2015年ネパール春調査(9)
2015ネパール地震(4)
ヌワコット王宮へ
1)はじめに
名古屋大学名誉教授の樋口敬二先生は、ネパールの氷河調査を行っていた40年ほど前にヌワコットを訪れ、歴史的・文化的に貴重なパゴタ(二重の塔)の絵を描かれている(写真1上)。このヌワコット地域は今回の2015年ネパール地震で大きな被害がでたゴルカ地域とシンドバルチョーク地域の中間にあり、やはりかなりの被害が出ていることが報告されているので、地元の新聞*にも文化財保護の観点から、被害の実態が報告された(写真1下)。その情報を伝えたところ、樋口先生から「更に情報を知りたいと思っています」とのメイルがきたことにくわえて、ヌワコットのあるトリスリ・バザール周辺は、かつてランタン・ヒマールの調査を行った時に何回か通った地域でもあるので、その地域が今回の地震でかなりん被害が出ているとのことから、ぜひとも見ておきたいと思い、5月26日に現地調査を行った。
*Nuwakot palace ravaged
Posted on: 2015-05-10 07:48
http://www.ekantipur.com/2015/05/10/national/nuwakot-palace-ravaged/405049.html
写真1 樋口先生の写真とスケッチ(上)、地震後の新聞の写真(下)。
5月26日の道順(写真2)は、カトマンズ大学(TU)を朝7時に出発し、まずカトマンズに出て、そこを起点に反時計回りで、往路はシヴァプリ峠をへて、トリスリ川支流のリク川沿いにヌワコットヘ、復路はトリスリ川沿いに下り、グルチからはポカラからの街道沿いにカトマンズへ戻り、カトマンズ大学には夕方7時半にたどり着いた。
従来はルート図中央に茶色で示されるカカニ峠越え(写真2)の道がヌワコットへの街道であったが、地震後、道路状況が悪くなったため、新しいシヴァプリ峠を越えるルートを取った。しかし、この道もかなりの悪路であった。復路として、距離の短い往路を取らなかったのは道路状況が悪いためで、三角形の二辺を通るような遠距離ではあったが、道が良いため、ポカラ街道を走ってきた。やはり、前半の悪路がたたり、ヌワコット王宮からの帰路、トリスリ川沿いの街道にでたとたんにパンクし、タイヤ交換をするはめになった。そのパンクしたタイヤであるが、ポカラ街道にでると、パンク修理の掘っ立て小屋が並んでおり、150ルピー(180円ほど)で簡単に直してくれた。時計・靴・傘や服などをはじめとしたネパールの修理文化には今さらながら脱帽、恐れ入りました。
従来はルート図中央に茶色で示されるカカニ峠越え(写真2)の道がヌワコットへの街道であったが、地震後、道路状況が悪くなったため、新しいシヴァプリ峠を越えるルートを取った。しかし、この道もかなりの悪路であった。復路として、距離の短い往路を取らなかったのは道路状況が悪いためで、三角形の二辺を通るような遠距離ではあったが、道が良いため、ポカラ街道を走ってきた。やはり、前半の悪路がたたり、ヌワコット王宮からの帰路、トリスリ川沿いの街道にでたとたんにパンクし、タイヤ交換をするはめになった。そのパンクしたタイヤであるが、ポカラ街道にでると、パンク修理の掘っ立て小屋が並んでおり、150ルピー(180円ほど)で簡単に直してくれた。時計・靴・傘や服などをはじめとしたネパールの修理文化には今さらながら脱帽、恐れ入りました。
写真2 水色のルートのようにカトマンズから反時計回りでヌワコット巡りをした(赤の矢印は、カトマンズ盆地の大気汚染状態を観察した地点と方向;写真16参照)。
2) カトマンズからヌワコット
写真3 地震で壊れたバクタプール~カトマンズ・ハイウェイ(コテショワール付近)。
バクタプール~カトマンズ間の日本が援助したハイウェイは立派なものであるが、カトマンズ空港に近いコテショワール付近で、地震によって落差1m以上の陥没した所ができており、「注意」の看板がたくさん立っている(写真3)。
リング・ロードを離れ、シヴァプリ峠への登りにかかるトッカ地区には大規模な住宅開発が行われ、高層アパート群(写真4左上)がある。遠くからではアパートそのものの被害状況は不明だが、その周辺地域の道路沿いの比較的新しい建物(写真4右上)や伝統的な日干し煉瓦の民家はかなりの被害が出ている(写真4)。
バクタプール~カトマンズ間の日本が援助したハイウェイは立派なものであるが、カトマンズ空港に近いコテショワール付近で、地震によって落差1m以上の陥没した所ができており、「注意」の看板がたくさん立っている(写真3)。
リング・ロードを離れ、シヴァプリ峠への登りにかかるトッカ地区には大規模な住宅開発が行われ、高層アパート群(写真4左上)がある。遠くからではアパートそのものの被害状況は不明だが、その周辺地域の道路沿いの比較的新しい建物(写真4右上)や伝統的な日干し煉瓦の民家はかなりの被害が出ている(写真4)。
写真4 カトマンズ郊外の新興住宅地と破壊された周辺の旧式住宅。
写真5 シヴァプリ峠の崖崩れ道、自動車事故、破壊された旧式住宅。
シヴァプリ峠への道沿いには崖崩れ箇所が多く、道幅の狭いところで交通事故が発生した(写真5上)。峠の道沿いの民家も、日干し煉瓦や石積みの壁の建物は著しく崩れていた(写真5下)。
シヴァプリ峠への道沿いには崖崩れ箇所が多く、道幅の狭いところで交通事故が発生した(写真5上)。峠の道沿いの民家も、日干し煉瓦や石積みの壁の建物は著しく崩れていた(写真5下)。
写真6 リク川周辺のレストランで昼食。
道路状況の悪い、曲がりくねったシヴァプリ峠からの道がトリスリ川支流のリク川(Likhu Khola)に到達したドバン・パティで、美味しい豆の炒め物、ゆで卵と小魚の唐揚げで昼食(写真6上)をとる。このレストランの中壁にも大きな亀裂ができていた(写真6左下)。そして、衛生的とは言えないトイレ(写真6右下)で用を足す。
道路状況の悪い、曲がりくねったシヴァプリ峠からの道がトリスリ川支流のリク川(Likhu Khola)に到達したドバン・パティで、美味しい豆の炒め物、ゆで卵と小魚の唐揚げで昼食(写真6上)をとる。このレストランの中壁にも大きな亀裂ができていた(写真6左下)。そして、衛生的とは言えないトイレ(写真6右下)で用を足す。
写真7 リク川周辺の破壊された住宅(1)。
リク川周辺のドバン・パティからディクレ・バザールまでの河川堆積物上に建てられた石積み民家は軒並みに倒壊し、石壁が激しく損壊したため、壁の石が積み重なり、元の家の形を想像することもできない石の墓標のようになっていた(写真7)。これまでネパールで見てきた被害地域でも最も地震の影響が著しく現れている地域だ。河川堆積物は固まっていない砂や礫で構成されているので、雨が多かった4月の天候では河川堆積物中の水分が増え、軟弱地盤になったため、4月25日の地震で激しく揺れたことであろう。かろうじて残っている家屋も、壁や窓が崩壊し、何と言ったらよいのか、とにかく、めちゃくちゃ、だ(写真7.8)。その荒廃さにまったく言葉もでず、ただ唖然とするばかりであった。
リク川周辺のドバン・パティからディクレ・バザールまでの河川堆積物上に建てられた石積み民家は軒並みに倒壊し、石壁が激しく損壊したため、壁の石が積み重なり、元の家の形を想像することもできない石の墓標のようになっていた(写真7)。これまでネパールで見てきた被害地域でも最も地震の影響が著しく現れている地域だ。河川堆積物は固まっていない砂や礫で構成されているので、雨が多かった4月の天候では河川堆積物中の水分が増え、軟弱地盤になったため、4月25日の地震で激しく揺れたことであろう。かろうじて残っている家屋も、壁や窓が崩壊し、何と言ったらよいのか、とにかく、めちゃくちゃ、だ(写真7.8)。その荒廃さにまったく言葉もでず、ただ唖然とするばかりであった。
写真8 リク川周辺の破壊された住宅(2)。
ただ救いは子供たちであった。水浴びする楽しそうな声を聞くと、地震のすさまじい状況を一瞬忘れさせてくれた(写真9左上)。だが、大人たちといえば、かろうじて残された家影や休み場の木陰で、今も続く余震に怯えながら、ひながお互いに慰めあうことしかできないのであろう(写真9右上と下)。
ただ救いは子供たちであった。水浴びする楽しそうな声を聞くと、地震のすさまじい状況を一瞬忘れさせてくれた(写真9左上)。だが、大人たちといえば、かろうじて残された家影や休み場の木陰で、今も続く余震に怯えながら、ひながお互いに慰めあうことしかできないのであろう(写真9右上と下)。
写真9 リク川周辺の被災住民。
写真10 リク川周辺の破壊された住宅(3)と崖崩れ修理の道路工事。
リク川のディクレ・バザール周辺の集落に入ると、道の両側の家々は軒並み大きな被害を受けていた。もしかりに、午後の積雲の発達とともに起こるであろうかなりの地上風が吹き、埃や塵が舞えば、あたかも黒澤明監督の「用心棒」の荒ぶれた街角風景のようだ(写真10上、11上)。ある家など、骨組みがむき出しで、骸骨の家を見るようだった(写真10左下)。現在も、崖崩れ箇所の補修工事が続き(写真10右下)、道路が開通するまでの1j時間ほど、待たなければならなかった(写真10右下)。リク川流域から本流のトリスリ川沿いにでたところのバッタールの集落も大きな被害を受けており、やっと倒壊家屋の修復工事が始まったところだった(写真11下)。
リク川のディクレ・バザール周辺の集落に入ると、道の両側の家々は軒並み大きな被害を受けていた。もしかりに、午後の積雲の発達とともに起こるであろうかなりの地上風が吹き、埃や塵が舞えば、あたかも黒澤明監督の「用心棒」の荒ぶれた街角風景のようだ(写真10上、11上)。ある家など、骨組みがむき出しで、骸骨の家を見るようだった(写真10左下)。現在も、崖崩れ箇所の補修工事が続き(写真10右下)、道路が開通するまでの1j時間ほど、待たなければならなかった(写真10右下)。リク川流域から本流のトリスリ川沿いにでたところのバッタールの集落も大きな被害を受けており、やっと倒壊家屋の修復工事が始まったところだった(写真11下)。
写真11 リク川周辺の破壊された住宅(4)。
3) ヌワコットで
写真12 ヌワコット王宮の破壊状況(1)。
カトマンズ大学を出て6時間半かかって、ようやくヌワコット遺跡にたどり着くことができた。さっそく、樋口先生の絵の写真を手がかりに、スケッチをされた場所を特定し、ほぼ同じアングルで写真を撮っていると、地元の女性2人がにこやかな笑みを浮かべて通り過ぎていった(写真12上)。道中出会った水浴びする子供たちの楽しげな声とともに、笑みを浮かべる女性たちを見て、地震による心の悲壮感が一瞬救われる気がしたものだが、現実は依然として厳しく、ヌワコット遺跡の復興は今やっと手についたところ(写真12下)で、老人たちは休み場に座り、変わりはてた風景を眺めるばかりである(写真12左下)。樋口先生が描いた背景の建物(マッラ・ガンダル;往時の軍人の宿舎)は上の部分の損壊が激しいためか、修復のために3階以上が取り払われ、2階建てになっていた。
ヌワコット遺跡周辺の民家に立ち寄ると、住民が樋口先生の絵の写真を手に取り、描かれた建物を指さしなから地震前の当時を語ってくれるのであった(写真13左上)。ヌワコット遺跡から少し離れて見ると、樋口先生が描かれたパゴタ(二重の塔)の西側の大きな建物、これがヌワコット王宮(サッタレ・ダルバール)で、心なしか西の方向に傾いているように見える(写真13右上)のだ。大きな揺れが起これば、パゴタ(写真13左下)などがさらなる被害を受けるとともに、かつてゴルカの王様が女王たちと過ごしたというサッタレ・ダルバール王宮の建物は北西側のトリスリ川の谷に崩れ落ちる可能性がある(写真13右下)。このヌワコット王宮(サッタレ・ダルバール)の建物はネパールで人気があり、車などの装飾としても描かれている(写真13-2)。
カトマンズ大学を出て6時間半かかって、ようやくヌワコット遺跡にたどり着くことができた。さっそく、樋口先生の絵の写真を手がかりに、スケッチをされた場所を特定し、ほぼ同じアングルで写真を撮っていると、地元の女性2人がにこやかな笑みを浮かべて通り過ぎていった(写真12上)。道中出会った水浴びする子供たちの楽しげな声とともに、笑みを浮かべる女性たちを見て、地震による心の悲壮感が一瞬救われる気がしたものだが、現実は依然として厳しく、ヌワコット遺跡の復興は今やっと手についたところ(写真12下)で、老人たちは休み場に座り、変わりはてた風景を眺めるばかりである(写真12左下)。樋口先生が描いた背景の建物(マッラ・ガンダル;往時の軍人の宿舎)は上の部分の損壊が激しいためか、修復のために3階以上が取り払われ、2階建てになっていた。
ヌワコット遺跡周辺の民家に立ち寄ると、住民が樋口先生の絵の写真を手に取り、描かれた建物を指さしなから地震前の当時を語ってくれるのであった(写真13左上)。ヌワコット遺跡から少し離れて見ると、樋口先生が描かれたパゴタ(二重の塔)の西側の大きな建物、これがヌワコット王宮(サッタレ・ダルバール)で、心なしか西の方向に傾いているように見える(写真13右上)のだ。大きな揺れが起これば、パゴタ(写真13左下)などがさらなる被害を受けるとともに、かつてゴルカの王様が女王たちと過ごしたというサッタレ・ダルバール王宮の建物は北西側のトリスリ川の谷に崩れ落ちる可能性がある(写真13右下)。このヌワコット王宮(サッタレ・ダルバール)の建物はネパールで人気があり、車などの装飾としても描かれている(写真13-2)。
写真13 ヌワコット王宮の破壊状況(2)。
4) ヌワコットからカトマンズへ
写真14 ヌワコット周辺の赤土と破壊された旧式住宅。
ヌワコット周辺は広大な赤土(ラテライト)地帯で、土は粘土質なので、水気を含めば軟弱地盤になる。地震が起こった4月25日は乾季ではあったが、今年は雨が多かったため土は水を多分に含み、地震で揺れやすかったのであろう。トリスリ川沿いの赤土地帯でも旧式の民家は著しい損壊状況を示していた(写真14下)。
このヌワコットの旅では、深刻な地震被害の現場を見てきたが、トリスリ川沿いに下ると、ボートで川下り(ラフティング)するネパール人一行を目にすることができた(写真15左上)。川岸では地元の子供たちと犬までもが一行を歓迎しているのをみると、彼らにも少しづつではあるが、心の余裕ができてきたのかもしれない。トリスリ川は川幅100m以上の泥の大河で、その上に架けられた長い吊り橋を女性が一人、悠然と渡っていた(写真15右上)。トリスリ川沿いに下る道が、ポカラからの街道に合流するガルチには、ポカラを象徴する熱帯的な朱色の火炎樹の花が咲き始めていた(写真15下)。
ヌワコット周辺は広大な赤土(ラテライト)地帯で、土は粘土質なので、水気を含めば軟弱地盤になる。地震が起こった4月25日は乾季ではあったが、今年は雨が多かったため土は水を多分に含み、地震で揺れやすかったのであろう。トリスリ川沿いの赤土地帯でも旧式の民家は著しい損壊状況を示していた(写真14下)。
このヌワコットの旅では、深刻な地震被害の現場を見てきたが、トリスリ川沿いに下ると、ボートで川下り(ラフティング)するネパール人一行を目にすることができた(写真15左上)。川岸では地元の子供たちと犬までもが一行を歓迎しているのをみると、彼らにも少しづつではあるが、心の余裕ができてきたのかもしれない。トリスリ川は川幅100m以上の泥の大河で、その上に架けられた長い吊り橋を女性が一人、悠然と渡っていた(写真15右上)。トリスリ川沿いに下る道が、ポカラからの街道に合流するガルチには、ポカラを象徴する熱帯的な朱色の火炎樹の花が咲き始めていた(写真15下)。
写真15 トリスリ川と火炎樹。
5) カトマンズの大気汚染
写真2の赤の矢印が示すように、今回の旅ではカトマンズ盆地を3方向から眺めることができた。まずは、シヴァプリ峠南側からは盆地上数百mにわたり、大気汚染のスモッグの層が覆っていることがはっきりと分かる(写真16上)。カトマンズ大学からバクタプールやカトマンズ盆地を見通せるサンガからは早朝であるにも関わらずすでに盆地はスモッグに覆われ(写真16左下)、またカトマンズ盆地の西の峠であるチャンドラガリでは、帰りの夕方ではあったが、乳白色の巨大なスモッグがカトマンズ盆地全体を覆っていた(写真16右下)。カトマンズの大気汚染問題は言われて久しいが、一向に改善の兆しが見えない。
写真16 3方向から見るカトマンズ盆地の大気汚染。
6) 氷河湖決壊洪水など
1970年代にクンブ地域での氷河調査を助けてくれたハクパ・ギャルブさんから、5月25日夜9時半頃、イムジャ氷河北西のローツェ氷河から氷河湖決壊洪水が発生した(*)との電話連絡がきた。小規模な洪水で、被害はなく、チュクン周辺の川が増水した程度だったそうだ。
(*)小森次郎さんからの情報で次のカトマンズの新聞リパブリカに載っていることを知りました。
http://www.myrepublica.com/society/item/21661-experts-puzzled-by-water-overflow-in-everest-area.html
(*)小森次郎さんからの情報で次のカトマンズの新聞リパブリカに載っていることを知りました。
http://www.myrepublica.com/society/item/21661-experts-puzzled-by-water-overflow-in-everest-area.html
ローツェ氷河の末端モレーン(氷河堆積物)は侵食によってすでに大方崩れ去っており、問題になっているイムジャ氷河などのように、末端モレーンが自然のダムになって、その上流側に大きな氷河湖をつくる心配はないので、洪水が起こったとすれば、その上流のデブリ(岩屑)に覆われた化石氷体部分にできた池が崩壊して、出水したものであろう。
今回の地震でクンブ地域の実家を壊されたハクパ・ギャルブさんたちは、ネパールの将来を考えて、多くの方に地震情報を発信しつづけてくれていますので、思い悩んでいる彼と彼の友人たちに、少し楽観的すぎるかもしれませんが、下記のようなメイルを送りましたので、紹介します。
記
記
伏見 碩二 2015/05/20
Dir Sir,As you know, Japan is a disaster country. We have frequent earthquakes which cause sometimes the Tsunami, a huge wave, and we had a nuclear power plant accident at the time of the earthquake and Tsunami four years ago. Even a volcanic activity is also related to an earthquake. We, Japanese, have to live with these four major disasters; earthquake, Tsunami, volcano and nuclear power plant.
Here in Nepal, you don't have Tsunami, volcano and nuclear power plant, but you have only one disaster, an earthquake. I am hoping and I am sure that your Nepalese people face against the only one disaster and make an earthquake disaster reconstruction how longer it is required.
"Good Luck and Namaskar" to you all from Hiroji Fushimi
すると、(実は後から知ったのですが、東ネパールのクンブ地域は「2015年ネパール地震」の4月25日の本震よりも5月12日の余震による被害の方が大きく、クンデ村のハクパさんの実家も壊滅してしまったという。)その彼から、次のような返事がきました。
Sherpa Lhakpa 2015/05/20
Excellent analysis Professor Fushimi Hiroji
Thanks
LG Sherpa
最後に、ランタン村の雪崩災害の原因については、大阪市大のランタン・リ登山隊が、ランタン・リ山頂の崩壊による雪崩発生を現地で目撃しています。また、ランタン村上流のキャンジン・ゴンパ周辺も雪崩の被害が報告されていますが、これはランタン・リルン周辺を起源とする別の雪崩と思われます。いずれにしても、エベレストBC周辺でも雪崩災害がありましたように、今年3月~4月のネパールの天候が不順で、ヒマラヤ山地がかなりの降・積雪に見舞われたところ、4月25日の2015年ネパール地震がきっかけで、傾斜が急な多雪地域で雪崩が発生したものと解釈できます。