ山脈までを現地調査するとのことです。今年の第5回目の旅行を始めるにあたって、巡検について解説するセミナーがありましたので、カトマンズ大学で行っている講義のテーマである「Environmental Changes of the Nepal Himalaya」*を報告しました。
*KU Lecture 2015 & 2016
Environmental Changes of the Nepal Himalaya
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
*KU Lecture 2015 & 2016
Environmental Changes of the Nepal Himalaya
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
山口淳一さん
写真5 山口淳一さん(左)とハクパ・シェルパさん(右)
彼は北海道大学山岳部の先輩で、農学部の一行とともにカトマンズ盆地のサクー村の農業調査を行うために来ていました。サクーは去年の地震直後に調査しました(*)が、歴史的な文化遺産をはじめ、多くの家屋が著しく破壊されていたのが印象的でした。サクー村で落ち合いますと、元気そうなハジマキ姿の彼が現れ、復興が遅々として進んでいない村を案内していただきました。写真は、その後、ハクパ・ギャルブさんの会社が建設したサクー村の発電所を見学した時のものです。
(*)2015年ネパール春調査(13) 2015ネパール地震(5) サクーで考えた。
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/06/2015-2015.html
古川宇一さん
写真6 古川宇一さん
彼は北海道大学山岳部の同期で、1960年代後半からネパール中部のマルシャンディ川中流域でグルン族の文化人類学の研究をしています。今回は、2010年に続き現地を訪れるとともに、マルシャンディ川最上流部のティリツォ(湖)周辺へのトレッキングを行ってきました。この写真は、トレッキングで疲れてカトマンズに戻り、日本食レストランで照り焼き丼などを食べて、ご機嫌、かつ満足していることを示しています。彼は旭川で農業をするとともに、家でグランド・ピアノを弾いたり、山登りやトライアスロンなども行っています。彼のブログによりますと、「さあ、95歳まで生きる計画、それも死にものぐるいで遊ぶ残りの人生。イザイザイザうち連れて、進むは今ぞ(大笑い)」とのことです。
写真7 吉田克人さん(左)
彼は、チリーのアンデス山脈の地質調査を長年行い、現地で博士号を取ると共に、奥さんも仕留めています。本来なら、木崎甲子郎さんの1990年代からのヒマラヤ地質調査隊に参加していたと思われる彼ですが、アンデスの仕事が長かったために、ヒマラヤは今回のカンチェンジュンガ地域のトレッキングが初めてだそうです。今回は、彼にGPSデータを取ってもらうとともに、写真撮影もお願いしました。彼が取ってくれたデータは、友人の干場悟さんに編集していただき(写真右下)、カトマンズ大学の講義の中で利用することができました。写真は彼らが宿泊していたチベット・ゲスト・ハウスで撮ったもので、左側が大気汚染対策でマスクをしている彼、右側が福尾克也さんです。
アジャル・アディカリさん
写真8 アジャル・アディカリさん
彼は友人の平田更一さんと東京でコンピュータ関係の仕事していましたので、平田さんから彼の父、チェトラ・P・アディカリさんが2年前に亡くなったことを知りました。彼の父は詩人で、宮沢賢治や夏目漱石など多くの日本文学をネパールに紹介してくれた「ヒマラヤ文庫」を作った人です。去年の春が1周忌だったのですが、2015年ネパール地震で法要を営むことができませんでしたので、今春4月に2周忌の法要が行われました。チェトラ・P・アディカリさんは死後、医学生のための献体になり、そのことを最後の詩にしましたので、彼の夫人、塚田恭子さんが法要の場で朗読しました。写真は、彼が父親の大写真の前で、参集者にお礼を述べているところです。
安仁屋 政武さん
写真9 安仁屋政武さん
南米パタゴニアの氷河研究を長年続けてこられた彼が、ネパール中央北部のムスタン北部の旅行を終えて、カトマンズ大学を訪ねてくれました。近くてもなかなか行けないムスタンと日本から遠くてなかなか行けないパタゴニアの氷河の話をしてくれました。「画像解析だけでは分からないことがあるので、遠くても、パタゴニアの現地に行くのです」という彼のフィールドの考え方にコンピュータ漬けの学生たちも納得したようでした。彼からは「カトマンズ大学のキャンパスはカトマンズに比べると天国ですね。勉学意欲の旺盛な学生を教えるのは楽しいことですね。」とのメイルが寄せられました。写真手前には友人のリジャン助教授、彼の左上の壁には2015年ネパール地震でできた割れ目が写っています。
神埼忠男さんとサンタ・ラマさん
写真10 神埼忠男さん(左)とサンタ・ラマさん(中央)
ネパール山岳協会副会長で国際山岳博物館担当理事のサンタ・ラマさんが2014年11月に来日されましたので、関係者が集まり、東京の岸記念体育館の会場で話し合いました。その際に、日本山岳協会会長の神﨑忠男さんが会場を使用するお世話をしてくださいました(*)。神﨑忠男さんたち日本山岳会一行の方々は、今春のマナスル峰登頂60周年記念祝賀会に出席するためカトマンズに来られましたので、一行の方々を紹介していただき、皆さんにヒマラヤ地震博物館の話をすることができました。
(*)錦秋に山岳博物館とカトマンズ大学を想う 国際山岳博物館の将来課題
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html
宮原巍さん
写真11 宮原巍さん(前列中央)
1970年のエベレスト・スキー隊終了後、現地に残り、ナムチェバザール北のギャジョ氷河の調査をしている時に、彼はテント生活をしながら、彼にとって最初のホテル、エベレスト・ビュー・ホテルを作っていました。氷河からナムチェ・バザールに買い物に下りて来た夏のある時、彼のテントによると、大きなマツタケのような姿のキノコをご馳走してくれました。現在82歳の彼は、3番目のホテルをポカラの景勝地サランコットに作っています。ポカラに行った時に彼の宿泊場所である事務所に伺いますと、いつものように日本食をご馳走してくれました。写真はマナスル60周年記念祝賀会会場で撮ったもので、前列中央の彼と、左はマナスル登頂者の日下田實さん、右はネパール名誉総領事の今西邦夫さんです。
干場悟さん
写真12 干場悟さん(右)
カトマンズ大学の講義は彼と共同で進めています。コンピュータの専門家である彼は講義のホームページ(*1)を作成してくれるともに、現地調査でとったGPSデータや写真を彼が編集してくれましたので、講義の中で、写真の撮り方などを学生たちと議論する良い教材になりました。写真は彼が二人の山岳民出身の学生に教えているところで、手前の学生がパキスタンのカラコラムの麓ギルギットから来ているイラム・バノーさん、後ろがエベレストの麓のクンブ地域のクンデ村出身のミンマ・ヤンジさんです。二人の女性学生に囲まれた彼の顔が嬉しそうなのが印象的です。また、彼はポカラの国際山岳博物館の改革にも携わり、新たなホームページ(*2)を作成するとともに、彼からのメイルによりますと、彼の改革案はネパール山岳協会から好評で「来年も是非協力してほしいという空気が盛り上がってきました」とのことです。また、秋から春にかけては避暑とは反対の避寒で、東南アジアから南アジアを旅するのが彼のライフスタイル(*3)で、各国の言葉を巧みに話す才能も持ち合わせています。
(*1)KU Lecture 2015 & 2016http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
(*2)International Mountain Museum
http://immpokhara.blogspot.com/
(*3)travelasia
http://jjhoshiba.blogspot.jp/
バル・ライさん
写真13 バル・ライさん
ポカラの国際山岳博物館が創設された2004年以来、博物館の事務長の役割をしています。いわば、博物館の生き字引のよう人です。この写真は博物館2階の古い倉庫ですが、残念ながら、資料が乱雑に積まれているのが分かります。博物館の裏側に建てられた新しい倉庫も見せてもらいましたが、やはり資料が乱雑に積まれていましたので、倉庫整理と収蔵資料の台帳(財産目録)を作るように提言しましたが、はたして彼はやってくれるでしょうか。来週の再訪時に、この博物館がどのように変化しているのかを見るのが楽しみです。
ハリダイ・トラチャンさんとアショック・トラチャンさん
写真14 ハリダイ・トラチャンさん(右)とアショック・トラチャンさん(左)
ハリダイさんと・アショックさん父子はホテル・ドラゴンの経営者ですが、ハリダイさんは国際山岳博物館の現地相談役の仕事をするかたわら、彼は伝統的な弓矢のネパール代表選手で、ホテルの庭にも弓道場が設えてあります。また、彼は企業家でもあり、ポカラ近郊の丘陵地には農場と、アンナプルナ連山の見える斜面には観光施設を作り始めています。その観光施設には、マナスル西側のツラギ氷河湖近くにあった友人たちの慰霊碑(*)が遠いため訪れにくいので、彼のマチャプチャリが見える観光施設に移動し、設置させてもらっています。
(*)2015年ネパール春調査(10) ポカラ報告
亡き友人の記念碑
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/06/2014-10.html
友人の分骨場
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/11/2012.html
貞兼綾子さん
写真15 貞兼綾子さん(左)
彼女は長年ランタン村の支援をしていますが、去年の地震直後に雪崩が村を直撃し、300名近くの方々が亡くなる大災害に見舞われてしまいました。そこで、肉親を失ってもなお奮闘する彼女の「息子」、テンバさんたちと一緒になって、昨年の5月から新たな村の建設に挑んでいます(*)。彼女は日本から着いたばかりでしたが、「ヘリコプターでランタン村まで飛び、現地を見てきます」と5月17日の出発前に言っていました。彼女の貞兼節をうかがっていますと、こちらまで元気をもらえるような気がしたものです。その彼女から5月25日、衛星電話がきまして「意外に歩けます。あと数日いて、帰りは歩きます」との元気な声を聞くことができました。
(*)2015年ネパール春調査(12)
ランタン地域の雪崩災害等に関する情報交換の進展
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/06/blog-post.html
中原一博さん
写真16 中原一博さん
彼とは、去年の地震直後から貞兼綾子さんとランタン村の支援をおこなうために宿泊していたホテルで初めてお目にかかりました。彼は建築家で、ランタン村上流のキャンジンにあるラマ教寺院の復興デザインを作成しているそうです。その彼が、今年同じホテルで再会しますと、チベット避難民の救済のための資金が必要なので、麻や綿、さらに絹のたくさんのフンドシを自然の野草で染め、部屋の内外で乾かしていました。写真の彼の左側のフンドシがインド茜(あかね)色に染め上げたものとのことです。これらは日本で販売し、資金源するのだそうですが、はたしてうまくいくのでしょうか。ヒマラヤの神々の座に祈念することにします。
高橋久美さんと和田正夫さん
写真17 高橋久美さん(中央)と和田正夫さん(右)
彼女は、2008年から2010年まで2年間、JICAのボランティア―としてポカラ市役所で子供の保健に関する仕事をしましたが、その後彼女は徳島大学の看護学分野の助教になっています。彼女にはネパール人の許嫁がいて、結婚への今後の手続きを打ち合わせるためにポカラに来ていました。さまざまな課題を乗り越えて、お二人の素晴らしい将来の家庭生活が営まれるようヒマラヤの神々の座に祈念しています。写真は、前述のハリダイさんのホテルで行われたすき焼きパーティーに招待された時のもので、左がハリダイさん、中央の高橋さんが、ネパール人の奥さんをもちポカラに住んでいる右側の和田正夫さんに国際結婚の課題を聞いているところです。和田さんはJICAの仕事の一環でネパールのニジマス養殖などを始められた方で、長く水産業の改良・普及に努められましたが、その後は国際労働財団で働き、現在は退官されているそうです。
ラジェンドラ・カーナルさん
彼は鉱山地質局長で、2015年に起こったゴルカ地震の1周年を記念した国際会議(International Workshop on Gorkha Earthquake, Nepal)の主催者です。国際会議ですと、ホテル代や歓迎パーティーなどの食事代もかなりかかりますので、通常は数万円相当の登録料を支払うのですが、今回は無料だったのはありがたいことでした。おそらく、彼の組織力で会議費用を集めてきたのでしょう。この会議では、ヒマラヤ地震博物館(Himalayan Earthquake Museum)*を発表しました。さまざまな手法で地震の特徴を明らかにしても、残念がら、地震を防ぐことはできないのですから、ヒマラヤ地震博物館でヒマラヤの地震について知ってもらい、被害を軽減する手立てを考えてもらうことが必要であることを発表したところ、参加者が興味を示してくれました。彼の事務所を訪れた別の理由は、1965年に中央ネパールの地質・氷河調査の後、彼の事務所でシャルマ博士とリマール博士に会いましたので、彼らの消息を知ることでしたが、彼はいろいろのところへ電話で尋ねてくれましたが、全く手掛かりはないとのことで、51年の歳月の隔たりを感じました。
* 2016年ネパール通信3
ゴルカ地震国際会議
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/60.html
2016年ネパール通信4
地震に関する 二つの国際会議の報告
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/2016.html
2016年ネパール通信7 最終講義の報告
ヒマラヤ地震博物館
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/05/20167.html
ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN*)は1973年の学生隊から始まりましたが、翌年の1974年からは文部省の海外学術調査隊になりました。調査隊のリーダーは名古屋大学名誉教授の樋口敬二さん(右上写真の右)でしたが、ネパール側の責任者がトリブバン大学トリチャンドラ・キャンパスの気象教室教授のチャリセさん(右上写真の左)と水文気象局長のアディカリ博士(右上写真の中)で、彼らの研究室からは、何人ものスタッフが現地調査に参加しました。もともとチャリセさんは、1968年にランタン谷で積雪観測を始めたとのことで、2015年ネパール地震でランタン村が壊滅状態になるなどの大きな変化があった事に加えて、亡くなった奥様との新婚時代の思い出の地でもあるので、体が許せば、再訪してみたいと言っていました。最近は、ヘルニアの2回目の手術を行ったばかりで、できるだけ家にいて、宗教関係などの読書をしているうちに、禅に興味もったそうです。次に日本に行ったら禅寺を訪ねてみたいとのことです。写真は、彼が中心になって1993年にまとめたネパールの気象・水文に関するアトラス(台帳)をみながら、コンピュータがほとんど使えない時の苦労話や、このアトラスがネパール全国の農業や電力開発などに役立っていることを誇らしげに自宅の居間で説明してくれました。
(GEN*)2013秋調査旅行余話(1) ハージュン観測基地
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html
写真18 ラジェンドラ・カーナルさん
彼は鉱山地質局長で、2015年に起こったゴルカ地震の1周年を記念した国際会議(International Workshop on Gorkha Earthquake, Nepal)の主催者です。国際会議ですと、ホテル代や歓迎パーティーなどの食事代もかなりかかりますので、通常は数万円相当の登録料を支払うのですが、今回は無料だったのはありがたいことでした。おそらく、彼の組織力で会議費用を集めてきたのでしょう。この会議では、ヒマラヤ地震博物館(Himalayan Earthquake Museum)*を発表しました。さまざまな手法で地震の特徴を明らかにしても、残念がら、地震を防ぐことはできないのですから、ヒマラヤ地震博物館でヒマラヤの地震について知ってもらい、被害を軽減する手立てを考えてもらうことが必要であることを発表したところ、参加者が興味を示してくれました。彼の事務所を訪れた別の理由は、1965年に中央ネパールの地質・氷河調査の後、彼の事務所でシャルマ博士とリマール博士に会いましたので、彼らの消息を知ることでしたが、彼はいろいろのところへ電話で尋ねてくれましたが、全く手掛かりはないとのことで、51年の歳月の隔たりを感じました。
* 2016年ネパール通信3
ゴルカ地震国際会議
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2016年ネパール通信4
地震に関する 二つの国際会議の報告
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/2016.html
ヒマラヤ地震博物館
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/05/20167.html
スレッシュ・チャリセさん
ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN*)は1973年の学生隊から始まりましたが、翌年の1974年からは文部省の海外学術調査隊になりました。調査隊のリーダーは名古屋大学名誉教授の樋口敬二さん(右上写真の右)でしたが、ネパール側の責任者がトリブバン大学トリチャンドラ・キャンパスの気象教室教授のチャリセさん(右上写真の左)と水文気象局長のアディカリ博士(右上写真の中)で、彼らの研究室からは、何人ものスタッフが現地調査に参加しました。もともとチャリセさんは、1968年にランタン谷で積雪観測を始めたとのことで、2015年ネパール地震でランタン村が壊滅状態になるなどの大きな変化があった事に加えて、亡くなった奥様との新婚時代の思い出の地でもあるので、体が許せば、再訪してみたいと言っていました。最近は、ヘルニアの2回目の手術を行ったばかりで、できるだけ家にいて、宗教関係などの読書をしているうちに、禅に興味もったそうです。次に日本に行ったら禅寺を訪ねてみたいとのことです。写真は、彼が中心になって1993年にまとめたネパールの気象・水文に関するアトラス(台帳)をみながら、コンピュータがほとんど使えない時の苦労話や、このアトラスがネパール全国の農業や電力開発などに役立っていることを誇らしげに自宅の居間で説明してくれました。
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html
リジャン・カヤスタさんと研究室の皆さま
写真20 リジャン・カヤスタさん(前列左から2人目)と研究室の皆さま
カトマンズ大学の助教授である彼は、ヒマラヤ周氷河・気候・災害研究センター長で、彼の教室は、アメリカのコロラド大学が支援するアジア高地の雪氷地域からの流出現象に関する総合研究の南アジア部門のセンターになっていますので、国際的な共同研究を行うかたわら、教官・学生ともどもネパール・ヒマラヤの現地調査にも活発で、あしげくフィールド通いをしています。講義は、彼の教室のネパール人をはじめ、インドやパキスタンからの修士課程1年目の学生が対象でした。写真は、旅の安全を祈願するカタと呼ばれる経文を印刷した布を首にかけてもらい、講義の最後に、研究室前で記念撮影したところです。この写真は、助手のモハン・チャンドさんが下記のFacebook(*)に投稿してくれました。また、カトマンズ大学の講義を来春も継続して行いますので、皆さんにはこれからもお世話になります。なにとぞ、よろしくお願いいたします。
(*)Himalayan Cryosphere, Climate and Disaster
Research Center •2016年05月25日
https://www.facebook.com/Hiccdrc/photos/np.1464169648925945.100009835994103/1039797719440282/?type=3
これからの予定
6月2日夜のカトマンズ出発までは、関係者の方々に挨拶回りをします。6月3日はクアランプール空港で21時間帰国便を待って、6月4日朝に関西空港に着く予定です。それでは皆さまもご自愛ください。
(雨期を思わすようなそぼ降る雨音を聞きながら5月31日カトマンズにて記す)